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見送る時

主人の葬儀は、父親の時みたいに完全な家族葬というわけにはいかなかったけど、出来るだけこじんまりさせたかったので、参列者も近しい親戚だけにしてもらった。

義母が元気でいる以上、義母の兄弟や義父の兄弟に連絡しないわけにはいかなかった。

私達夫婦はどちらかというと私の方がいろいろネガティブで、私は子供がちゃんと社会人にさえなってくれれば、あと自分はどうなっても良いと思っていた。
長生きする事が良い事だとどうしても思えない自分がいて、出来るなら大変な事が起こる前に人生終わらせたいと思っていた。

それを度々主人に
「あっちにもこっちにも年寄りがおんねんから、そんな事考えたらあかん」と言われていた。

なのにこの状況。
主人の通夜、葬儀に来てくれた方々といえば、うちの家族と義弟の家族を除けばみんな主人より年上の人ばかり。
「逆縁」という言葉があるけど、寿命が伸びて来た今、そんな人も多いだろうとも思う。でも、順番は守った方が、逝く方にとっても残る方にとっても幸せだと思う。

今となっては主人に手を合わせながら、
「面倒な事みんな私と子供に押しつけて、何呑気に寝てんのよ」とぼやいたりもするけど、葬儀がまだ終わっていないこの時は、それどころでは無かった。

結局葬儀場にはまる三日居る事になった。
神職の方の都合や、斎場の都合。
(前にも書いたが、主人の実家は神道なので、葬儀の際も神官が執り行う。
そして斎場は、住んでいる市の斎場が空いてなくて、すぐ近くの隣接市の斎場なら空いていたのだけど、住居のない市の斎場を使わせてもらうと、驚くほど金額が上がる)

なのでお通夜まで時間があったので、準備をする時間はゆっくりあった。
家に帰って猫の世話をして、つい先日父親の一周忌で着た喪服をまた引っ張り出す。
タイミングの悪い事にお通夜の時がG20、サミットで交通規制がかかっていたせいで通夜振る舞いを準備してくれる仕出し屋さんが来れないらしく、家の車で近くのスーパーに買い出しに行った。

あとは私と娘は殆ど主人の側に居たのだけど、息子は義母の運転手をしたり、通夜の日も一度家に黄菜子(猫)のご飯をあげに戻ってくれたりした。

でもお通夜の夜は家族みんなでいようという事になって、初めて、黄菜子を一晩中留守番させる事になってしまった。

通夜祭が終わった夜中、主人の側で家族全員で黄菜子の心配をしていた。
今も自分達の家の中に、柔らかくて温かい生き物が居てくれるという事実に慰められたのは確かだった。


多分、義母や、親戚からしたら、いろいろ不足な所はあったと思う。
それでも何とか、お通夜も葬儀も(神葬祭というらしい)終わらせる事が出来た。


この何日かの間に、息子は初めて会ったような親戚の人達から、
「これからしっかりせなあかんな」と何十回と言われたらしい。

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