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俺は骨の髄までありきたりだ! #15 僕は褒められても伸びない

褒められて伸びるタイプですか?
いまやったらえれーことになるぞ、みたいな目に遭ってきた。
ぶたれたり叩かれたりさあ。書いた原稿投げつけられたり(笑)。「お前は才能なんてねえ!(お前に食わせる飯はねえ! の勢いで)」と言われ続けてきた気がする。というかいまもけっこうそう。
だが、褒めてもらったときも、「あったりまえじゃーん」なんてクソ生意気に天狗になっていた気がする。怒鳴られ、「なにおう?」と顎を猪木にして睨みつけ(そんなんだから余計怒られる)、立ち向かう、そういうときのほうが、自分の限界をちょこっと拡張させてきたように思えてならない。
性格の問題なのであろう。そしてこれを読んだからって俺を罵ろうなんて思わないでいただきたい。もう俺は若くないんだ! 
いまはパワハラだ! となるのでみんなそこまで怒らない、と思う。実際その方がいい。それぞれ冷静に対処すべきだし。でも、上の人は「これってパワハラかな〜」と怯え、部下は「それってパワハラですよね」を伝家の宝刀に隠し持っている気もしなくもない。まあ、いつかはそれぞれ慣れるし、いま部下だった者が指導する立場になったとき、きちんと「あたりまえ」になっていればいいと思う。というかなってくれ。
時代は一瞬でがらりと変わるが、人間はそう簡単に適応できなくて当たり前なのではないか。とくに、年を取れば取るほど。
清水ミチコさんが桃井かおりのモノマネしながら「ギャラとプライドばっか高くなっちゃって〜」なんて言ってたけど、年をとらずとも、いまはもう老いも若きも根拠のないプライドはしっかり持ってるので、あとはお互いのプライドを尊重し合うことなのかも。
たまに「わたし褒められて伸びるタイプなんです」と言う人がいる。
正直、それ言われると戸惑う。大袈裟に褒めてもなんだしね〜、というかそもそもなんでも褒めなきゃならんのかね〜とか。
大袈裟に失敗を責めるのは最悪だけど、だからといってやたら褒めるなんて僕はしない。褒められて伸びるというのなら、ぼくはそいつを褒めない(責めもしないですよ)。なにか技術や才能を伸ばしたいと自分が願い、自分で成長を認めていく。自分を褒める、のなら間違いはないけど、他人に褒めを求めすぎるのはよくない。そういうのはあとからついてくるものだし。
それを口走って、媚びるにしても情けないし、もしどこかで褒めることをカツアゲするみたいな空気を醸された日には、最悪だな、と思わず俺、露骨に顔に出るかも。
もちろん感謝は口にしますけど。
「褒められて伸びる」なんて軽口叩いているあいだは、まだ余裕なんだな。よかった、元気そうで、とだけ思う。
悲壮な面持ちでその言葉を言われたら、「今日は帰って寝な」と言うかも。自分自身を大事にしてほしい。
というわけで、僕、褒められて伸びるタイプなんでよろしくお願いします。

『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
急に読み返したくなるものがある。江國香織の小説がそれである。ちょうどいま、長いものを書いている途中なので、短編をあいまあいまに読んでいる。
なんとなくぽっかりと話を忘れてしまったころに、ああ、そうだ、読み返そうと思う。自分がばかなのか、というか記憶力がないのか。何度も読んでいるというのにどういうことだろう。
細かいディテイルは覚えている。たとえば「泳ぐのに安全でも快適でもありません」の冒頭の「無職で酒のみで散らかし屋で甘ったれの男」とか、「りんご追分」の早朝のトランペットとか。物語の筋ではない。いや、筋はあるようでない、もしくはこの作品集にとって、筋なんてものはさほど重要ではない。
主人公たち、まわりの人物たちの人生の一瞬を読む。もちろん、ちゃんと最後はきちんと落とし所に向かう。この人たちの人生が続くことを感じさせながら。
生活は続く。江國香織の短編は、そんな当たり前なことを、思い出させる。ときおりドラマがあったとしても、それだって過ぎ去っていく。
バランスをとりながら、間違っていたり、どこか外れてしまったとしても、現実はびくともしない。その揺るがなさのなかで、なんとか自分を保って生きていく。
選ばなかったものがよく見えるとしても、過去が美しく脳裏に蘇ったとしても、現実と自分が隔てられていると感じたとしても。


もしよろしければ!