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だから「またね」って言った (2/17)



雑記

〝自分の解像度が少しだけ上がる瞬間〟ってちょっと嬉しいですよね。

最近の出来事で言うと、恋人から勧めてもらった『カルテット』を観て「俺って会話劇が好きなのかもなあ」って気付けた時が嬉しかったです。

あと、人よりも食事中に飲む水の量が多いってこととかも最近自覚しました。

こういうことに気付くのって生活の小さな豊かさに繋がる気がして楽しいです。



2/17(土)


知らない天井で目を覚ます。
少し焦ったあと、「昨日の夜から愛媛のおばあちゃんの家に来ているのだった」ということを思い出した。

階段を降りる。居間の扉を開けると、先にばあちゃんと姉が起きていた。昔は俺が2番目に起きてたのにな、と少し悔しい気持ちになった。

朝ごはんを食べ終わったらこたつの中でダラダラした。おばあちゃんの家に来たとて、特にやることはない。でもだからこそ、このダラダラする時間が許されてる気がする。つまり、この時間は嫌いじゃない。

12:00。母を含めた4人で焼肉屋さんのランチを食べた。

おばあちゃんは寿司御膳、姉は石焼ビビンバ、母はそばとヒレカツのセット、俺は鉄板焼きの定食を頼んだ。なんかメニューが豊富すぎたらむしろ不安になる。(おいしかったです)

🐮



軽い買い物を済ませて、藁のマンモスを見に行った。「藁のマンモス?」と思うかもしれないが、愛媛県には藁のマンモスが居る。それもそこそこ大きい。

🐘

それが、この子たち。


この子たちは田舎の田んぼ道に急に現れる。決して観光地めいた場所でもマンモスで有名な土地でもない。普通の田んぼに急に現れる。

誰かの「藁でマンモス作ったら楽しいんじゃね?」という思いつきで作られたに違いない。
どう考えても、おかしい。だが、同時に毎年楽しませてもらってるから「ありがとう」と言いたい。

自分たち以外の人が居ないのをいいことに、マンモスの前でジャンプして写真を撮った。マンモスの周りを走ったりもした。今年で23歳になるっていうのに。



18:00。叔母と叔父も合流して、おばあちゃんと母の誕生日会をまとめて行なった。俺の記憶の中でおばあちゃんの年齢はずっと66歳で止まっているのだけど、どうやら今年で80歳らしい。月並みだけど、ずっと元気に生きていて欲しい。

🦀
🎂

蟹とケーキを食べた。誕生日の煌びやかさをそのまま具現化したかのようなメニュー。もちろんどっちも美味しかった。


みんなおしゃべりだから中々喋る隙がない。6人で話してると思ったら2:2:2で話が進んでいたり、年長組が懐かしい話をしてるかと思ったら急に叔母と姉がコスメの話を始めたりする。蟹を食べながらでも全然みんなうるさかった。




全員が騒がしい中で、ずっと「次ここに来れるのはいつなんだろうな」と考えていた。

俺は4月から東京へ行く。実家へは帰れるとしても、愛媛には来れるんだろうか。

別にこれに限った話ではない。
あの友達と次に会えるのは?あのお店へ次に行けるのは?きっと二度と会えない人も居るだろうし、二度と行けないお店だってあるだろう。

まだこの事実に実感が湧いてないから寂しくないし、寂しくないってことはこの別れを噛み締めることも出来ない。だけど、実感がないなら無理に噛み締める必要も無いかとも思った。


叔母と叔父が帰る時、2人に向かって「またね」と言った。

また会えるかは分からないけれど、また会いたいからそう言った。本当に別れが来るとしても、この言葉がそれへのささやかな抵抗になればいいなと思った。


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