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【こんな映画でした】12.[ラストタンゴ・イン・パリ]

2022年 1月13日 (木曜) [ラストタンゴ・イン・パリ](オリジナル無修正版 1972年 LAST TANGO IN PARIS ULTIMO TANGO A PARIGI フランス/イタリア 129分)

 二度目になるが、最初はいつどこで観たのか記憶がないので、初めて観るのと同じであった。ベルナルド・ベルトリッチ監督作品。マーロン・ブランド(撮影当時47歳で45歳の役を)とマリア・シュナイダー(撮影当時20歳で20歳の役を)。

 何より印象に残ったのは話題となったシーンではない。皮肉なことには、人間というのはお互いに何も知らない同士でいるのが、自由であって良いものなのだということ。名前が象徴的だが、それには人生やら家族やら仕事やらと、そういった手垢の付いたものがまとわりついている。となると純粋に愛を交わすというか、付き合えなくなってしまうことにもなる。

 彼らのそれまでの人生についてはフラッシュバックで紹介されている。だから男性のプライバシーも観客は知ることになるが、逆順なので分かりにくいし、急に過去へ戻るので、ちょっと戸惑う。同様に女性の方も過去から今までの有様を間に混ぜている。

 ラストは無惨だ。虚構の世界に生きている間は優位にあった彼が、現実の世界で彼女と暮らしたいと願った途端、それは儚くも崩れ去っていくのだ。所詮、二十歳の女の子を相手にやることではない。ある程度の人生経験があっての人間同士で初めて可能な愛の形なのだろう。

 題名通り、ダンスホールで人々がタンゴを踊る中、最後となる二人の会話、それも現実的な会話がなされ、二人で踊りとも言えない踊り(ラストタンゴ)を踊りつつそこを立ち去る。いや彼女が逃げ出す。

 その彼女を追いかけてアパートメントまで押しかけ、最後はあらかじめ伏線で見せていた祖父の銃を彼に向けることに。ラストシーンは撃った彼女の右手に拳銃を映しながら、呆然としつつも言い訳を、つまり彼のことは名前も知らないし、追いかけて来てレイプされそうになったから撃った、と何度も口にさせる。

 どこで彼は誤ってしまったのだろうか。妻ローザを愛していたことはフラッシュバックで明らかにされる。だとすると若い女性との性のやりとりはそれから立ち直るための気休めだったのだろうか。

 最初は彼女を愛していたわけではなかったのだが、だんだんと愛していることに気がついてしまった、ということか。そしてそれを告白した瞬間、すべては崩壊してしまう。

 それにしてもセクシャルなシーンばかりが宣伝されたために、この映画の本当の意味するところを、最初に観た時は理解できなかった。やはり他のベルトリッチ作品同様に、考えさせるものがあったわけだ。

 この「オリジナル無修正版」について言うなら、要するにマリア・シュナイダーのヘアーが見えるかどうかの違いのようだ。やはり修整して隠してしまうとかえってダメだというのがよく分かる。特段にそこに意味があったわけではない。

 人は現在のみを享楽的に生きていこうとしてあがく。しかしどこまでも、おのれの過去の人生や家族やらがついて回って消え去ることはない。何故ならそれは自分自身のアイデンティティを形成してきたものだから。

 人は皆、自分の忌まわしい過去から逃げたいと思っている。たいていは年を取った人の場合である。過去の痛恨事は一つや二つではない。それらを全部捨て去って、今を生きたいと、ふと思う瞬間が誰にでもあるのだろう。

 しかし現実というものにいずれは気付かされる。今居るこの場所と時間の他に、「私」が生きていける空間はないのだ。そのことに思い至った時、人はどのような行動を取るか。自殺か居直りか。

 ということで、これは良い映画であったと、ようやく気が付けた。約50年の歳月を経て、ということになる。

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