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【こんな映画でした】143.[シェルタリング・スカイ]

2020年 5月20日 (水曜) [シェルタリング・スカイ](1990年 THE SHELTERING SKY イギリス/イタリア 138分)

 1991年3月31日に映画館(おそらく三宮)で観ている。あれから29年も経つとは。勧められて観はしたが、果たして当時どの程度理解できたか。ともかく北アフリカ・モロッコあたりが舞台なので、砂漠のシーンが美しい。砂漠は、生物にとって過酷な自然であるのに、見た目にはとても美しい。特に夕方で、ラクダや人の姿がシルエットで長く伸びているところなど。しかしその砂漠はやはり愛の不毛を象徴しているのかもしれない。

 深く愛しすぎることに不安を抱く夫・ポート(ジョン・マルコヴィッチ、撮影当時36歳)と妻・キット(デブラ・ウィンガー、撮影当時35歳)の、結婚生活10年にしての旅行である。良き方向への何らかの切っ掛けを求めてのものだったろう。難しいものだ、愛しすぎるということは。意識しすぎるとかえってギクシャクしてしまう。だからといって、どのようにすればいいのか分からない。

 映画でというか、女性の心理で私が分かりにくく思ったのは、ポートの死後、砦から砂漠へさまよい出てしまうところだ。衝撃の大きさの結果としての行動とは思うが。その後、隊商たちに合流し、何日かあるいは何カ月か分からないが経過した後、彼女はその集落から追い出され、領事館に保護されることになる。
 この期間は、彼女が立ち直るために必要な時間であったと思われる。ラストシーンは最初と同じカフェ。そこに佇む老人は、小説の作者ポール・ボウルズで、彼は何も話さないが、ナレーションで語るのだ。

 特典映像でポール・ボウルズは、題名について次のよう語っている。

「空は明るいと思われているが、実は黒い。空の向こうへ行けば、それが分かる。空を信じてはいけない。人類を闇から守っているというだけだ。空の向こうは闇だ。宇宙は青でも灰色でも白でもない。黒だ。空は外の虚空から我々を守っていると、ポートは言う。ポートは無神論者で来世を信じない」。
【言われるように、実は空の果ては、上空は「暗い」闇の世界だろう。そして空はシェルターのように私たちを守っている、ということ。比喩であり、象徴であろう。】

 同じく特典映像で脚本家のマーク・ペプローは、次のように。

「本作の真のテーマはこういう事だ。"2人の人間は一緒にいられるのだろうか?"、"夫婦として存在するのは可能なのか?"。もし人間にそれが可能なら、社会や文化についても可能と言える。不可能なら絶望的に孤立するのみ。なかなか面白いと思う。」

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