「安心」できると「表現」ができて、「居場所」につながる、のかな #わたしとcotree

平成30年度最後の日、明日から平成31年度だそうなので、考えていたことをパパっと書いてみます。(ちなみに、今日は「平成最後の日」ではないらしいですよ。)

オンラインカウンセリングのcotreeの平山さんのnoteを拝読しました。

板野さんは一度だけcotree社のオフィスでお会いしたくらいで、あとはTwitterやメールでユーザー会の丁寧な連絡を頂いたことがありました。

なので、Twitterで板野さんの歌を聞いた時に、こんな力強い表現をする人なんだ、っていうことにびっくりしました。平山さんが書かれている通り、「やさしくて脆そう」という印象。

ユーザーとしてしかお会いしたことがないので、cotree社内部のでの様子とかは正直よくわからないのだけれど、たくさんの葛藤や辛さもあったんだろうと思います。脆さがあるのならきっと余計にそう。生来のものか、学校生活の中か、インターンの中でのものかはわからないですが・・・

彼女はそんな辛い中で、一つ一つのことに向き合って解決し、変わろうとしたんだろうことは想像に難くありません。

ただ、それと同じくらい「変わらなくてもそのままでもいいんだ」っていう「安心」を得たんだろうなと歌やTwitterを見て思いました。

変わらなくてもそのままでいいと思えるくらいの安心って自分はすごいことだと思っていて。

人や物理的な環境や情報が「変わること」を迫る中で、自分を追い詰めていくことがない。「自分は受け入れられている」と感じられる。特に多感な時期であり、否応なしに人と比べる時期に、なかなかできることじゃない。
(というかオッサンの自分もできてないので、頑張んなきゃ・・・)

そうして、人と比べず「安心」ができた結果が、冒頭のnoteの歌みたいに自分らしい「表現」になるんだなあって。

それも、たんなる「つぶやき」じゃなくて、自分で感じて、自分で考えて、手垢のついた自分の言葉で、自分らしい手段で、「表現」する。

だからきっと平山さんにも、いろんな人にも響いたんだろうなって思います。

その結果が下のツイ。

「安心」を胸に、自分らしい「表現」をした人の周りには、「居場所」ができてる。板野さんや平山さんを見てて、そんな風に感じました。

逆説的だけど、「変わらなくてもそのままでいい」と思える安心があることが、変わっていくための力になり、自分らしい表現になっているんだなとも。

自分が長年焦がれていてもできなかったことを軽々とやってのけてて、眩しいなあ・・・と思いつつ、でもそんな姿に、「じゃあ自分ならどうする?」なんてこともこの1週間考えていたり。

櫻本さんが「変わらなきゃ」と思ったら、先に安全な居場所を確保したほうがいいというnoteを書かれていたけど、それがもし変わるためのスタート地点なら、変わることができた、というゴール地点に達した人(の一人)はたぶん板野さんでしょう。

そうして「居場所」を作れた人は、きっと次の場所にも「安心」して挑戦できそうな気がします。


明日から新年度。

「変わりたい」「変わらなきゃ」の波に(良くも悪くも)飲み込まれる中で、板野さんの姿から学べることもありそうです。

いっちょ、新年度がんばりますか。