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小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋④

「さて、酔っ払う前に、明日からの予定を説明します」
幹事の小幡次郎が日程表を配りながら話を始めた。

「明日の午前中からお昼までは、それぞれ久しぶりの故郷で、色々と用事もあると思いますので自由時間にします。午後2時に、中津市歴史博物館で集合しましょう。場所は確認しておいてください。そこで1時間ぐらい滞在してから、近くの蓬莱観で休憩し、中津城、福澤記念館に徒歩で移動します。その後、寺町を通って、筑紫亭で夕食となりますが、宜しいでしょうか?」

「了解、異議なし!俺はやることないんで、朝から暇な奴は付き合ってくれ」平田が言うと、

「いいね、付き合うよ、ちょっと城下町を歩いてみよう」和田がすかさず反応した。

「それと、皆さん、今回の会は40年前に決まってました。卒業文集『時代』を今日は持ってきました。懐かしいと思いますので、後で回し読みしてください。それと、今年はみんな65歳になります。旅の間、これからの人生をどう過ごすのか、互いに語り合う機会になればと思っています。これは私の提案ですが、今回の同窓会の記念に、2冊目の文集を作ってもいいかと思っています。最後の日、皆さんと決めたいと思いますので、よろしくお願いします」少し変色したベージュ色の文集を小幡は手に持ち上げていた。 

小幡は生真面目なところがある男だった。学生時代、酒を飲んで酔いつぶれることがよくあったが、朝に目を覚まして電車に乗ると、黙々と集中して本を読んでいた。元々、仲間と読書会を始めようと福永に持ちかけたのも彼だった。幹事役を引き受けた小幡は、今回、故郷の勉強会を始めるつもりで旅のプランを組んでいた。

「小幡、今回は色々と準備をありがとう。いい旅にしていこうよ。みんな、会社人生、家庭、これまで色々とあったと思うけど、これからの長い人生、どう過ごしていくのか、みんなと話をする機会ができて嬉しいよ」福澤がそう言うと、他のメンバーも頷いた。

集まったメンバーの中で、福澤は高校時代からいつも一目を置かれる存在だった。最後に彼が一言を言って、場がまとまることが多かった。

学生時代、東大の剣道部で主将をしていた福澤は、先輩の中に経営者や官僚、政治家がいて、若い頃から日本の中枢を担う人たちと接する機会があった。そして、上場企業のトップを務めてから、各界のリーダーと間近に接し、自分なりに感じるところがあった。戦後の復興を牽引した世代や団塊世代を継いで、今や自分たちの世代がこの国を担っている。優等生ではあるが、危機を打破し新しいことを切り拓く力に欠ける、と彼は同年代のリーダーたちを見て感じていた。自分の企業家人生に悔いがないわけではない、しかし、これからは本当に自分がやりたいことに打ち込んでみたい、故郷の友人が声をかけてくれ、余白の時間を作れたことは何より有難いと福澤は心から思っていた。

「小幡君、私からもお礼を言うわ、今度の機会を作ってくれて。私は皆さんとは違って、アートの世界だけで生きてきたけど、アートの業界もお金、お金の世界になって、本来の姿からだいぶ外れてきてるのよ。私も、もう一度、社会にとってアートがどのくらい大切か、考える機会にしたいと思って楽しみに来ました。世の中、人生100年時代というじゃない、アートは皆さんの人生を豊かにすると思うのよね。何か興味があれば何なりと、お尋ねください、私、少しお手伝い出来るかもしれないわよ」

独立した岩田は個人事務所を開いていて、若い芸術家と積極的に交流していた。コロナの後、これから世界のアートがどこへ向かうのか、模索しているところだった。  

「俺も選挙区から離れるとちょっとほっとするんだよね、この何日間が楽しみ。女房からあなた、珍しく嬉しそうな顔をして家を出ていくわね、と言われちゃったよ」鹿児島からやってきた朝吹は満面の笑みを浮かべていた。

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