日誌 2023 11月中旬

11月10日 若林恵さんと会う


「目的がひとつなんてことはあり得ないよね」と若林恵さんが言っていた。例えば本を出すということでも、本を出すのが目的にならないようにするらしい。万が一出版されなくても、それはそれで良いんだという企画にするのが大事だと。取り決めとして「本を出す」ということをひとつ決めたら、物事が動き始める。そこで出会う新しい物事や人、自分の思考回路、それらを得ることが大事だと。「モゾモゾし続けるんだよ。」と、イベント後の中華料理屋で語ってくれた。
トークイベントで、僕は「今は社会に絶望してる人が多い」と言うと、若林さんはそうかな?と言っていた。
別の話題も混ざる中で、「全てがやり尽くされたなんてことないよ。」と、VR空間でアバターに着せる服がリアル空間で売れる服の売上よりも多くなっていることを例にして「人が買うのは有用なもの、必要なものかというとそんなことはない」と教えてくれた。僕は物欲がまったく無いし、金のやり取りが活発になることが必ずしも良いとは思わない。でも、希望のある話しとしてそれを聞いた。先日のjig theaterでの古道具展に感じた、規定された経済と価値のレッテルを剥がして自由に遊ぶことができる軽やかさ。それは社会の中に「遊び/余白」を見つけ出すことだ。
僕はかつて昔の人々が手仕事としてつくりだしていたものが全て安価な工業品に負けてしまうことに対して絶望している。特別な意味づけ、ブランド化を図らずとも日常生活で使うものをつくり、それが売れていた世界に名残惜しさを感じながら生きている。有名でもなんでもない生活者が、誰に雇われるでもなく冬の時期に手作業でつくりだすものがきちんと売れる。それで生活できる世界が良い。しかしここまで工業化が進んだ現代は、そこに真正面からぶつかっていく時ではないのかもしれない。石油がなくなるまでは「遊び/余白」を見つけていく。その見つける作業自体に喜びを見出だしながら。その作業も、有名でもなんでもない生活者ができることだ。それがいいのかもしれない。っていうか、石油が無くなることを淡く期待しながら現状で「遊び/余白」を見つけて過ごすことが「加速主義」なのか?と思って、今調べたら全然違った。
いずれにしても、僕は必要で有用な最低ラインである食(田畑)、住居を自分の手でやっていく。そのうえで如何に遊びを見つけていけるかを考えてみようと思う。有用と遊びの両極を行き来するのが大事かもしれない。本が正にそういうモノだ。モゾモゾし続けよう。絶望するのはまだ早いし、簡単に絶望してしまってはいけない。若林さんとの会話でそんなことを学んだ。世の中には色々なタイプの賢者がいるものだ。世界にはまだまだ奥行きがある。

11月某日 「子育て」

作物をつくること、家を建てること、修繕すること、そうした日々の衣食住を外部委託して、その前提で回す暮らしをするのが現代社会。洗濯も洗濯機が無ければ暮らしていくのが難しい。何もかもを外部委託した上で、そこで初めて労働の時間を確保することができる。そういう暮らしをしている。そんな中で、赤ちゃんが誕生する。24時間共に過ごす、唯一外部委託できない存在。内部の前提が崩れ、心身も共に崩れる。
労働問題、ジェンダー問題、様々な切り口で子育ての問題が語られている。でもこれは、現代社会がつくる家族のカタチ(核家族)が人間に適していないということが最も大きな問題だと僕は思う。みちくんが生まれて、日々かわいさにとろける。福の神なんじゃないかと思いながらみちくんを見ている。でも、自営業で割と自由な我が家でさえ結構大変だった。みちくんがこども園に行くまでは畑もできなかった。ばあば(アキナのお母さん)の存在の大きさを感じるとともに、祖父母と孫の相性の良さも目の当たりにした。数世代が群れとして生きるカタチに人間は適している。家族や家庭を「内部」とするなら、この内部のカタチを様々な可能性を持つものとして創造していけたら。内部は血縁関係だけに限らないし、過去でも、現代でも、人間は様々な内部のカタチをつくっている。文化人類学の本や旅人のエッセイにはそれが書かれてあるし、伝統的内部を失った現代人も新たに様々なコミューンや共同体をつくることを試みてきた。それが傍目から見て「失敗」だったとしても、「現代人はどのようにして人に適した内部をつくることができるのか」という問いに真摯に向き合った人々として僕は尊敬しているし、物事の失敗、成功も一世代で判断できることではない。何世代も跨いで、知恵と体験を紡いでいつかたどり着けるかもしれないカタチがあるのだと捉えれば、失敗とも簡単にいえない。
先日、アキナが店番をしている時に子連れのお客さんが来たらしい。その人は赤ちゃんを抱いて、3歳くらいの子も連れていた。両手が塞がって財布を出すのも一苦労な様子を見て、アキナは赤ちゃんの抱っこを引き受け、レジはその場にいたみーなっつがしてくれたらしい。お客さんは「こんなにゆっくりごはん食べれたの久々だ」と喜んでいたという。
この話しを聞いて、僕は内部と外部の境界を曖昧にするのもひとつの知恵だと感じた。
友人たちとその子どもらが通っている幼稚園「旅をする木」のメンバーは、朝の送迎を代わりばんこで担当し、いつも夕食を数家族で食べている。朝の時間も晩ごはんも「旅をする木」の時間外に起きている出来事だけど、ひとつの共有する場所を持つことで、内部が拡大しているようにも傍目からは見えている。

もっと言えば、本当は内部も外部もなく、人間は世界と共に生きてきたのではないかとも思う。人が手を加えるまでもなく勝手に自生する植物、生きている動物。必要なものが全て予め存在している世界。そういう認識の元に暮らせる環境であったなら、内と外を分ける必要もない。
世界を区画化し、外堀を埋めるのは資本主義経済だったり政治だったりする。血の通っていない概念に外側から内側に追い込まれ続けた生身の人間、その最小単位が核家族なのかもしれない。
ベビーシッターを雇い、子育てを外部委託して仕事へ行けるようになったとして、人間は幸せなのだろうか。食べ物をつくること、家を巣のようにつくること、衣服を紡ぐこと、自分の子と共に時間を過ごすこと、それら全てを外部委託するのは、委託しているふうでいて、実は外部に剥ぎ取られている生身の皮膚だ。生きる時間だ。
そんなことを、自給もままならずスーパーで買い物をし、誰かのつくった服を買い、なによりこども園の存在にとても助けられていると実感しながら考えている。

11月18日 高校生と話す

倉吉市が主催している、高校生向けのまちづくりイベントに誘ってもらいトークをした。企画しているIさんは鳥取で生まれ育ち、一度東京へ出て戻ってきたいわゆるUターンの人だ。
「公務員になること、もしくは安定した企業に入ること」というルートが最も目指されるべき道だという価値観が根強く残るこの地で、そうではない生き方もあるし、様々な生き方をしている人が実は身近にいるのだということを高校生に伝えたいと考えて僕を呼んでくれたみたい。有り難いし嬉しいことだ。
トーク前のワークショップでは、鳥取中部の地図がそれぞれに配られ、その地図に「自分の好きな場所」や「思い出の場所」にシールを貼り、コメントを書き込む作業をした。少し気になったのは高校生たちの地図にあまりシールやコメントが無かったこと。話しを聞くと、やはり公共交通機関の乏しさが原因のような気がした。朝は親の車で学校へ行き、帰りはバスで倉吉駅へ行き、17時の汽車で最寄り駅まで帰らないといけないらしい。下校途中にどこかに寄り道して遊べるのは駅の近くに住む学生じゃないとなかなか難しい。県内の大学生も同じ問題を抱えている(当人が問題と感じているかは分からないが)。
小学生時代は自転車を手に入れて、自転車で行ける場所にはどこまでもペダルを漕いで行った。移動できる距離が広がることは、そのまま自分の世界が拡がることだった。高校時代になると、そこに電車が加わり、東京が近くなった。別に移動した先で碌なことはしないんだけど、自分の世界を自分の意思で拡大できるという実感はそのまま生きるエネルギーになっていたように思う。映画や小説は、当時の僕に他者の車でさえ移動手段になるということを教えてくれて、ヒッチハイクで千葉から屋久島まで行った。あの時、移動の自由が無ければ自分の場合は心が死んでしまっていたかもしれないと当時を振り返って思う。
この地で暮らす学生にとって、「松崎駅から徒歩5分の立地」も、大人が想像する以上に遠いのかもしれない。中部で一番大きな倉吉駅。学生たちが最も多い時間帯に、色々な屋台が出る市が時々開催されるといいかもしれないと思った。僕は本屋の屋台と、「進路相談室」という屋台をつくってみたい。親と先生以外の視点から、真剣に進むべき道を一緒に考える謎のおじさん。無償。やりたいことを聞いて、代わりにググる。自分の知っている限りのネットワークを使って、一番適した人、場所に誘導するようなおじさん。それやりたいな~と帰り道に考えた。


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