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仮想的な「民主主義」の土地について

https://ja.wikipedia.org/wiki/岩崎弥太郎

-財界という実体のない「ブランド信仰」-

三菱財閥の始祖は、本当に素晴らしく厚かましいくらいに生きることに執着した上、何かのチャンスを常に狙っていた人物だと僕は評価している。

幕末の土佐藩には、戦国時代に四国を統一していた長曾我部家の武士階級が元来の住人であったようだが、その後、江戸幕府によって山内家がその上位階級を構成するようになる。これは、江戸末期まで続く土佐藩の武士階級の二極化をもたらした。いわゆるあとから統治階層になった「山内家」の武士階級を「上士」(じょうし)というし、長曾我部家の残党が「郷士」(ごうし)(下級武士階級)と、その階級制度は相当に厳密だったといわれる。中間に例外的に「白札郷士」(郷士がまれに山内家の当主に謁見できる身分)がいたくらいだ。

三菱財閥の始祖は、江戸時代にはその「郷士」階級より下位に位置する「武士なのか何者か?」と明確に所属を問われるくらいに、位置するものだった。そのため、岩崎の行動は常に「成りあがる為の意識と行動」と言われても仕方ないところがあるだろうと思われる。

そのハングリーさや、手段を択ばない手法は「江戸時代」には稀有な存在だったとうと思われる。


かの坂本龍馬は、下級階層の「郷士」であったが、「郷士」には半ば「町人的」な意味での自由があったといわれる。坂本家はそれに代表されるように、資金に困ることはあまりなかったようだ。ただ、それより下位の「地下浪人」であった岩崎には、その機会すら最初はなかったのではないか。

そのような環境要因のなかで、岩崎が試みる選択肢はあまりない。つまり「上位階層」に接触し、「気に入られ」「使える」と思わせることだ。それをやるには、徹底的に上位階層に対して「へつらう」必要があったのは言うまでもない。それに耐えたり(もしくは元来耐えているつもりもない日常動作かもしれない)することは一般的には考えにくいが、坂本龍馬がの手紙には恐らくそのような事が記載されているかもしれない。※坂本龍馬の研究の基本は姉である乙女への数々の直筆の手紙だ。

さて、そのような幕末の環境からあの財閥を作り上げるのは流石というべき、才覚と「熱量」だったのだろう。

サッカーの試合を見ていると、岩崎は「ワールドクラス」であるのは理解できる。サッカー選手のワールドクラスというのは、そのような環境下でボールひとつで世界への道が用意されていることだからだ。ある意味、日本の伝統的な文化から外れて生きていたと考えやすい。だから世界的な組織を形成できたのでは?(その後の世代は???だが)

長くなりそうなのでそろそろ書くべきことだが、時代の転換点である「明治維新」は、支配層が入れ替わった「クーデター」だ。民衆レベルからの突き上げで世の中が変わったわけではないからだ。「維新」とはそのようなものだし「維新」という言葉にはそういう意味が含まれている。「革命」で権利を得た「民主主義」の国では元来ないのだ。それは戦後も同じだ。そして現在も、「維新」という名は我々を見ていない。

「明治維新」というと、何かとても「革命的」な事が起きたように言われがちだが、現代の日本を見て明らかなのは「権益」のスライドが起きただけであり、民衆・庶民に起きた変化は支配者層の変化に比べて、明らかに「微細」なものだ。だから「民主主義」など実際には存在していないし、「上意下達」でこの島は動いている。

例えば、自民党のこのところの動きを見て、より明らかになったのは「政治家は我々を全く見ていない」という事だ。それも当然であり、その基を築いたのは、維新の「岩崎家」や「下級武士」の残党に他ならないのだ。そもそも財界と政治の構造的癒着は「維新」から始まっている。
それから、百数十年が経った。そこに見えるのはシンプルに岩崎や下級武士のもっていたエネルギーがガス欠になった「現状維持」「権益の保全」そして「偽物のブランド主義」だ。そして我々庶民も唯一の権利たる「投票」にいかない。たぶん、支持する/しない以外にも投票によってできる手段がわからないのだろう。

最終的に言うべきことは明治以来「政界に本物はいたか?」という事なのだ。さらに言えば、産業界に「本物」はいるか?という事だ。自動車産業では、いまだに「蒸気機関」を使う事に執着し、世界はとっくにクリーンエネルギーに転換している。しかし、この島では誰も率先してやらない。

それ以外にも、諸々の要素が絡まりながらこの島国は閉鎖的にならざるを得なかったのだが、それを詳しく言う専門家はいない。例えば、希望が見えない島で「子供を増やせ」といっても「ひと」という動物の「無意識」層のメンテリティは「No!」と、無意識に云っているのだ。

政治はそろそろ、世襲に制限をかける制度を作った上で、民衆に近い感性と「本来」「何をすべきか」考えるべきだろうと思う。

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