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第二話へ

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「お帰りなさい。今日は早いのね」
「ああ。仕事が早く片付いたからね」
「たっくん。ほら、パパにお帰りなさいは?」
「パパ、お帰りなさい」
 玄関で出迎えてくれた妻に向かって晩飯は適当でいいよと言い、足にしがみついてきた小さな体を抱っこする。
 我が家へ帰るとホッとするのは私に限った話ではないだろう。我が家は十階建てのマンションの九階の角の部屋だ。結婚して三年目に新築物件で購入した。通勤に便利な駅からほど近い好立地であることと、私たち夫婦の貯蓄および私の収入で手が届く価格であったことや周辺の環境やら色々な要素を鑑みて決断した。その決断は間違っていなかったと思っている。

 息子を抱いたままリビングのソファに座る。テレビの画面は明日の天気予報を映している。そうだと、ふと思いついて、ローテーブルの上のリモコンを取り上げ、ニュース番組に変える。
 顔はわかるが名前が出てこない馴染みの女性キャスターが落ち着いた声で今日のニュースを伝えている。政治家の不正や交通事故やゲリラ豪雨の被害や熱中症にお気をつけくださいとは言っているが、東京の上空にドラゴンが現れたとは一切報じていない。
 もしもそんなものが出現したならトップニュースになっている。宇宙人が襲来したかのような大騒ぎになっているはずだ。
 チャンネルを変えてみてもドラゴンの話題はなかった。アイドルやお笑い芸人たちのバラエティ番組や音楽番組、いつもどおりの平和がそこにあった。
「パパ。ねえ、遊んでよ」
「ん。何して遊ぼうか」
「うんとね。お絵描きしたい」
 甘えてくる息子の相手をしていると、妻の香奈美かなみが私を呼んだ。
「夕飯だからこっちへ来て。わたしたちもこれからなのよ。あなたも一緒に」
「ああ。すまない」
「たっくん。お絵描きはあとにしなさい。ご飯よ」
「はーい」
 我が子が私の腕から降りて走っていく。彼のお絵描き帳とクレヨンが投げ出されている。立ち上がった私はダイニングテーブルへ移った。テーブルの上にはうまそうな食事が並んでいる。
「今日は暑いからさっぱりとサラダそうめんにしたの」
「うん。いいね。ありがとう。そういえば小山君に会ったよ」
「ああ、ちょっとお調子者の彼ね」
「呑みに誘われたが断った」
「彼ってまだ独身だっけ」
「そうじゃないか。結婚したとは聞いていないから」
 専業主婦になる前、妻は私と同じ会社に勤めていた。いわゆる職場結婚だ。だからお互いの共通の知り合いの話題に花を咲かせることも珍しくない。妻に相槌を打ちながら私の意識はどこか上の空だった。
 さっきから何かが引っかかっている。いつもどおりの平和な我が家なのに、何か大事なことを忘れている、もどかしいようなそんな感覚だ。
「それでどうなの」
「えっ。どうなのって何が?」
「もうあなたったら。うちの会社はどうなのって聞いたのよ。買収されるとか噂があったじゃない」
「ああ。その話か」
 小山君の話題からいつの間にか変わったらしい。しかし元社員で私の妻であってもその辺の事情はデリケートなものがある。余計な心配をかけたくもない。だから当たり障りのない返事をした。
 食事が終わり、リビングからお絵描き帳とクレヨンを持ってきた息子の拓矢たくやが「はい。パパ」とそれを差し出した。
「何か描いてよ」
「パパがかい?」
「そうだよ」
「何を描こうか」
「何でもいい!描いて描いて!」
 今は可愛い盛りだがもう少ししたらきっとこんな風に甘えてくれなくなる。自分だってそうだった。
 目をキラキラさせている息子からお絵描き帳を受け取り、そこで私の脳裏にあのドラゴンの威容が浮かんだ。
 "彼"はきっと今この時でも、大空にいる。たとえ見えなくても私にはわかる。感じるのだ。理由なんかどうでもよかった。
「パパ!パパ!ねえねえパパったら!」
「うん?」
「すごいや。カッコいい!」
「えっ」
 息子の歓声を聞いた妻が「どうしたの?」とやってきた。私の手の中にあるお絵描き帳を見るなり驚いた声を上げた。
「すごい!あなたにこんな才能があったなんて知らなかった」
 何を驚いているのか、いったい何を言われているのかわからない。
「まるで生きているみたい。それ….」
「わあい。ブラックドラゴンだ!」
 お絵描き帳に目を落とす。無意識のうちに自分で描いたらしい。

 そこに、"彼"がいた。


第四話へ続く

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