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流れる水のように、夏の松本を歩く

湧き水に誘われて

 高速バスに揺られること数時間。松本駅に降り立って、ふぅ、と一息つくと、吸い込んだ空気が軽い気がした。梅雨があけたばかりの暑い日だけれど、私の住んでいる街よりも標高が高いせいだろうか。あたりまえに山が見える景色が新鮮だ。

 電車で松本までやってきた友人と、改札で待ち合わせ。「久しぶりだね」なんて会話もそこそこに、荷物を預けて早速街に出る。路地裏を抜けて最初に向かったのは、かつての繁華街だという「うら町」。今も営業しているのかな? 時代に取り残されたようなレトロな看板や、細い路地がたくさんある。「見て見て、あれなんのお店だろう」と歩き回るだけでも楽しい。

 歩いていると、大きなタンクを下げて歩く人を見かけた。「なんだろうね」と話していると、今度は台車に水のつまったタンクを積んだ人とすれ違う。ちょうど、友人が行きたいと言っていたお酒屋さん「善哉酒造」がある方向だ。向かってみると、お店の前に泉があった。一人、また一人と、大きな水のタンクやマイボトルを持った街の人が水を汲みにくる。こんこんと湧いている水は、いかにも冷たくておいしそうだ。

 遠巻きに眺めていると、水を汲み終えたおじちゃんが「ここの水はうまいよ、これを使うといい、飲んでみなよ」と柄杓を手渡してくれた。聞くと、この近所に住んでいて、毎日水を汲みにきているらしい。

 ちょうど、持ってきたボトルが空になりかけていたので、私も水を汲んで少し飲んでみる。友人にも分けてあげると、「ん?なんかちょっと甘いね」とごくごく残りの水を飲み干した。「たしかにそうかも」なんて話していたら、「お外暑いでしょう、中入ってらっしゃいな」とお店のおばちゃんが声をかけてくれた。お手製の梅漬けをお茶請けに、湧き水で淹れたという緑茶をいただく。

「このあたりにはいくつか湧き水があってね。水の味も、水質も違うのよ。ここの水は優しい水だから、お茶とか、お味噌汁、お米を炊くのにもいいね。お料理によって水を使い分けると、いつもの食事がもっとおいしくなる」

「なんでもうまいけど、ここの水で入れるコーヒーは絶品だな。俺、コーヒー淹れるのこんなに上手だったかな?って思うくらいだよ」

 さっき柄杓を手渡してくれたおじちゃんも加わり、みんなで話をする。知らない街、知らない人たちなのに、なんだか親戚の家にでも遊びにきたみたいな時間がゆったりと流れる。

なかなか決められないアイスクリームのフレーバー

 うら町を抜けて、女鳥羽川沿いのお店でお昼ご飯。ツタに覆われた外観が気になった「三代食堂」は、山盛りのご飯がでてきて驚いた。普段は少食な友達が、「ねぇ、お米だけでもおいしいよ。もしかしてこれも湧き水で炊いてるのかな?」とご飯をかきこむ。

 ふくれたお腹をさすりながら、食休みの散歩がてら今度はなわて通りに向かう。午後は日差しが出てきて、さすがに暑くなってきた。水色の「ICE CREAM」の看板に引き寄せられて、ふらふらと「Mount Desert Island Ice Cream」に入る。

「どうする?ダブルにしちゃう?トリプル?」
「信州味噌とキャラメルが気になるけど……。色味が茶色すぎ?」
「あ、アプリコットは長野県産みたい。こっちはきゅうりライムだって」

 ジェラードのショーケースを眺めてあーだこーだ話していたら、店主のおじいちゃんに「食べたいもの全部食べなさい!したいことは全部する!」と満面の笑みで試食のスプーンを差し出された。アイスの話だとわかっているのに、なんだかハッとしてしまう。

 なわて通りのお店を物色しながらぶらぶらしていたら、ちょっと前を歩いていた友人が「あっ」と声を上げる。見ると、「SAKE PUB」の看板が道に出ていた。こんな明るいうちからパブ?営業時間が13時から19時と書いてある。日本酒好きの友人が、行ってみようよ、と腕を引っ張る。いや、私、日本酒はちょっと、と言いかけて、さっきのアイス屋さんのおじいちゃんの言葉を思い出す。「したいことは全部する!」。……よし、行ってみよう。

美しいと感じたものを、そっと拾い上げてみる

 ガラス製のドアを開けると、明るい店内で何人かのお客さんがのんびりとお酒を飲んでいる。マスターのおじさんが優しそうな顔をしていてほっとする。メニューには、お酒の名前がずらり。「おすすめをください」と頼むと、グラスでスパークリングの日本酒が出てきた。一口飲んでみると、しゅわっと華やかな香りが鼻を抜ける。酒蔵から直接樽で仕入れているお酒らしく、同じお酒でも瓶詰めしたものとは全然味が違うらしい。

 友人は、いつのまにか隣の席のお兄さんと談笑していた。地元の常連さんかと思ったら、遠くから来ている人らしい。松本に来るときは、いつも明るいうちからここで飲み始めるんだという。マスターのおじさん曰く、一軒目のいい空気が好きで、あえて暗くなる前に店を閉めるんだと教えてくれた。こんな時間にお酒をゆっくり飲んだのは初めてかもしれない。日本酒は苦手だったはずなのに、別のお酒も試してみたくなる。

 お酒でほんのり気分がよくなったところで、中町通りの方にも足を運んでみる。石造りの道に、蔵造りの建物。松本は、工芸品とクラフトの街でもあるらしい。とはいえ、一点もののいいものを買うのはまだ私には早いかなぁ。

 でもせっかく来たし、ちょっと覗いてみようかな、くらいの気持ちでお店の一つに入ってみた。お店の奥は工房になっていて、カップルらしい二人組が器かなにかのオーダーをしていた。店内に並ぶ商品の一つ一つに、手書きの説明が添えられていて、ついじっくり読み込んでしまう。ふと、小さなガラスの一輪挿しが目に留まる。最近、摘んできた野草を部屋に飾るようになった。いつもは空き瓶に活けていたけれど、これに活けてみたら……。

 旅先だから、というのは、いつもはしないことをする言い訳になる。手に取った一輪挿しを、そのままレジへ持っていく。会計をする前に、店主が自分の携帯電話を取り出し、「僕の家ではこうして使っているんです」といくつか写真を見せてくれた。さっきまで棚に並ぶ「工芸品」だった器が、すっと暮らしに溶け込む。

もらったショップカードには、

美しいと感じたら そっと拾い上げ
そこに在る真実を見つめよう。

と書いてあった。外で待っていた友人に、「買っちゃった」と袋を掲げると、「いいじゃん、旅の思い出になるね」と笑ってくれた。さて、このままふらっと飲みに行くのも楽しそうだけれど、日が落ちる前に今度は次の目的地へ向かう。きっと夜は賑やかになるであろう松本の街をあえて離れて、自然の中で過ごす計画だ。

 少しぬるくなったボトルの湧き水を飲み干して、バスに乗り込む。次の場所では、どんな出会いがあるだろう。バスの車窓から見える木々の緑がどんどん深く濃くなっていく。

<今回訪れたスポット>
・善哉酒造
・女鳥羽川
・三代食堂
・Mount Desert Ice Cream
・THE SAKE PUB SHINSHU MATSUMOTO
・唐変木

<Kita Alps Traverse routeとは……>
 東西南北の分水嶺である北アルプスによって異なる二つの文化圏を持つ信州松本と飛騨高山。中部山岳国立公園を間に挟み、二つの市街地をつなぐ旅のルートが「Kita Alps Traverse route」です。

 日本文化を形成する営みの源となった、木と水、そしてそれを育む山岳の自然環境を五感で感じるとともに、さらに文化圏の違いを東西の「水平移動」と日本でここだけしかない標高差2,400mの「垂直移動」の両方の中に生きる地域の人々との交流を通じて堪能することができます。

 信州松本から飛騨高山というコンパクトながらダイナミックな文化と自然が、場所ごと微細に変化していることをゆったりとした時間の中で感じてほしい、それが「Kita Alps Traverse route」の旅です。

 連載記事を通じて、「Kita Alps Traverse route」を育む水と森、山と街、自然と人の共生の姿を発信していきます。 

Photo: 表萌々花
Model: Saki (Kita Alps Traverse Route PR大使)
Text: 風音


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