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対話道の探究(5、音楽と対話)

私はコーチングを学ぶ前から
ヴォーカルのレッスンを受けていた。

ジャンルはジャズ。

上達するには
人の演奏を聞くこと。
自分もセッションに参加して、歌わせてもらうこと。

つまり、数をこなして慣れていくこと

ヴォーカルの先生は普段から、
セッションに参加して慣れると良いと、よくおっしゃっていたので、
当時、平日の仕事の後でもとりつかれたように
仲間とセッションに参加していたのだった。

コーチングを学び始めたとき
話し手との対話をセッションと呼ぶと知り
当時の私は、それだけで「ご縁」を感じたものだ笑

対話で聞き手と話し手がやり取りして
発見や気づきが生まれるのと

音楽の「今ここ」にしかない瞬間を共有し
演奏という作品が生まれる感じは似ている。

セッションは、一人だけのスキルだけがたけていても成立しない。
互いに耳を傾け、観察しながら、
それぞれの立ち位置から「今」の音を発して対話する。

コーチングの対話関係は、まさにそのとおり。
上下でも前後でもない、ともにある感覚。

敬意をもってそこにいること
否定や評価よりも、受け止めること、感じること
そして、反応を返すこと

ジャズのセッションに通っていた頃は、
とにかくもっと上手になりたいと思っていたし
譜面の書き方や、ミュージシャンにどう伝えるのか、
どれだけ声が出せるか
・・・
ずっと、どう見られるか、どう思われるかと、
評価されることを先行していた私がいて
互いにつくるっていう感覚は、
当然ながらゼロどころかマイナスの域にいた。

そんな私にとって、コーチングの協働関係という考え方は
音楽との向き合い方、
(ピアノも習っていたけど)
特にジャズヴォーカルでの自分のあり方を大きく変えてくれた。

そして、「上手い」「できる」の認識も変化する。

そのままの自分で、場にかかわる
演奏する、表現するのはこちら側だけれど

それが上手いのか、良いかどうかは
自分以外の人が決めてくれる。

コーチングでも、セッションの評価をクライエント(話し手)に委ねる、という考え方がある。
(誤解ないように書いておくと、基本的なスキル習得とトレーニングは必要。音楽とか何かしらの学びも同様で、こちらが何も努力しないということとはちがう。)

私が自分をあれこれ裁かないことで
リラックスして、良いパフォーマンスが生まれる。

そして、良い場になるためには
観てくれる人が発するエネルギーが大きく影響するってことも知った。

どちらかが「強」くても「弱」くても、良い空間にならない。

今回は歌のセッションを取り上げて書いているけれど

不思議なことに、
自分と楽器(ピアノ)、
書道をするときの自分と道具の関わり方でも
似たような感覚を覚えるようになった。

片方だけが力んだり、肩すかししたり
強引だったり、引き気味だったりすると
いい関係も循環も生まれない。

こじつけ、と言われたらそうなのかな?

だけど私は
音楽と対話の築かれていく過程は
介在するものは音楽と言葉で異なるけれど、
血縁関係みたいな気持ちを抱かずにいられないのだ。
(なんのこっちゃ)

ああ、連続投稿間に合わなかった(時間的に)
でも、私の中では連日で途切れてないので良し。



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