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【こんな映画でした】423.[ア・ゴースト・ストーリー]

2021年 2月10日 (水曜) [ア・ゴースト・ストーリー](2017年 A GHOST STORY アメリカ 92分)

 デヴィッド・ロウリー監督作品。まさしく西洋のオバケのスタイル、つまり白いシーツに目玉の部分だけが開いているというもの。もっともよく見ると、穴ではなく黒く塗りつぶしてあり、中の人の眼は分からない。まさしくパントマイム。

 時系列が行ったり来たりなので、はじめはなかなか分からない。古くは幌馬車に乗ってやって来た一家が登場する。あいにく悲惨な死に方をしているのであるが。それとこの先何十年か後の世界のような風景も(高層ビル街)。文明論もあり、そこではベートーヴェンの第九のメロディーが出てくる。一種、「薮の中」のような映画でもある。

 ゴーストは実は隣家にもおり、それは女性であると分かる。つまり無地の白のシーツではなく、花柄なのだ。窓越しにお互いが向き合って、無言で会話をするシーンがある。彼女は(も)誰かを待っているようなのだ。ラスト近く、その彼女のゴーストは、「もう会えない」と言って、その姿が崩れ落ちる。ラストシーン、かのゴーストもMの残した小さなメモを取り出して読んだ瞬間、崩れ落ちることに。

 オープニングシーン、わずか2分程でのMとCとの会話。

「目覚めた時にいつも扉が閉まる気配がする。子供の頃、引っ越しが多くてね。メモを書いて、それを小さく折りたたみ、隠した。そうすればいつか戻った時、昔の私に会える」「戻ったことは?」「ない」「やっぱりな」「必要がないもの」「内容は?」「ちょっとした詩とかだった。その家での生活や楽しかったことなんかを思い出せる内容のもの」「どうして何度も引っ越したんだ?」「仕方なかったの。この家、変な音がするよね」。

 ここでカメラは壁の方を映し、チルトアップしていく。それはほんの小さな光の跡のよう。ここでは分からなかったが、最後まで観てそれが何かが分かった。まさにCのゴーストだったのだ。彼が生きて話しているMとCを見ているのだ。その光跡はそのまま浮上し、屋根を突き抜け、真っ暗な空に上っていく。そしてまた彼らの現実生活に映像は戻る。少しだけ二人の会話(引っ越しやピアノについての)があり、また夜の星空に戻る。そして朝の空になり、Mが大きな荷物を家から運び出し、道路の際まで。室内に彼女が戻ったところで、この映画の題名が出る。時間にして6分10秒で。

 朝方、ピアノの上に何かが落ちたような音で二人が目覚める。これも後で分かるのだが、Cのゴーストだったのだ。彼がドサッと座った時の音。最初は私たち観客も分からないので、この二人とともに何事かと不安にさせられる。再び眠りにつく二人。愛しあいながら寝入っていく。かなりの長回し(2分50秒ほど)。それは次への伏線というか「じらし」というか。朝になり、霧が晴れていく。彼らの家の全景ショットから右へパン。

 人がひとり小走りに駆け寄っていく。その先に車が二台。衝突している。Cが車の中で静止している(これは短時間で事故死しているのが分かる程度。アップ)。病室でのシーンへ。シーツからパンしてMのアップ。呆然とした顔。シーツをめくって顔を一瞬見せる。それがCであると観客に確認させると、直ちにロングショットに。MとC。立ち尽くすMと、寝台上のC。まもなく(45秒後、シーツを顔に掛け)Mは立ち去り、ベッド上のCが置き去りに。

 そして1分10秒。ベッドが動く。いや、ベッド上のシーツが動く。ムクッと起き上がる。その間、病室付近を歩く人の足音。あとは空調の音のみ。起き上がり歩き出すC。病棟を歩いて行く。誰にもその姿は見えないようだ。白いシーツは、まだ新しくきれい。すでに目玉はある。目玉の部分は黒い。病院を出て、ゆっくりと緑の草原を歩いて行く。その先に、「彼の家」。朝になっている。ここまでで19分。なお事故死のシーンは12分だった。

 家の全景を映し、次の瞬間には彼はMとCが暮らしていた家に入っている。ゴーストの姿で。部屋はまだ薄暗い。ゴーストは部屋の中で立ち尽くしている。ここでの彼女との生活を懐かしみ・惜しむように。壁に貼られた二人の写真を見る。そこにリンダ(不動産屋)がパイを持ってくる。家の鍵は持っている。メモを置き、立ち去る。その一連の様子をゴーストはジッと見ている。立ち尽くしたまま。リンダが去った後、テーブル上のメモを読む。と、Mが帰ってくる。

 もちろんゴーストの存在は見えないので気がつかない。メモを読み、パイを台所に持っていって、洗い物を始める。手紙の束に目をやる。と、立ったままパイを食べ出す(25分)。何かに取り憑かれたように、ひたすら。そして1分30秒。パイを手に取り、座りこんで食べ続ける。シンクにもたれ、足を前に投げ出して。まるで意地を張るように食べ続ける。時に鼻をすすりながら。ゴーストはそれを立ち尽くしたまま、画面の右奥から見下ろしている。そして4分、ひたすら食べ続ける、ヘリまで削り取って口へ。と、急に立ち上がりトイレへ(31分)。

 その後、時日の経過を表すように、Mが朝、出掛けるシーン、トイレの方から玄関のドアを開けて出て行くシーンを三回繰り返している。もちろんそれぞれ違った服装に、違った髪型で。それをゴーストは見守っている(35分)。

 窓を映す。ゴーストが見ているのだろう。雪がちらつく。そして明るくなり青空に。これは何ヶ月も経ち、季節が移り変わったということか、はたまた何年も経ったということなのか分からない。と、窓から隣家を見ると、その窓辺にもゴーストが。それも女性のゴーストであることが、その花柄模様から推察される。彼女が右手を挙げ、「こんにちは」と無言の言葉を(36分)。ゴーストCもやはり右手を挙げて振り「やあ」、と交わし合う。

 彼女のゴーストは「ここで人を待ってる」、「誰のことを?」、「覚えてない」。ここでゴーストCを映しながらカメラは引いていく。と、白い壁が無惨にもペンキが剥げ落ちているのが映し出される。ソファーに腰掛けているゴースト。室内が暗くなっていく。と、Mが帰ってくる。男性と。そしてキス。これは先程のペンキの剥げ落ちた時よりも、かなり遡っていると思われる。ゴーストCは、それを見て嫉妬する。電気をちらつかせたり、棚の上の本を床に落とすことで表現している。その本の一冊のページが開いている。それに目をとめるM。そこには「彼は彼女の元を去った。安全よと、家が鼓動を打つ。宝物はあなたたちのもの」。

 ここでまたフラッシュバックして、MとCがソファーで話している。Mが「ねえ、きっと心配ない」「その話はしたくない」「明日ならいい?」「たぶんね。聴いて」。大型のヘッドホンをMに。音楽が流れてくる。現代のもの。歌詞は「遅れるの? 寝坊した? 悪夢はいつだってとてもリアル。恋人も一緒? 彼女は目を覚ます?」(ここでカットバックで、一瞬だけ寝ころんで小型のヘッドホンで聴いているMの姿)。

 再び女性の声で歌詞が聞こえてくる。Mは元通りにソファー。「彼女は夜に死んだ? そして君を置き去りに? 独りぼっちに? 鏡に映る曲がった君の鼻。くだらないゲーム。何も進まない」。と、ここでまた先ほどと同じカットバック。

 「最長距離を走って最高得点。背中を痛め、戦争を嘆く。戦火を嘆く」。寝ころんだまま聴いているM。と、左手を床の上に伸ばしていく。伸びをするかのように。そこにゴーストの裾が。立ち尽くしているゴーストの裾に、まさに触れようとした瞬間、そのカットバックは終わり、大型のヘッドホンをつけたMのアップに戻る。

 「遅れるかも。圧倒された。ひどい悪夢と明るいスクリーン。僕の恋人はどこ? 別れが来るのか? 新しい誰かを見つけ、僕の元を去る? 独りぼっちに?」。――歌は終わっていき、この間、Mつまりルーニー・マーラは顔の表情だけの演技である。

 再びカットバックの床の上のシーン。彼女を俯瞰する。彼女の左手のすぐのところにゴーストの裾。ほとんど触れんばかりの位置に。次の瞬間、彼女を横からのカットで映すと、もうそこにはゴーストはいない(43分50秒)。

 Mは片づけを始める、引っ越しの。と、それを見守るゴースト。外へパンすると引っ越しの車が。座りこんで見守るゴースト。壁に白いペンキを塗るM。と、その右横の壁に光跡がチラチラ。そこへMが近より、何かを思いつく。手帳を取り出し、何かを書き付けるM。小さく引き裂いて、折りたたんで、そのメモを壁の小さな隙間に挟み込む。そしてその上からペンキを。左へパンすると、そこにゴースト。その作業を見ている。時間が経ち、すべて完了。

 Mはその家から立ち去る。ゴーストは窓際に立ち尽くしたまま。その前をMは去っていく。ゴーストはそれを目で追いかけていく。窓ガラスごしにゴーストを映す。その窓ガラスに引っ越しの車が走り出すのが映る。Mは自分の車に乗り込み、永遠にこの家から消え去ることに(47分)。車のリアウィンドウから、家の全景を映しながら。そして運転するMのアップ(1分間で)。

 ここでもう一度、家に居る(?)ゴーストの姿を窓越しにアップで捉える。そのまま窓際で立ち尽くすゴーストを室内から。部屋には何もない、あのピアノ以外は。パンしてピアノだけが残されていることを映し出す。

 ふと思いだしたかのようにゴーストは、Mが残していったメモのある壁の隙間に。取り出そうと少しやりかけたところで、ドアが開き、子どもたちが入ってくる。振り向くゴースト。ここでまた時間が飛んでいる、あるいは飛んでいたことになる。

 (50分)ゴーストはその子どもたちのあとを追って歩いて行く。と、もう部屋はすっかりその母子3人の住む家として模様替えされている。スペイン語を話しているのだろう。字幕はない。日常生活のことなので、おおよそのことは分かる。子どもたちがあの(置き去りにされた)ピアノを弾いたり、絵を描いたり、おもちゃで遊んだりするシーンが映し出され、時間がどんどん経っていっているのが分かる。そして、もうクリスマスに。

 親子三人がクリスマスツリーを囲んでいる。装飾を施している彼らを、横でゴーストが見ている。また時間が経ち、寝室では母親が電話をしている。洗面所から子どもたちの寝室へ行くと、もう眠っている。と、そこで物音。上の男の子が目覚める。音のしたドアの方を見る。ドアノブのアップ。妹を起こす。妹もドアを見つめる。ドアが開く。妹は悲鳴を上げて母親の寝室の方へ。男の子はじっと見る。そしておもちゃのピストルを向ける。電子音が鳴る。その先、ドアを開けてゴーストが男の子を見ている。この男の子にはゴーストが見えるのかもしれない。彼も母親の寝室へ。ゴーストがついてくる。そのゴーストを男の子が振り返って見つめる。やはり見えているのだ。

 シーンは飛んで、三人の母子が食事をしている。そこにゴースト。ピアノの上にあった彼ら三人の写った写真立てを払い落とす。床に落ちて、ガラスが割れる。驚く親子。振り返る。さらにゴーストは食卓に近づく。母親の前に置かれていたミルクのコップを、ゴーストが持ち上げる。このシーンでは、ゴーストの姿は透明になったり現れたりする。もちろんそれは観客に分かることで、母親には分からない。そしてゴーストはそのコップを床に投げつける。続けて周りにある食器類を手荒に打ち壊していく。驚いて目を見張る子どもたち。部屋の隅で母子三人が恐怖に怯える。何が起こっているのか分からないのだ。なぜゴーストはこのようなことをするのか。すぐには理解がつかない。

 母親が割られた食器を片付ける。スペイン語だろう、男の子と会話をするが字幕はなく、意味は不明だ。おそらく部屋に戻って眠りなさい、といったところか。哀しみに満ちた顔の母親。彼女がフッと視線をやると、その先にゴーストが立っている。見えたのだろうか。いや、気配を感じただけだろう。ゴーストはあのメモが差し込まれた隙間のところに歩む。そしてそのメモを取り出そうとする。と、そこで画面はカットバックというか、もう空っぽの部屋・家になっている(母子三人はもう引っ越したのだろう)。ずっとゴシゴシとメモを取り出そうとする。取り出せず、諦めて窓辺へ(56分)。*
 隣家の窓が見える。そしてそこに女性のゴーストが。「そこにいるのは誰?」「僕だよ」「そう、てっきり、...。気にしないで」。ゴーストは窓から離れて、部屋に戻っていく。するとシーンは変わっている。多くの人が集まってパーティーをしている。音楽、女性のボーカルが鳴っている。ゴーストの横でカップルが話している。「霊界の存在を信じる?」「ええ、信じるわ」。ゴーストが移動していく。そこではカード占いをしている。「この家にいる霊が、君のカードを見つけ出す」「ウソでしょ」。

 ゴーストはまた歩いて奥へ行く。テーブルを囲んで男女の愛情とか、カネとか、神について話している。「神はどうだ。君にはいる?」「私に?」「いない」「そうか、俺の見解はこうだ。小説家は物語を書き、作曲家は曲を作る。中でも交響曲は神に関連した名作が多く残されてる」「では「第九」を作ったベートーヴェンが、ある日、神は存在しないと悟ったら? 人類を超越する存在がいると信じて捧げた曲が意味を失うんだ。あるのは物理法則だけと思い知ることになる。神がいないなら他の人のために作るしかない。だが彼には子供はいなかったし...」「甥はいた」「何だって?」「甥がいたんだ」「なら贈る相手は甥だ」「死にゆく恋人は?」

「相手は誰でもいい。だが目的は愛ではなく、自分が存在した証として曲を作るんじゃ? それを残された人が現代まで守り続けてきた。人は遺産を残そうとする。対象が全世界か、わずか数人かは関係なく、自分が消えた後も覚えててもらうためにね。俺たちは先人が書いた本を読み、歌を歌うだろ? 子供は親や祖父母を覚えてる。誰にでも家族はあるし、ベートーヴェンには交響曲だ。彼の作った音楽は今後も聴かれるだろう。だがそこから崩壊が始まっていくんだ。子供はいる? この中で子持ちは?」とこのあたりから終末論に入っていく。

「絶滅寸前だった人類がその曲(第九を指す)を聴いたおかげで、恐怖や空腹や憎悪以外の感情を取り戻して再興を遂げる。文明も復活し、ハッピーエンドと思いきやそれも続かない。いずれ地球は死ぬからだ。......人々の記憶に残ろうと、歌を歌い、劇を演じて夢の城を構えるのもいい。だがそれも最終的には無意味だ」。

 このベートーヴェンの「第九」を例にした話が(この間、BGMとして第四楽章が流れる)とうとうと話される。最後は宇宙の消滅まで、一人の男性が得々と述べ立てる。5分ほどにもなるか。話し終わった次の瞬間、その今まで賑わっていた部屋は、廃虚と化している(65分)。室内は荒れ果て、ピアノも部屋の中央に転がされている。壁紙ははげ落ち、相当に古ぼけた壊れて倒れているスタンドの横をネズミが走って行く。床板も剥がれている。

 ゴーストを映す。相変わらずあのメモを取り出すべく、ゴシゴシと作業をしている(66分)。ようやく取り出せた瞬間、轟音とともに窓ガラスとその壁が崩れてくる。重機が家を破壊しだしたのだ。驚いて立ち上がるゴースト。家の全景(前景)のロングにカットが変えられ、重機がゴーストの家(?)を破壊している様が分かる。横からのカットになると、隣家も壊しているのが分かる。破壊された家の跡に、ゴーストが立ちすくんでいる。ロング、そしてアップ。

 引くと画面左側に、隣家の女性のゴーストも立ち尽くしている。右手にゴースト。二人(?)は向かい合っている。「もう来ないみたい」、と次の瞬間、女性のゴーストはペシャンコに。それをジッと見つめるゴースト。霧の中に立ち尽くす。

 時間がどれほど経ったのだろう。ゴーストの立っている場所は、近代的なビルディングが建設されつつある一角に(69分)。悄然と見守るゴースト。そして工事現場を徘徊する。その間にも時間がどんどん過ぎていき、ゴーストは完成して使用されているオフィスの一室に紛れ込んでいく。会議中。さらに廊下を歩いて行く。時間の経過。夜。ビルディング街の夜景が見える。歩いて行くゴーストの白かったはずのかぶり物がとても汚れてしまっている。そしてゴーストは最上階から地上へ、身を投げ出す。

 と、そこは野原。今度はかなりの時間が巻き戻ったようだ。ゴーストは幌馬車でやって来た開拓者家族の姿を見ることに。男(夫・父親)が地面に杭を打って、ここに家を建てようとしている。ゴーストのかぶり物は、先程よりはきれい。その男の妻ともう一人の女性、そして二人の子どもたちの姿。夜、野外での食事の風景。「ここに家を建てよう」と男。朝、ゴーストは座りこんでいる。首を回して見やると、幌馬車。女の子。その子が何やらメモを紙に記して、石の下にそれを隠す(?)。それをジッと見るゴースト。

 また時間が経ったのだろう。ゴーストの耳に叫び声が聞こえてくる。ゴーストがふと目を上げると、カメラは引いて、ゴーストの後ろ姿とその横に殺されている幌馬車の家族たちを映し出す(78分)。男の背と女の子の胸に弓の矢が刺さっている。さらに時間の経過を表すように、女の子が白骨化したありさまを二段階で見せる。それを見つめるゴーストから、スッとカットは部屋の中でへたり込んでいるゴーストに戻る。

 部屋にはほとんど家具はないが、床も壁紙もきちんとある。呆然としている。そこに物音。人の訪れ。ドアが開く。入ってきたのは何とMとC。不動産屋のリンダ。ゴーストは彼らを見ている。

 (81分)最初に流れた音楽がまた聞こえてくる。「遅れるの? 寝坊した? 悪夢はいつだってとてもリアル。恋人も一緒? 彼女は目を覚ます? 彼女は夜に死んだ? そして君を置き去りに? 独りぼっちに? 鏡に映る曲がった君の鼻。」と、ここまでは最初と同じ。次の「くだらないゲーム。何も進まない」は無く、次のように。「退屈な髪型、たくさんのシワ。子供はいない、ただの空虚」。

 オープニングシーンが再び。違うのはそれをゴーストが見ている。あの大きな物音もゴーストが。その後、二人でのベッドでの語らいがあるのは、最初に見た通り。違うのはそれをやはりゴーストが見守っている。

 (86分)時間が飛ぶ。つまりCが亡くなり、とうとうMが引っ越しを。家を出ていくMを見送ると、ゴーストはまた壁の隙間に入れられているMの書いたメモを取り出しにかかる。そしてついに取り出す。と同時にドアが開く。振り返るゴースト。そしてついに、メモを開き、読む。と、その瞬間、ゴーストはペシャンコに。――その横の壁には、また光跡がチラチラと。そしてエンドロール。87分。風の音と子どもたちの声がわずかに聞こえている。

 できる限り映画の流れを追って記してきた。ラストシーンでそのメモを見てゴーストはその形を失うのだが、一体そこには何が書かれていたのだろうか。今の私にはまだ分からない。また見直して、考えてみたい。そんな魅力のある映画であった。

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