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自分の好奇心に素直になることこそ「努力」なんだと思う

「天才は、努力を努力と思わず、その努力している瞬間すら楽しんでいる」

なんていうのをよく耳にする。

じゃあ、勉強するにもスポーツするにも
全然楽しいと思えなくて辛くなるわたしは
× 天才
◎凡人
ってことなんかなあ

って思ってた。ちょっと前まで。

『苦しいことを続ける=努力』じゃない

さっき挙げたように
努力する=勉強する・スポーツする
って考える人が多いと思う
わたしの固定観念かもしれないけど。

でも、多くの人にとって、
勉強だけ
スポーツだけ
を続けることなんて、「苦」でしかないと思う

学年1頭いい子がいて
「なんでそんなに勉強ばっかりできるの?」
って思うのだって

スポーツ推薦取るほど能力がある子がいて
「なんでそんなに1つのことに集中できるの?」
って思うのだって

あたりまえ。
だって、『わたしには興味がないことだから』

努力する=自分の好奇心に素直になること

さっきの
・勉強
・スポーツ
に関して努力してる人たちの例を取ると

端的に言えば
[勉強・スポーツが好きだから続けている]
[その分野に興味があるから続けている]

ってことなんだよね

てことはつまり
好きなことに素直になる→努力
って考え方もできる

確かに、好きなことをしている時は
誰だって他のことや時間を忘れて
没頭しちゃうよね

でも、ずっと続けるのって、いくら好きなものでも
厳しい…

継続できなければ、結果を残せなければ、
努力って言えないのかなぁ

継続できなくたって、努力は努力

わたしは本当に本当に飽き性だから
今まで、何ひとつ、長期的に継続できたことがない

強いて言えば、受験勉強は2年間続けられたかな

でも、
継続できたことだけ・結果を残したものだけを
「努力」って呼ぶのは、あまりにももったいない
とおもうの。

大学受験では結局第1志望の大学には落ちたし
受験期のことなんて、辛すぎて記憶にも残ってない

残ってるのは「頑張ってた2年間」「今の自分」
っていう事実だけ

だとしても、わたしは大学受験をして良かったと思う。

第1志望に落ちたから、今いる自分の環境で最善を尽くしてやろう!っていう反骨精神も湧いた

そのおかげで、自分の好奇心に素直になれた
いろんなことに手を出して
いろんな人に関わって、いろんな世界を知った

例を出せば
・短期インターン
・ボランティア(スラム街での支援活動)
・運転免許取得
・資格取得
・アルバイト(単発バイト含む)
・そのお金で旅行にいく
・サークル活動
・インスタ運用
・noteを書いてみる
・自己分析
などなど。

継続できてなくたって、わたしは、
1年とは思えないほどたくさんのことに触れてきた

『自分の好奇心に素直になる』
これ以上の努力はないと思う

そして重要なのは、上記のどれをやっているときも
「楽しい」「面白い」気持ちが常に湧いていたこと

結論 :
「楽しい」と思えた瞬間こそ努力している瞬間

天才だから、継続できるわけじゃない
凡人だから、努力できないわけじゃない

人は誰だって努力をしたことがあって
それは、「楽しい」と思う瞬間であること

これに気づくと、自分の世界がもっと明るくなると思った!

楽しい

知りたい

身につく・新しいことを知る

楽しい

もっと知りたい

のサイクル
が、「努力」に必要な材料かもしれないなあ

わたしはこの1年、「努力」をしてきた?わけだけど
苦しいというより楽しい気持ちが先行していたので

結局、「努力を苦だと思っていなかった」

ことになる!

自分の将来のために努力することができるし、
その「努力」を苦だと思わなくなった

これが、わたしの最近の変化ですね笑

みんな、今日も努力してて偉い!
明日はもっといい自分になれるよ

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