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2022_0515_本読み

<1389字>

冒頭の写真:
抽象的な、意味不明の写真となってますが、

隣家との隙間にゴーヤを二つ植えた、の図です。

屋根上のワイヤー部まで麻紐(多分3メートルくらい?)を張っています。

さて、屋根上に届くのはいつかな。

14日(土)は友人宅に、用事で行って、久々の飲み会となり、深夜の帰宅。今回、15日(日)の本読み、眠気が襲って、たいへん集中力を欠きました。




5月15日(日)は以下を読みました。

「数学と生成文法」

黒田成幸 文
『新・自然科学としての言語学』 福井直樹 著、ちくま学芸文庫
 に、付録として収められている文章
8 最小主義と生成文法研究の現状 

「説明的妥当性の彼方」という言葉があまりに繰り返されるので、自動操縦で読んでしまい、「説明的妥当性の此方・・」という言い回しが対比で使われたのに全く気づかず。

読み飛ばす、という状態に陥っていました。

そもそも、山崎に理解できなさすぎる、のは事実。
数学者の夢想メルヘンですから。

音読が辛くなってきたので、これは止めようかな、と思います。

(音読した人:山崎)





『学問のすゝめ』

福沢諭吉 著、岩波文庫、
十編 前編のつづき、中津の旧友に贈る

この編の題に、中津の旧友に、とあるとおり、

親しみある語りかけですね、という意見が読後にでていました。

確かに、親しみを込めて、叱咤激励してる感じです。

ともかくがんばろうよ、と。

(音読した人:めいさん)



『目の見えない人は世界をどうみているのか』

伊藤 亜紗 著、光文社
第2章 感覚 読む手、眺める耳

「見えない人」にとっての点字が、触覚に属するものだ、

というのは「見える人」による誤解です。

「見える人」が字を見て読むような感覚に属しているもの、です。それは「字」ですからね。

「見る」ということばには「字を見て意味がわかる」ということも含まれています。たとえば、話が見えない=話がわからない、などのように。

山崎、かなりぼーっとしながら聞いていたので、上記、自分の理解を書いてみました。

(音読した人:こいでさん)






『本の中の世界』

湯川秀樹 著
岩波新書
「狂言記」

「三本の柱」「磁石」などの狂言の曲目をとりあげているのは、やっぱり物理学者的な感心の仕方だな、と思いました。

そして、狂言という芸能の持ってる「開かれた心」は、江戸時代に薄れていき、明治、大正を経て昭和の今も抑圧しつづけられているように感じる、と書いていました。

江戸からすでに抑圧がはじまっている、と感じるのは、どうしてなんだろうと思いました。

(音読した人:きよもとさん)






『芭蕉連句集』

岩波文庫、松尾芭蕉
三二 有難や(曾良俳諧書留)108〜110ページ

〈 豆うたぬ夜は何とな(泣)く鬼
古御所を寺になしたる檜皮葺ひはだぶき

豆と鬼と言えば、節分ですが、それではない、という内容がなぜ出てきたのかが、わかりません。そして次に古御所を寺に、が出てきます。

古御所にはちゃんと注があって、そこには『芭蕉翁付合集評注』からの引用が載せられていました。それを読んではじめて、ああそういう繋がりかな?と想像できました。

が、解説してもらわないとわからないのは、もしかしたら、山崎たちだけでなく、時代の近い人たちも、なのかも、と思いました。

現場で詠んでる人たちだけが、分かっていたのかもしれません。

(音読した人:山崎)



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