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アルバイトホテルマン#2

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演劇場

晴れてアルバイトホテルマンになれた僕が一番驚いたことは、裏側の「汚さ」だった。ある水準以上であれば、どのホテルでも同じだと思うが、お客様が目にする箇所は煌びやかでとても綺麗だ。

しかし、僕が「Staff Only」の扉の向こうに足を踏み入れたとき、台車が擦れた傷が沢山ついた壁と通路にところ狭しと並べられた予備の椅子や丸テーブルが、寒色の無機質な蛍光灯の光と共に視界に飛び込んできた。僕はその場で、表へ出入りするときに周りにお客様がいないかどうかを確認しなければいけない理由を理解した。

失望してもおかしくない場面ではあるけれど、僕はすんなり受け入れられた。なぜなら、演劇の舞台袖と似ていたから。英語サークルで演劇をしていた僕にとってその景色は見慣れたものだった。振る舞いにメリハリのある従業員は本番前の役に入り込んだ演者で、椅子やテーブルは大道具だ。きっと、高級ホテルも一種のエンターテインメントで、ラグジュアリーさを演出する巨大な演劇場なんだと生意気な結論を出した。そして、その結論は割と的を得ている気がする。

肉体労働

初めての現場は、結婚式披露宴の会場設営だった。誰かの人生の晴れ舞台を彩ることが出来ることに僕は心躍っていた。そして、その心は、開始五分で体育座りをした。

なんと、会場の設営がとんでもない肉体労働なのだ。スタッフは全員ジャケットを脱ぎ、シャツを腕まくりしていて、僕はこれまた驚いた。

全くスマートじゃない。。。

それでも、「こんな単純作業で時給1500円はお得だよな」と開き直って戦場に飛び込んだ。

まずは、プランナーから渡された座席表を見て、必要な円卓と椅子を会場に運び込む。空いている宴会場や倉庫から調達して数を合わせる。脚がたたまれた巨大な円卓を男二人で転がして運び込むのだが、これがとても重たくて危険な作業だ。椅子は専用の台車に載せて運ぶのだが、台車に乗せるのも降ろすのも背筋に来る。そして、椅子を会場内に下してしまえば、その後は全て手で運ばなければならない。

配置が終わったら、次はテーブルクロス掛けだ。僕は先輩の真似をして次々とかけていった。「これこれこういうのしたかった」とすこし調子に乗りながら順調にクロスをかけていくと、どこからか声が聞こえてきた。

「ちょっと、ここのクロスしたのだれ?ここも。ここも。めちゃくちゃじゃないの。」

女性スタッフがお怒りだった。そして、全て僕がやったテーブルだった。

「はい!僕です!」

怒られることは目に見えていたから、せめて逆なでをしない様に、ハキハキと名乗り出た。

「走らないで。」

何があっても表では走ってはいけない、という一番基本的なミスを早速指摘される。

「新人さんでしょあなた。」

「はい、そうです。」

「テーブルクロス、やる前に誰かに聞こうとは思わなかったの?」

「え…」

「テーブルクロス『くらい』できるわ、とか思ってたんでしょ。」

「はい。すみませんでした。」

まさか。テーブルクロスで怒られるとは思っていなかったので、どうしようもなく悔しかった。

「素直なのはいいわ。すぐに名乗り出たし。いい?」

ハキハキさで何とか命拾いをした。

「まずね、テーブルクロスには表と裏があるのよ。少しザラザラした方が裏よ。触ってごらん。」

言われた通り触ってみると、確かに違いがあった。ぱっと見で違いが分からないものを、「触覚」で区別することがどうしようもなくカッコ良く感じてワクワクしてしまった。

「そしてね、こうしてかけるの。」

先輩はテーブルの上でクロスを静かに広げた。

「すみません。もっと、こう、ファサーって勢いよく広げないんですね。」

「そんなことしたら埃がたつでしょ。もう。。。」

初対面の方に数分で呆れられてしまった。じゃあ、ドラマとかで、カッコ良くやってるのは演出なのか。そう思って凹んでいると、補足が入った。

「少なくともうちはこう広げるのよ。覚えてね。」

「はい、わかりました。」

僕は指示通りにテーブルクロスを丁寧にかけて、それから食器セットを準備した。ここは研修で叩き込まれているからスムーズに出来た。ナイフ、フォーク、スプーン、ゴブレット、ワイングラスを一様に各座席に並べる。ここで面白かったのは、それぞれの食器の担当を決めて、ひたすら流れ作業で並べるということ。

僕はスプーン担当になり、ひたすらスプーンを置いた。後ろのフォーク担当の先輩に「ちょっとズレてるよ。三センチね」と指摘されて修正しながら並べ続けた。

しんどかったのは、重たいということ。綺麗に磨かれた大量のスプーンが入ったトレイはかなり重たい。冗談抜きで五キロくらいある。それを左腕一本で支えて、右手で神経をすり減らしながら並べる。左腕は疲労でプルプルし、右手は緊張でプルプルする。そして、両腕には元から座席の設営の疲労がたまっている。地味な苦しみではあったが、働いてみないと分からない特別なことを体験できている喜びに浸りながらひたすらスプーンを並べた。途中で、「スプーンってなんだっけ。なんでこんな形なんだろう。これ完全に同じ形ではないよね。どこまでの誤差なら同じと人間は認識するのだろう」とゲシュタルト崩壊が起きそうにはなったが。

そうして、会場の設営が終わり休憩を迎えた。

「どう?疲れたでしょ。」

知らないスタッフさんが声をかけてきた。

「そうですね。めちゃくちゃ体に来ますね。」

「だろ?ちなみに、休憩明けの別の結婚式の披露宴、そっちはもっと戦場だからな~覚悟しとけよ~」

先輩にいかにもな脅しをされて、僕は戦々恐々としながら控室に戻った。

つづく


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