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ハウスの中で思ったこと

継続した期間の長い短いがあれど、いくつかの仕事現場を渡り歩いてきましたが、私の性質だけで言うと、ある程度ほっといてくれた方が仕事がやりやすく、状況を全体的にある程度見て、それでオッケーとしてくれる人がいると自分を出せる傾向があることがわかってきました。


1月から始めたいちごハウスのバイトでは私一人がハウスの中で作業しています。存在するスタッフと言えば、受粉をするためのミツバチさん。雇ってくださっている方(以下Yさん)は、いちご農家さんとしてまだ3年目の駆け出し?で、4つの大きなハウスをすべて一人で管理されており、今回初めて私に仕事をお願いしたそうです。
昨年夏、お茶のバイトをした時に一緒に働いたことがきっかけで知り合いました。夏はイチゴの作業がひと段落している時期です。

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毎日の流れは
早朝(3時とか)、Yさんがイチゴを収穫して丸1日かけてパック詰めをし、私がお昼ごろから夕方までイチゴの手入れ。余分な葉、枝、花、実をひたすら取っていく、摘葉、摘枝、摘花、摘果と呼ばれるイチゴの仕上がりを左右する?重要な作業ですが、簡単な説明が1回だけでほとんどまかされている状態。
それはYさんがスパルタというわけではなく、パック詰で忙しく私にかまっている暇もないわけですが何より、私の作業をたぶん・おそらく信頼してくれていることがビシバシと伝わります。こちら都合の出勤時間ですが、始業時に立ち会うこともありません。

”できたひこで良かですよ!” ”ボチボチ!” といつも声をかけてくれます。(”自分ができるだけの作業量でいいですよ” ということなんですが)、手入れをやればやるほどイチゴの収穫量が増えていっているので、もちろんいいイチゴができるし、私もわあ!うれしくなってひとりでもサボることなく丁寧にフル回転で作業をしています。


でももちろん、あちゃーやってしまった!っていう場面はたくさんあります。その現場を見ているのはまわりに誰もおらず、自分だけ。ごまかすことはできるんでしょうけど、見る人が見ればわかるので自分の中の目で仕事をしないといけません。植物相手なのでインスタ映えもできないくらい、ごまかせない。


一般的には”任せられる” ”任せられた” という方が「へえ、すごいじゃん」ってなるのかもしれませんが、”任せる” 方が人を信じるという力が強いというか純粋なところから生まれる温かい視線を感じます。

任せる、任せられ、
目の前の作業を丁寧に必死にやる、そこで人が小さく成長する
客観的な視線を持つ力をつけることで、そこからの自分の言葉を持ち、さらに自分の輪郭が浮かび上がってくるのかなぁと、緑の葉っぱと赤いイチゴを見ながら思ったのでした。

(出荷しない分はビニール袋いっぱいいただきます)

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