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オンライン読書会・ユリちゃん推薦「腐女子のつづ井さん」


仕事の資料以外でほとんど読書ができていないのだが、友人とくだらない話をしたくなって読書会を開催した。私は今、動物医療や愛護に関して活躍された方の自伝の聞き書き(いわゆるゴーストライター)の仕事をしている。合間に、息抜きのために読んでいる「犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい」を今回のおすすめ本にしたのだが、忙しくて準備を全くしておらず「犬も猫もどっちも可愛いし楽しいの!」という発言に終始し「今日のらに子ちゃんはアホなのかな?」というみんなの顔が画面に映るのを見て楽しんだ。

今回ユリちゃんのおすすめした本が「腐女子のつづ井さん」だった。

この本、気になってた!ユリちゃんのプレゼンに、読む前から私は爆笑した。ボーイズラブが好きで恋愛経験が少ない、オタクのつづ井さんたち女子グループが、心の底から幸せを感じながら生きているエッセイ漫画である。早速ポチって読んだ。胸熱ポイントを取り急ぎあげる。
・マウントも嫉妬もない関係
・好きなものを楽しむための斬新なアイデア
(例:推しのいいところをラップにしてバトルする、イヤホンを鼻に入れて推しの声を自分の体から出す、ロフトの階段に登りオペラグラス越しにライブDVDを見て会場に来てる感を味わう、推しについて自分以外の人が発言しているコメントを読むため40代男性になりすましサブ垢を作って書く、等)
・いつも何かに本気で感謝している(推しがいることも、その話を聞いてくれる仲間がいることも、同人誌の材料となっている紙=木にも)
素晴らしい〜。子供の頃、私はこういう感じで仲良くしてくれるグループがひとつあって、そこにいる時が一番楽しかった。クラスに私しかファンがいないバンドの話を聞いてくれるだけでなく歌を覚えて一緒に歌ってくれたり、漫画のワンシーンを再現したり、時代劇ごっこをしながら学校生活を送った。誰一人モテなかった。しかし私は悪目立ちするタイプでもあり他校の先輩に呼び出されたり(もちろん告白ではない方の…)カースト上部に引き込まれたり嫌われたり、楽しいグループに常駐ができなかった。あの時代には二度と戻りたくない。

自分の好きな人(芸能人)を「当推し」と呼び、友人の好きな人を「御推し」と呼び、推しに似てるからちょっと好きになれそうな人を「推しのジェネリック」と呼ぶそのセンス。この漫画は、途中でタイトルの「腐女子」という言葉を変えて「裸一貫!つづ井さん」に変わる。自虐を辞める宣言をしているのがこちらの記事だ。

漫画がバズるにつれて「寂しいくせに」「強がりいただきましたw」などの攻撃が増えていき、自虐で身を守ることがストレスになってつづ井さんは円形脱毛になったそうだ。楽しんでる人たちを見て「そんなわけない」と攻撃する人がいる。「自慢している」と攻撃する人もいるだろう。なんてさみしい心なんだろうと思う。


昨年の今頃、友人がある有名カウンセラーにハマって、その人の本を私にすすめたことがあった。特に相談などしていなかったが、私が何か悩んでいると思ったのかもしれない。私はその本を読んで「これは、私はダメだ」と思った。人に対する愛がないのだ(個人の感想です)。わがままな人に「あなたは実は虐げられていて本来の自分が出せてない、もう我慢しないでいい」と言ってカタルシスを感じさせ、高額なセミナーに入会させ徒弟制度のようなものを作りもうめんどいなアムウェイ的なやつ。「自分にオッケー出していこうよ」とブログに書いちゃうようなやつ。浅いカタルシスをガツガツむさぼるあれ系の文章、書く人や読む人が救われているなら全然構わないんですけどうっかり読むとオエっとなるのであった。

だけど、それを良いと思っている友人に対して「私はムリぽ。」とは言えなかった。冗談で流したりリアクションを薄くしてみたが余計に白熱し説得されることになった(私も友達でい続けるために頑張ったのだが)。逃げれば逃げるほど、彼女は喋った。全く楽しくなかった。私が違う意見をいうこと、誘いを断ることが気に入っていないようで、もしかするとこれはマウントの一つかな、と思った。見ているととにかく人が離れていく人なのだが、それに対して「きっと彼女、拗ねちゃったんだよ」「私恵まれてて妬まれるから」で片付けてしまうことも苦しかった。

つづ井さんの漫画を読んだとき、彼女のことを思った。私のJPOP話を能面のような顔で聞き流していた彼女。彼女の「本来の私の才能や気づき」の話を聞いて耳がぼうっとしてしまう私。私が彼女から離れたのは、しかし趣味の問題じゃない。カウンセラーのせいだと思えたら気が楽だけど、そうじゃない。

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