柳基善 Kisun Yoo

九州のトラベルデザインに取り組んでいます。地域の歴史や文化の再発見をテーマにした紀行文…

柳基善 Kisun Yoo

九州のトラベルデザインに取り組んでいます。地域の歴史や文化の再発見をテーマにした紀行文やコラムも書いています。クレアティフ代表。福岡市在住。大分県中津市出身。

マガジン

  • コラム 地方の観光を考える

    観光立国を目指す上で、外国人旅行者の地方への誘客が優先課題の一つとなっています。また、地域の自然や歴史・文化資源を見直し、付加価値の高い宿泊や食、体験づくりが求められています。こうした課題について、日頃、考えていることをコラムにしてまとめました。これまで、日本経済新聞、西日本新聞、佐賀新聞等に一部は掲載されています。是非、ご意見やご助言がございましたら、よろしくお願いします。

  • 九州の紀行文 歴史や人物の観点から

    九州の神社やお寺、博物館や美術館などを訪れ、感じたこと、考えたことを文章にしました。古くから九州はアジアや欧州に向けての玄関口、外国との様々な交流の歴史がありました。鹿児島は隼人から明治維新、宮崎は神話の里、沖縄は万国津梁、熊本は城のこと、長崎は出島、大分は大友宗麟、佐賀は大隈重信、福岡は大宰府など、色々なトピックを取り上げました。九州各地を回りながら、魅力を再発見した習作です。是非、ご一読ください。

  • エッセイ ふるさとの再発見

    高校を卒業して40年ぶりに戻った故郷、中津市で感じたこと。城下町や宇佐神宮の祖宮と言われる薦神社、耶馬渓などを訪れて考えたこと。黒田官兵衛、福澤諭吉、唐揚げの聖地で有名な町に思うこと。これらのことを綴りました。昔、西は博多、東は中津と言われて栄えた商業都市。慶應義塾関係者でなくても、是非、一度、訪れてみてください。中津駅を出て、城下町を歩いて一周しても1時間程度、耶馬渓ではサイクリングもあり。山国川の恵みの鱧の料理もお勧めです。

  • 小説『英彦の峰の気を負いて』人生100年時代に

    九州の一地方都市で、この年65歳になる登場人物が、故郷を再発見し、自分の原点を探る旅を始めた。男女7名の高校の同級生が、故郷の大分県中津市に集まった。 メンバーは1970年代の末、東京で青春を共に過ごした仲間だ。 それぞれの職業は、経営者、国会議員、弁護士、新聞記者、キュレーター、保険営業員、そして起業家だった。 中津市は名将、黒田官兵衛が開いた城下町であり、福澤諭吉の出身地である。 近年は唐揚げの聖地として有名になった。 中津に特色がないわけではない。ただ、知られていなかった。 故郷への旅の後、メンバーはそれぞれ第2の人生に向けて、新しい歩みを始めた。 一人だけ不参加の同級生は友人たちに何も告げず10年前に旅立った。 そして、この年、彼が妻に託した友への手紙が開封された。 メメント・モリ、彼の沈黙と不在の意味は何か? 生きるとは、死とは、幸福とは、そして、故郷とは何か、、、

  • ショートショート

    自由なテーマの短編小説を載せています。

最近の記事

  • 固定された記事

訪日観光客を生かす 交流深め、関係人口創出へ*

*西日本新聞2023年7月9日「オピニオン」欄より  先ごろ政府は新たな観光立国推進基本計画を決定した。新型コロナウイルスを巡る水際対策は終了し、国内では観光復活に向けての動きが加速している。世界中で日本の食や文化への関心は高く、最近の海外の調査では、旅行先として日本が上位を占めるものも出てきた。先の計画には、インバウンド(訪日客)の地方分散の方針が打ち出されており、本格的な地域観光の時代が到来した感がある。今後、訪日観光客を地域の発展にどう取り込んでいくのか、自治体や民間

    • 小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑯

      銀座のギャラリーで 11月最後の週末、銀座の並木通りにあるギャラリーで、岩田郁子は橋本雅子と待ち合せをしていた。韓国の女性アーティストの個展が開かれており、岩田が橋本を誘った。狭い会場だったが、10数名の客が熱心に作品を鑑賞していた。和紙のような素材の紙で作られた箱状のカバーが天井から幾つも吊り下げられ、内側から豆電球の光が照らされていた。赤や緑の葉っぱの文様が浮き出て、暖かい雰囲気を醸し出していた。 「今年も紅葉は見に行けなかったけど、こちらの作品を見てたら、何か紅葉を

      • 小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑮

        秋 東京日本橋 「ねえ、明日の晩、急だけど、日本橋あたりで集まらない、私、ちょうど予定がなくなったから、時間ある?」 初秋の頃、橋本雅子の声がけで、平田厚と和田裕二の三人が日本橋の小料理屋に集まった。三人が顔を合わせるのは2月以来だった。 「久しぶり、元気だった?みんなで集まってから、もう半年以上経ったよね。その後、どうしてた?」席に着くなり橋本が声をかけた。 「そうだね、早いね、あれから結構、みんなに変化があったよな。やっぱり今年は俺たち65歳になるから人生の節目だ

        • 小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑭

          日本民芸館と小鹿田焼 岩田郁子は井の頭線、駒場東大前駅近くに、ずっと学生の頃から住んでいた。何度か住む家は変わったが、東大教養学部の校舎が近くにあり、緑も多く、散歩する場所にこと欠かなかった。イギリスから日本に戻った後、購入したマンションも同じエリアだった。  日本民芸館は駒場東大前駅から歩いて10分ほどのところにあった。 2月の同窓会以来、この民芸館に、岩田は度々訪れるようになった。岩田は西洋美術を専門にしていたが、故郷で武田由平の版画の世界を見て以来、身近にある日本の

        • 固定された記事

        訪日観光客を生かす 交流深め、関係人口創出へ*

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        • コラム 地方の観光を考える
          8本
        • 九州の紀行文 歴史や人物の観点から
          11本
        • エッセイ ふるさとの再発見
          3本
        • 小説『英彦の峰の気を負いて』人生100年時代に
          16本
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          2本

        記事

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑬

          取締役会議 「パパがね、今度、退任するのよ、今年の秋はニューヨークに行けそうよ。もう、随分、行ってないわよね、マミちゃんと会うのも3年ぶりかしら」 福澤の妻、真理子は娘とSNSでビデオ会話をしていた。娘は夫の仕事でアメリカに滞在していた。孫が一人、4歳になる女の子がいた。 「そう、前にパパからも聞いた。何か、少し嬉しそうだったけどね」 「そうなのよ、もう、企業経営はやることはやったから、これからは自分の好きなことをやるんだって。まあ、私が何を言っても聞く人じゃないから

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑬

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑫

          英彦の峰の気を負いて  四日目の最終日、全員が朝早く母校の校門前に集合した。七人の卒業生は校内をしばし散策して、近くの山国川の土手にあるカフェに向かった。 朝の陽射しは出ていたが、土手に出ると吹き曝しの風に一段と寒さが増した。メンバーはコートの襟を立て、手はポケットの中だった。遠方には、英彦山の稜線が目に入り、眼下には、蛇行する山国川の流れを見渡せた。全員が景色を眺めながら無言で歩を進めていた。 小幡は高校の校長と話をして遅くなり、近道から土手を見上げて、仲間の姿を追った

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑫

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑪

          青の洞門と禅海和尚 「郁子ちゃん、『恩讐の彼方』って読んだことがある?菊池寛が書いた、もう百年前の小説だけど」平田厚は車を運転しながら、助手席に座る岩田郁子に話かけた。 「もちろん、だいたいの話は知ってるわよ、青の洞門にある洞窟は禅海和尚さんが鑿で掘って道を作ったのよね。禅海さんには、主君殺しという重い罪があって、その罪を贖うためだったと思ったけど、ただ、小説は読んだことないわ」岩田郁子が答えた。 「それと、確か、江戸にいた主君の子どもが和尚を探して、親の仇うちに来るの

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑪

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑩

          羅漢寺にて 30分もかからず羅漢寺の駐車場に到着した朝吹は早速、急な石の階段を上り始めた。 羅漢寺は、幼い頃から祖父や両親によく連れて来られた場所だ。仁王門を抜け、山門を通り、朝吹は本堂へと急いだ。 「住職さん、お久しぶりです、お変わりなくお元気そうで」  寺の洞窟の中にある「無漏洞(むろどう)」には千体以上の石仏が鎮座していた。朝吹は、洞内の高い檀に座る住職に下から声をかけた。 尼僧の大山住職は二十八代目で、10年近く前に代を継いだばかりだった。 朝吹より10歳以上若

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑩

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑨

          母校へ 高校時代、福澤は剣道部の主将を務めていた。母校の校長に剣道部の後輩がなったと聞き、福澤は昼食後、母校に向かった。 あいにく学校は休校で、生徒の姿は見かけなかったが、修学旅行の引率から帰ったばかりの校長と話ができた。 「お久しぶりです。休校とは知らず申し訳ない。修学旅行はどうでしたか、お疲れさまでした」福澤は校長室の応接の椅子に深く腰掛け話を繰り出した。 「前半は北海道、後半は東京ですわ。お陰様で生徒は誰もコロナにかからずほっとしました。一人でも感染者が出れば帰

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑨

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑧ 

          筑紫亭の夜 門から少し出て、一行の到着を待っていた女将が挨拶をした。 「皆さま、ようこそ、お越しくださいました。女将でございます。今日ははるばる遠方からのお出ましで恐れ入ります」 福澤通りから、少し脇道に入った一角に料亭はあった。年月を伝える竹の塀で覆われた料亭の佇まいは、周囲と隔絶して、そこだけ歴史が息づいているような趣があった。 「女将さん、お待たせしました。今日は同級生と参りました」小幡が前に出て挨拶を返した。 やや薄暗い料亭の庭内に案内されると、水打ちがなさ

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑧ 

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑦

          福澤諭吉旧居・福澤記念館 蓬莱観を出た一行は、中津城の天守閣を左手に見ながらお堀端を歩き、一級河川の山国川が見渡せる土手へと出た。黒田官兵衛が開いた中津城は日本の三大水城と呼ばれ、城の内堀は川、海へと繋がっていた。江戸時代、河口にある中津港からは周防灘を経て瀬戸内海を通り、畿内へと最短距離で行ける水運があった。 「官兵衛は昔、この中津の地の利を生かして、関ケ原の戦いの情報は真っ先につかんでと思うよ。あの時、官兵衛は隠居を辞めて、瞬く間に9千人の兵を募り、九州の大半を制覇す

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑦

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑥

          珈琲と木村記念美術館 岩田郁子の実家は江戸時代から続く藩医の家だった。家では子供たちが医者になることは当然のこととされていたが、二人の兄がすでに医学の道に進んだこともあり、郁子は、自分は好きな絵をやりたいと親を説得して美大に入った。 郁子が絵に関心を持つきっかけは、中津出身の洋画家、糸園和三郎の絵が自宅に何点かあったのが一因だった。 一九一一年生まれの糸園は、十代で上京して画家を志し、戦前はシュールレアリストの若手新人として注目を集めていた。東京で戦災に遭い、戦後は一〇年

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑥

          人生100年時代 都を離れ、地方へ出よう 

          先に発表された総務省の統計によると、65歳以上の高齢者の就業率は25.2%だった。 年齢別では65~69歳が50.8%、70~74歳は33.5%、75歳以上は11%であり、この10年間で65~69歳は13.7ポイント、70~74歳は10.5ポイント、75歳以上は2.6ポイント、それぞれ上昇したようだ。 国立社会保障・人口問題研究所は、今後10年で、生産年齢人口は1千万人減少すると予測している。 国や企業は、女性や外国人に加え、高齢者の就業を更に促進する方策を考えるべき

          人生100年時代 都を離れ、地方へ出よう 

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑤

          薦神社へ 二日目の朝は空気が澄み、天気も晴れ渡っていた。道路の雪はほとんどが溶けていた。 中津市は江戸時代、港のある商業都市として栄えた町だった。城下町の街中を海風がやさしく撫でていた。 2月の冷気が足元に忍び寄る中、小幡は少し厚めのウェアを着込み、早朝の日課であるジョギングに出かけた。朝はまだ早く、通りに人影はなかった。小幡はゆっくりとしたペースで城下町を縫って走った。高い建物がないので視界が開け、道路はフラットで走りやすかった。小幡はイタリアの地方にある旧市街を、昔

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑤

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋④

          「さて、酔っ払う前に、明日からの予定を説明します」 幹事の小幡次郎が日程表を配りながら話を始めた。 「明日の午前中からお昼までは、それぞれ久しぶりの故郷で、色々と用事もあると思いますので自由時間にします。午後2時に、中津市歴史博物館で集合しましょう。場所は確認しておいてください。そこで1時間ぐらい滞在してから、近くの蓬莱観で休憩し、中津城、福澤記念館に徒歩で移動します。その後、寺町を通って、筑紫亭で夕食となりますが、宜しいでしょうか?」 「了解、異議なし!俺はやることない

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋④

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋③

          福永光男のこと 渋谷の喫茶店、バトーでの読書会は福永が主宰していた。彼は世話好きで、いつも飲み会の幹事役だった。高校時代から彼は会話の中心人物だった。体格は中肉中背で、高校生にしては老けた顔をしていた。人の物まねが得意で、受験勉強で退屈な高校生活の間、周囲を楽しませたのが彼の声帯模写だった。高校の先生はすべて彼の話芸の標的になった。大相撲の貴乃花やプロ野球の張本選手も得意で、彼らの真似が始まると、自然と周りに輪ができ笑いの渦が起きた。福永が受験生の憂さを晴らした恩恵は同級生

          小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋③