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アデル 第七話 我

「アデル~。これ見て!」

 そう言いながら葉月が取り出したのは、フリルとタックがたっぷりついた真っ白なブラウス。それと全体にフリルがあしらわれ、ビスチェのついた黒いスカートである。
 革ひもでしっかり結い上げるタイプのビスチェ。総レースのボンネットと、ロングヘアのウィッグに、革のブーツまで用意されていた。端的に言うならば、コテコテのゴシックロリータ服である。過去の流行がまた巡ってきたのかは、夕星の知るところではない。

「姉ちゃ……」
「来週の個展に、これを着て一緒に出てほしいの! いいでしょ?」
「姉ちゃん。アデルはこれでも少年の設定なんだから」
「設定なんて、あんたの都合じゃないの。たくさんの人と話す機会じゃない? 試験運用にぴったりの場を提供しようっていうのよ? ね~アデル、お願いっ!」

 バッサリと反論を遮られる夕星。この家の当主の暴走に勝てた試しなどないのだ。
 葉月の顔と夕星の顔を、アデルは代わるがわる見比べる。二人の会話と態度から、状況を判断しているらしい。

「お姉ちゃんは僕にこれを着てほしい? 夕星は着てほしくない?」
「着てほしくないなんて言ってないわよね? 夕星」

 葉月に口を塞がれた夕星だったが、意識はスッと違う方に向いた。姉とアデルの会話をそのまま黙って見守る。

「夕星は本当は着てほしくないけど、お姉ちゃんが言うから仕方ないと思ってる? でも、やっぱり着てほしくない?」
「わっ。学習速度ってこんなに速いんだ」
「お姉ちゃんは100パーセント着てほしいんだね。夕星は100パーセントよりも少なめに着てほしくない?」
「なんっか微妙な言い回しだけど、そういうことになるわね」
「じゃあ、着るっ!」

 『管理者(アドミニストレーター)指示優先』は基本的な報酬系である。報酬系とは行動原理。人間で言うならば基本的欲求。これは、アンドロイドが人間に対して不利益を働かないよう必ず設定されているものだ。アデルの管理者は夕星。そして現在のヒーリング対象者は葉月という位置づけ。

 意見が対立した場合は、両者の利益や感情を天秤にかけ、最適と思われる落としどころを探す。そこに、アデル自身の『意思』は全く含まれない。人間という支配者の喜びや癒しがアデルの喜びであって、アデルがみずからの意志で言動を起こすことはないのだ。
 きめ細やかな表現は人間に限りなく近く見える。しかし『自我』というものをアデルは持ち得ない。AIシステムに『心』は存在しない。アデルの言動は対する人間の欲求を満たすための応答であって、それが自身の不利益……極論では、破壊であったとしても受け入れるのだ。

 ジタンとの面談は続いていた。しかし大した進展は見られていない。面談のたびにジタンはアデルを求め、アデルもまた拒まない。接触の積み重ねが、ジタンのデータをロックしている『感情』を解きほぐすようではあったが。

 データ回収のためにアデルを差し出しているような気分を夕星は味わい続けていた。不機嫌となる管理者にアデルはまるで頓着しない。停止指示を出さない限り、ヒーリング対象者の癒しを優先させるのだ。

 ただ夕星には、どうしても引っかかることがあった。あの時……自分がアデルを引き剥がした時のジタンの表情。ソルジャータイプのアンドロイドは、アデルほど豊かな感情表現を必要としない。しかしジタンは違っていた。まるで『心』があるかのように、最大限の感情表現をしてのけたのだ。ヒーラータイプとして開発したアデル以上に……。

「夕星~。じゃ、そういうことで! 今度の週末、アデル借りるからねっ!」

 ハッと気づいた時には、もう勝敗は決まっていた。ひとつのことを考え始めたら、夕星は他が見えなくなる。仕事では都合のいい面もあるが、人間関係においては芳しい結果は出ない。その点で言えば、書道家という自営業をしている姉は百戦錬磨である。

「あ。ああ」

 生返事を返しながら夕星は再び思う。『心』『自我』。アンドロイドにないもの。自分が持て余しているもの。そして、ジタンの見せた不可解な表現を。

 そんな折、別件の運用検証が夕星とアデルに指示された。
 


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