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【こんな映画でした】621.[郵便配達は二度ベルを鳴らす]

2020年 5月 4日 (月曜) [郵便配達は二度ベルを鳴らす](1942年 OSSESSIONE イタリア 134分)

 ようやくこのルキノ・ヴィスコンティ監督作品を観ることができた。ただ、ただちに思うのは、不自然なカットの切り替えである。幾つかあり、どうも気になる。6分の違いはエンドロールがもしあったとしたら、それが6分だという可能性も否定できないのだが。もっとも大作でない限り、エンドロールだけで6分は長すぎる。やはりカットされているのではないかと疑う。

 今、分かっているのは、この作品はオリジナルがなく、コピーの断片を集めて何とかヴィスコンティがまとめたものとのこと。だからいくつかのカットは、やはり失われたままなのではないか。

 印象的な不自然さは、最初の方でジョヴァンナとジーノが二人で駅の方へ逃げ出すシーン。その直前の夜の家の中のシーンから、いきなり昼間の道路でのシーンとなるのだ(『ヴィスコンティ集成』(P.43)によると、「幾日かがすぎた昼間の街道を」、と)。

 最後の方でも、いきなり川辺を素足のジョヴァンナとジーノが歩いている。そして次にはもう車に乗って、遠くへ逃げだそうとしている。

 あと不可解なのは、この二人の会話をこっそり聞いている小さな女の子がいるのだが、この説明がまったくない。ラストの方で警察に、ジーノたちはどうしたと聞かれ、返事をしているのだが。

 とまれサスペンスの要素があるが、基本は男女のどうしようもない愛情の形というものか。決着は死しかないのか。他のたいていの作品同様に。そしてこの邦題であり、原作の小説の題名の意味はとうとうわからずじまいであった。イタリア語の原題は「妄執」とのこと。確かにその通りだろう。

 ジーノ役のマッシモ・ジロッティは撮影当時24歳。ギラギラしている。暑苦しい。何かに対する大きな不満を抱いてるようだ。

 ジョヴァンナ役のクララ・カラマイは撮影当時32歳くらいか。とても魅力的に見える瞬間と、平凡などうってことのない顔に見える瞬間とが交互に出てくる感じ。トータルで魅力的というか、この役柄をよく演じていると思う。

2020年 5月 2日 (土曜) 
 [郵便配達は二度ベルを鳴らす]を観だしたが、カットの切り替えの不自然さを感じて、止めて調べてみると、今観ているDVDが134分、ロトントマトが135分、IMDbとウィキペディアが140分。allcinemaが113分。エンドロールはまだ観てないが、それだけで5分の差がつくのだろうか。微妙なところだ。気にせずに観ればいいのだろうが。

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