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この世界は私の世界だ

2024年4月5日
 今日は日経トップリーダーの原稿を書いていた。半年という約束で始めた連載が次号で75回目になる。
 アドラーは、「常に共同体と結びついていたいと思うこと」(『性格の心理学』)、「所属感」(a feeling of belonging)について論じている。次号のエッセイでは、共同体の中に所属していると感じられるためには、共同体(家庭、学校、職場など)における自分の役割を見出し、それを果たさなければならないと書いた。
 役割を果たすといっても、何かの行為によってしか自分の役割を果たせないわけではない。職場では仕事をすることで自分の役割を果たさなければならないが、それ以前に誰もが自分が生きていることで他者に貢献できる。実際には、なかなかそうは思えないので、病気などで仕事ができなくなったり、定年退職後自分の価値がなくなったと思う人は多い。
 アドラーは他者に貢献できるのであれば、「他者よりも劣っているとか、負けたとも感じないだろう」といっている(『人生の意味の心理学』)。何かを成し遂げることによってしか他者に貢献できないと思い、しかも他者と比べてしまうと自分が劣っている、負けていると思うことになる。しかし、自分が生きていることの価値は誰とも比較できない。誰もが何かができるかとかできないということとは関係なく価値があるのである。
 子育ても介護もどちらも大変だが、このことがわかっているのとそうでないとでは大きな違いがあるだろう。
 アドラーは、先の引用に続けて次のようにいっている。
「この世界は私の世界だ。待ったり、期待しないで、私が行動し作り出さないといけない」(『人生の意味の心理学』)
「この世界は私の世界だ」というのは自分が世界の中心にいるという意味ではない。自分が所属する共同体(家庭や学校、職場)、さらには世界を自分にも果たすべき役割があると考えて変えていかなければならない。共同体に改善すべき問題点があれば、それを何とかしなければならないと思っているのは自分だけではないだろう。その人たちとの連帯感(Solidarität)を持つことで、所属感を持つことができるのである。
 さらに、
「他の人と一緒の時に所属感を持てる人だけが勇気を表わす人である」(Adler Speaks)
とアドラーはいう。困難な課題を前に所属感、連帯感は必要だが、まず、私が行動しなければならない。

 介護について話を聞きたいというオファーがあった。ラジオ番組に出演するのだが、東京のスタジオで録音とあったので断ったところ、zoomで収録できることになった。目下、介護をしている人、これから介護をする人の力になれる話ができればいいのだが。

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