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アホンダラ鎮魂歌

昔付き合った女性に、AVの何が良いのかと聞かれたことがある。AVも観ないし、性的なことにさほど興味もないような娘であった。こちらから誘った時だけ応じてくれるような淡白な娘であった。 「人がしてるのを観て何が良いの?」 私は即答できなかった。精通してから今日まで当たり前のように行ってきた自慰行為。寄り添ってくれたAV。疑問を持つこともなかった、自分の中でのAVの価値。立ち位置。 彼女を家まで送ったあと、私は1人喫茶店に向かった。 熱い珈琲を飲み、GOING STEADYの「

    • 金木犀の森の満開の下

      犬を飼っていた。 ミニチュアダックスフントのメスである。 彼女が我が家へやってきたとき、私は八の年を数えていた。細長い尻尾をぶりぶりと回し、小麦色の身体を捩らせながら歩くその姿は、まるで妖精のやうであった。 名前をティアラという。 おそらく母がつけたであろうその洋風な名前に応えるかのように、彼女は端麗な容姿と愛くるしい動きで家族を魅了した。 利口な犬であった。毛を撒き散らすこと以外はこれといって人間の手を煩わせることなどなかった。私は彼女と共に成長し、また共に老いていっ

      • 僕のなかの壊れている部分

        映画を学びに、私は東京へやって来た。今から7年程前のことである。 何も面白くなかった。授業で取り扱われる作品も、学友たちが勧めてくる作品も、当時公開していた作品も、何も面白くなかった。映画というものを学問的に扱う覚悟が、学ぶ覚悟ができていなかった。 中学時代から好きだった音楽にのめり込むようになった。大学へは行かなくなり、音楽を聴きながら(当時住んでいた)三鷹の街を歩き、本を読み、バイトをし、ライブをやった。 何もかもが面白くなくなった。復活した昔のバンドの新譜も、好き

        • 田舎教師

           14歳の私は今から振り返っても、面倒くさい子どもであった様に思える。  思春期を迎えた私は大人という大人、目上という目上に反抗してばかりいた。その有り余るエネルギーをロックンロールに変換することも、はたまた悪事や犯罪に使うこともしなかった。故に、大人からすると「ヤンキーではないがただただ反抗してくる男の子」という非常に厄介な存在が出来上がったのである。  唯一、担任であった女性の先生には懐いていたが、それは彼女の優しく聡明な姿勢に甘えていたからであろう。クラス中から慕われて

        アホンダラ鎮魂歌

          限りなく横柄に近いスルー

           昔から、人の顔と名前が覚えられない。  初対面の相手の顔と名前を覚えることはまず不可能であり、昨日会って話した相手のことも完全に忘れてしまう。そこまではおそらく、同じような人も多いと思う。  私は、知っている人のことも分からなくなる。家族、親戚、恋人、友人。長い付き合いのある人のことでさえ、認識できなくなることがある。  地元に帰省した際、私を空港に迎えにきた父親のことが分からず、「私に話しかけてくるこの中年の男は一体誰だろう?」と困惑したことがある。好きな人と間違え

          限りなく横柄に近いスルー

          6月のあるつまらない飲み会で100パーセントの女の子に出会ったことについて

          私はその時、ある映像制作チームに参加していた。6月にしては珍しく、からっと晴れた心地よい夜であった。シャツの上から覆いかぶさってくる風のぬるさに、思わず微笑んでしまうような、そんな心地よい夜であった。  短編映画を作るから音楽をつけてくれないか、と大学の知り合いから声を掛けられたのは、20歳の残春の頃である。通学とアルバイト以外特にすることもなかった当時の私は、二つ返事で了承した。  声を掛けてきたのは一つ上の先輩で、専攻は違えど学校の喫煙所で度々顔を合わせては映画の話を

          6月のあるつまらない飲み会で100パーセントの女の子に出会ったことについて