見出し画像

円山公園の夜桜

 河原町のホテルを夜九時過ぎにでて、四条通を八坂神社まで歩く。人が多い。ここ二年ばかりやはり寂しかった。
 元にまでではないけれど、人が戻りつつある。まあ、混雑はできるだけ避けたいのだけれど、せっかくの春なのだから。

 向かう途中、木屋町通の喫煙所でたばこを吸おうと思ったら、空だったので、コンビニでタバコが売っていないかと花見がてら探しながら上った。やたらとみんな、カメラを向けている。
 4月あたまの京都にきてみて思ったのは、あたりかまわず桜が咲いているな、ということだ。東京とは段違いだ。東京の街に咲く桜は慎ましく、「場所とってすみません」といった風情だが、京都の桜はとにかくやけっぱちなくらいだ。東京が邪魔しない脇役ならば、京都は主役の貫禄がある。京都に住んでいたことだってあったというのに、気づかなかった。花見なんてことをまったくしなかったし、したいうとも思わなかった。どうせなにかと勝手に忙しくして見渡すこともなく、見たとしても、ああ咲いてるなくらいにしか思わなかったのだろう。キャッチのにいちゃんも、いつもより浮かれていて、笑顔の嘘臭さが少し薄い気がする。
 桜というのはどうも、ひとをゆるくさせるらしい。顔を緩ませるし、動きもぎすぎすしない。

 三条通まできて、やっとたばこを扱っている店を見つけた。戻るのもなんなので祇園をすこしうろついて、辰巳明神で「文章がうまくなりますように」とお参りした。いつも人力車に乗るたび通りかかっていた。いつか、と思っていたのだけれど、こういうタイミングで参拝か。祈り終えて振り返ったら、写真を撮るべく、僕が去るのを待機しているおやじがいた。

 八坂神社に入ると、「いらっしゃいいらっしゃい」という声が聞こえてくる。お化け屋敷がある。入り口でばあさんがマイクでいらっしゃいいらっしゃいとアナウンスしていた。何十年もやっています、といった貫禄がある。ときおりタライの落ちる音がなかから聞こえ、「ぎゃあっ」なんて声があがる。びっくりするのを楽しむために、みな恐る恐る入っていく。
いつも以上にずらりと露店が並んでいた。焼きたけのこに惹かれるが、やめた。若者たちが買い食いしているのを横目に八坂さんをお参りし、円山公園に入った。
 屋台を抜け、茶店の縁台で陽気に飲み食いしている人々を眺めながら、しだれ桜まで歩いた。外で人の目を気にせず飲み食いできるってのは幸せなことだな。昼間一人で歩きながらパンをかじっていたりしていると、どうも気まずくてかなわないし。そもそも大人なのだから我慢しろという話か。
夜12時までライトアップしているので、みんな余裕だ。
 ぎゃあぎゃあばかみたいに笑う女の子たち、そしてちんたら買い食いしながら歩く男たち。射的を失敗した男が、「ちくしょう」と騒いでいる。付き合いたてらしい仕事終わりらしきいでたちのカップルが、写真撮ろうよ、なんて言っていて、微笑ましい。
 立ち止まっている人はだいたい写真を撮っている。僕も池に浮かんだ桜を映えるように撮影したかったのだけれど、うまくいかなかった。
 奥のほうまでいくと照明も少なくなる。暗いなかベンチに座って桜を見ずにいちゃつくカップルとか、とにかくベストスポットを探そうとうろつく立派なカメラをもったおやじ。桜が目的だったり、口実にしたり、結局好き勝手していたり、さまざまだった。
 ちょっと山までのぼって、このありさまを上から眺めてみたら面白いだろうなあ。
 以前豊国廟まで行って山の上から清水寺を見たことがあった。清水の舞台でうようよなにかが蠢いていて、観光客というよりは虫みたいだったのを思い出した。

画像1


もしよろしければ!