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【こんな映画でした】515.[家族の肖像]

2020年 3月10日 (火曜) [家族の肖像](1974年 GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO CONVERSATION PIECE VIOLENCE ET PASSION イタリア/フランス 121分)

 ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。主役の教授にバート・ランカスター、コンラッドにヘルムート・バーガー。ビアンカ・ブルモンティ伯爵夫人にシルヴァーナ・マンガーノ。この女優は[アポロンの地獄](1967)・[ベニスに死す](1971)で観ている。そして可愛いのも無理ないが、その娘リエッタ役は撮影当時まだ15歳のクラウディア・マルサーニ。

 ラストシーンはこのリエッタが、母親とともに教授に別れを告げに来るもの。握手をした教授のその手が宙に浮いたまま、しばらくそのままに。そして手を戻してのストップモーション。教授の寂しさが見て取れるシーンであった。

 やはりラストの方で教授が彼らに次のように言う。
「始末の悪い間借り人だ。私は運が悪かった。だが私は考えた。リエッタの言うとおり、"家族"と思えばいい。どんな結果になっても受け入れられる。この"家族"のために。役立ちたいと思い、とんだことになった。......君たちは私を眠りから覚ました。深遠で無感覚で音のない死の世界から。」

 伯爵夫人は教授に別れを告げに来て言う。
「でも彼の知らないことがある。私たちはいずれ彼を忘れるわ。彼はこのことを知るには若すぎたのよ。悲しみなんていつまでも残らないわ」

 そして続いてリエッタは「彼を信じてあげたのは先生だけよ。彼が死んだ今でも見捨てないで。」と。そしてコンラッドの死は自殺ではなく、殺されたのだ、とも。

 「conversation piece」とは「風俗画、団欒画 《18 世紀英国で流行した家族の集まりなどの群像画》」とのこと。たしかに教授の部屋の壁面は、その手の絵画で覆われていた。そしてオープニングシーンでも、その手の絵画を購入するかどうか、絵を見ているシーンであった。

 なぜ教授がそのような団欒画に囲まれて暮らしていたのか。やはり家族というものへの憧憬があったからだろう。しかし、自らはそれを実現できなかったことへの後悔。それが今の教授の生活そのものに出ている。気の毒だが、世の中にはそういう人もいることだろう。私自身もそのような時が来るかもしれないとは思っている。

 なお「GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO」はイタリア語で、「群れ」「家族」「内側・奥」といった意味。

 映画の製作国はイタリア・フランスとなっているが、私が観たバージョンは英語版。調べてみるとイタリアでは、イタリア語に吹き替えられて上映されたようだ。

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