オビ・ワン

少年は、大人への成長の入り口で、年上のメンター的な大人に出会って、自分の進むべき道を知ることになる、というパターン、結構あるらしい。
スター・ウォーズのルーク・スカイウォーカーにとっての、オビ・ワン・ケノービとか、心の師匠的な役割を果たす人のことだ。

ぼくにも、そういうメンター的な人がいた。

その人は、「ゆ〜すけ」と言った。本名はきっと最後まで聞かなかったから名字がなんだったか知らないし、そもそも「〜」なんて戸籍上の名前はないんだけど、店の看板にそう書いてあったので、ぼくの中での彼は、ずっと「ゆ〜すけ」である。

確か高校2年の冬だった。学校から帰る途中の線路沿いに、その店は、突然あらわれた。

高架化の工事を終えたばかりの私鉄の、まっすぐに伸びたガード下、新しく舗装され、少し拡張された道路のせいで、線路沿いの建物や土地は、ところどころ変な形に削られていた。その結果、住むには狭いし、潰して駐車場にするにも足りないぐらいの中途半端な大きさの建物が、ちょこんと残っていた。

SF・ホラー【ゆ〜すけ】

そうペンキで書かれた看板がかかる、トタンとサッシで構成された小さな店だった。近づいてみるとガラスの引き戸の向こうに、ギッシリとビデオテープが並んでいる。レンタルビデオの店だった。しかも、SFとホラー専門の。

当時は、ツタヤのような大手チェーンが現れる前で、レンタルビデオ屋といえば、アダルトとか裏ビデオとかを扱うようなものしかなかったような時代に、しかもジャンルがSFとホラーだけ、とマニアックなので、最初は正直ビビったが、勇気を出して入ってみた。
入ると、外から見た以上に店内は狭くて、背中のドアを閉めると、もう目の前にビデオテープが並んだスチールの棚があった。棚は折り重なるように狭いスペースに並んでいて、全ての棚にぎっしりと詰まったビデオテープは、数百本はあると思われた。聞いたこともないタイトルが英語で書かれたホラー映画や、見たこともない古いSF映画のポスターが隙間の壁に貼ってあるのを眺めていたら、店主が影から音もなく現れた。年の頃は30半ばぐらい、ガリガリにやせたその男性が、ゆ〜すけさんだった。いつも同じ格好で、フォーク歌手のようなヒゲを生やし、細すぎる足に履いたジーパンは、裾がいつも変なシワになっていた。

ぼくは、SFは元々好きで、結構たくさん読んでいたし、それなりに知識もあったし、映画も見ている方だったから、僕たちが打ち解けるのにそんなに時間はかからなかったと思う。いつのまにか、週3ペースで、その小さなビデオ屋に寄り道するようになった。

ゆ〜すけさんが、どういう経緯でビデオ屋を始めるに至ったのかは知らない。ただ、そこにある膨大な量のビデオは彼が個人的な趣味で集めていたものであり、一応貸し出してはいるものの、積極的に商売をしようとしているようには見えなかった。寄ると、特に営業してくるわけでもなく、狭い室内に置かれたパイプ椅子に座らせてくれ、いつも熱くマニアックなホラー映画やSF映画の話をしてくれた。

僕はその話の半分くらいはよく理解できなかったけど、とにかく自分の知らないことを話してくれる他人の大人と、そんなに長い時間サシで接するのもはじめてのことだったので、その時間は不思議と楽しかった。

スター・ウォーズが初めて公開された当時、あの有名なメロディーに、実は日本語の歌詞をつけたレコードがある、とか、まだビデオなんか普及していなかったから、なんと8ミリフィルム版に落としたものが売っていたんだよ、とか、奥の深いマニアの世界がそこには広がっていた。僕はいつも話をするばかりで、お金を落とさないのも悪いと思って、たまに800円ぐらい出してオススメのビデオを借りるのだが、残念ながら微妙なテイストが異なっていて、彼のオススメには乗り切れなかったのだけれど。

学校での話、人間関係の悩み、将来の野望、などなど、ぼくはその狭い店でゆ〜すけさんに、思いつくまま話をしていた。彼はいつも黙ってうなずきながら聞いていた。アドバイスをくれるでもなく、話題をつないだり、時にはギターを取り出して、知らない曲を弾いてくれたりした。ギターの腕も、相当良かった。なんか弦をキュルキュル言わせる感じのテクニックで、ブルースみたいな曲だったと思う。

今になって思い返すと、多分当時のぼくは少し情緒不安定だったんだろうと思う。思春期特有の、自意識と、社会とのバランスが上手く取れずにアクセルとブレーキを交互に踏むような感じ。ゆ〜すけさんは、もしかしたら単にぼくの気持ちを落ち着かせてくれようとしていただけだったのかもしれないが、ぼくには何もかもが初めてで、とにかく毎回驚きがある日々だった。彼は、ぼくが生まれてはじめて出会った、生身の、ちょっと変わった大人だった。

彼は、ぼくに人生の渡り方を指導してくれたわけではない。ただ、ぼくの前に存在する、変わり者の、だけどぼくより10年以上は長く生きている大人だった。ぼくは、自分が少し他人とうまくやっていけない変わり者かもしれないと自信をなくしていたから、彼を見て安心したのかもしれない。変わり者でも、そのまま大人になって、曲がりなりにも居場所を作って、楽しそうに暮らしている。そうやって社会に生きている、ヘンテコなままの大人が、近所にいる、ということがとてつもない安心感を与えてくれたように思う。お手本という意味でのロールモデルでは無かったかもしれないが、社会の懐は、自分が思っているよりも少し広いんだなと、そう思ったんだと思う。

そんな風にして、ぼくの中で、いつのまにか何かがふっきれた。
しばらくして、好きな女の子ができたり、受験勉強に忙しくなったりして、やがてその店には行かなくなった。

それから10年近くすぎた頃だったろうか、東京から里帰りした正月の大阪で、久しぶりに高架下を通りがかったら、店は跡形もなく無くなっていた。実家にあった電話帳を見てみたが、そこに【ゆ〜すけ】という店は、もう載っていなかった。店がその後どうなったのかはわからない。

少年は、大人になった。ぼくは、もう、当時の彼よりもずいぶん年上だ。だれかのオビ・ワン・ケノービに、なれているといいのだが。


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