標本を作る


小学校2年生の時、ひと夏かけて大きな昆虫標本を作製したことがある。
きっかけは当時読んでいた科学雑誌の特集だったように思う。
「きみもこんちゅうハカセになろう!」なんていうありきたりな煽り文句に当時の僕は見事に心を掴まれてしまい、父親にせがんで宿題を夏休みの半ばまでに終わらせることを条件に(それは普段の僕からすれば途方もなく困難な作業ではあったけれど)、夏休みの間じゅう様々な場所に連れて行ってもらい、思う存分昆虫採集を行った。

それは山深く鬱蒼とした森の奥にあるキャンプ場だったり、白い日差しが凶器のように降り注ぐ海辺だったり、申し訳程度の遊具と古ぼけたコンクリート製のトイレだけがある近くの公園であったり、はたまた錆び切ってところどころに穴の開いた有刺鉄線に囲まれた廃工場のそばなんて時もあった。

獲物も多種多様。定番のカブトムシやクワガタムシに飽き足らず、トンボやチョウチョ、ハチだけでもミツバチだけでなくクマバチからアシナガバチ、スズメバチまで捕まえた。小学生が一人で捕まえられるものではないから、父親の助けがあってのことだったろう。

当然のことながらこの一大事業から母親は早々にリタイアし、僕たちの決死の作業を顔を顰めて遠巻きに見ているだけだった。

そのようにして採取した昆虫はもちろん死んでからでないと標本にすることができない。
標本を作ることが目的だったので、自然と死ぬのを待つことすらもどかしく、当時は父親も煙草を吸っていたからプラスチックの透明なコップに採取した昆虫を閉じ込めて煙草の煙でいぶして殺していた。
有毒な煙によって徐々に動かなくなっていく昆虫を眺めているときはさすがに幼心に罪悪感を覚えたものだったが、しかしそれでも好奇心の方が勝っていたように思う。

息絶えた昆虫の胴体に薬品の入った細い注射針を差し込み、体内に薬品を注入する。薬品によってどろどろに溶かされた臓器、それは得体のしれない液体となっていたが、その液体を小さく開けた穴から取り出し中身を空っぽにする。

乾燥させる際には見栄えが良くなるように脚を伸ばしてまち針で固定してやる。小学生にそんな繊細な作業が完璧にできるわけもなく、しばしば無理にひねった脚がもげてしまったりしたが、そんな時はボンドで固めてくっつけてやっていた。望みの体勢で乾燥するようにと全身をまち針で覆われた昆虫は、全身を串刺しにされた哀れな状態に見えたものだ。

しっかり乾燥させた後、今度は防腐剤を注射して腐らないように保護する。ふたたび乾燥させてやれば標本の完成だ。
体の中央線を避けるようにすこしずらして鋭い虫ピンを貫通させ、発泡スチロールの土台に固定すれば1匹分が完了する。
その一夏でいったい何匹の昆虫を標本にしただろうか。少なくとも100匹は下らなかったようにも思う。

それは思いがけず僕の住む区で表彰され、本職の昆虫学者により再度の完璧な防腐処理が施された後、区内の小学校を巡回していた。
一通り巡回が終わるまでには一年以上の時間がかかっており、のちに返却するかどうかを問われたが、そのころにはすっかり昆虫標本に興味を失っていた僕は、それをきっぱりと断ったように思う。

なぜこんなことを今頃思い出したのか。
じりじりと殺人的な太陽からの放射熱が僕から生命力を根こそぎ奪い去ろうとしているただなか、営業の外回りをしているときに、虫取り網を持って僕の横を走り抜けていく少年を見かけたからだった。

無邪気に輝くその瞳は、善意も悪意もなく、ただ自分の好奇心を満たすためだけに煌いていた。

夏の日差しが照り付ける中で黒いスーツに身を包んでいると、まるで自分が甲虫にでもなったかの様な気分になってくる。
業務命令というまち針に雁字搦めにされ、手足を拘束される。
金銭という毒薬を注入される代わりに僕の中身を構成する大事な何かが体の外へと垂れ流されていく。
後に残るのはなんだろうか。名刺にかかれた肩書と、干からびたスーツだろうか。
社会という無邪気な支配者に背中から虫ピンを刺されて、この都会に固定された僕を鑑賞するのは、いったい何者なのだろうか。

そんな埒もないことが浮かんでくるくらいには、この気温と僕の置かれた状況に倦んでいた。

熱で蛋白質が変質しかけ、朦朧とする脳髄で僕はあの頃を思い出す。

小学校2年の夏。

あの時、あの瞬間だけ、僕は確かに世界の支配者だった。


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