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【こんな映画でした】316.[マグノリアの花たち]

2021年 8月24日 (火曜) [マグノリアの花たち](1989年 STEEL MAGNOLIAS アメリカ 116分)

 ハーバート・ロス監督作品。なるほどこんな映画だったのか、と。これは受けるだろう。上手い作り方だ。人生はハッピーなことばかりではない。この映画はまた、母と娘との映画と言えるだろう。アメリカ映画によくみられる、父と息子の話同様。

 母親マリン役にサリー・フィールド(撮影当時42歳)、[ミセス・ダウト](1993)などで観ているようだ。上手い役者だ。この映画はほとんど女優たちの映画で、その俳優たちが芸達者である。ウィザー役のシャーリー・マクレーン(撮影当時54歳)はやや老けて見えた。娘シェルビー役のジュリア・ロバーツはまだ21歳。

 美容室のトゥルーヴィ役にドリー・パートン(撮影当時43歳)、そこで勤めることになるややキリスト教原理主義的な女性アネルにダリル・ハンナ(撮影当時28歳)。[夜霧のマンハッタン](1986)で観ている。前・町長未亡人クレリー役にオリンピア・デュカキス(撮影当時57歳)。

 原題は「steel」が名詞で「スチール、鋼、硬さ、鋼製、鋼鉄、剣、好敵手」。「マグノリア」は「モクレン」で別に「薄いピンク色」という意味があるとか。なるほど作中シェルビーが結婚式に関連する色では、この「薄いピンク色」にこだわっていた。教会もその色にデコレーションされていた。それも含めてここではこの「鋼のように強い女たち」を言うのであろう。

 ラスト、シェルビーの救命装置を切る時、それに最後まで立ち会ったのは母親マリン一人。父親も夫も「鋼鉄(スチール)のように強い」はずなのに、その場を立ち去ったのだった。このあたりから原題が生まれているのだろう。

 ラスト近くのお葬式のシーンは、なかなか上手い作り方だった。シェルビーの墓の前で悲痛な面持ちのマリンが一人佇んでいるところに、あとの4人がそれぞれに気が付いて戻ってくる。

 アネルが良いこと(地上ではみんなと生きていけないので、天国に行ってみんなを見守っている、と)を言うのだが、受け入れられないマリン。神への恨み言を言い、誰かを殴りつけたい、何かを打ちのめしたいと叫ぶ。そこで一計を案じたクレリーがみんなの気持ちをほぐすことになり、悲しい中にも笑顔を取り戻して帰って行くことになる。

 その一計とは常日頃、何かにつけて意地悪なウィザーのことをマリンに殴れ、というわけである。殴るならここにいるウィザーを、というわけである。みんなそのように思っているのだから、と。コメディタッチで上手い脚本であり、演出であり、演技であった。やはりベテランだ。

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