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「分からない」に素直に向き合うこと

夏休みの宿題はとりあえず最終日に解答欄だけ埋めて「やったフリ」で提出するタイプでした、こんばんは。1年の宿題の「やったフリ」的な投稿をギリギリで提出する。

あ、写真は高校の最寄り駅で思い出が詰まった「苗穂駅」です。11月に新駅舎が完成して、新しく、かっちょよくなりました。正直少し寂しい。古い駅舎には思い出が詰まっていたから。これもまた時代の変遷かね。

現在はといえば、チコちゃんを見て興奮する両親を見ています。そんな「まつり」です。僕の目の前にはカニと寿司とザンギが溢れています、ええ。おあいこ。お、aiko。実家のトイレは気づけば勝手に水が流れる仕組みが導入されていました。時の流れのように早く流れるよ、水が。やさしさとウォシュレットに包まれています。ねぇ、ユーミン、こっち向いて。サザンの希望の轍は中3の修学旅行のテーマソングでした。

あー、今年を振り返ります。振り返りが大切と口を酸っぱくして周囲の大人より言っていただいたので。
さて今年は「分からないこと」に正面から向き合った年だなと。そもそも俺は「分からないこと」を受け止めることがめちゃ嫌いなんですね。その状態をダサいと思ってしまうどうしようもないタイプなので。でもなんか、分からないですって言うと楽だということに気づいた。無知を認めることって難しいが、身を救う部分もあって。

いわゆる就活・キャリアの文脈もそう。社会が定義する「優秀」を目指してたこともあったし、世間がおもしろがるだろう「変態」みたいなものを目指したこともあった。でもなんか、全部ちげーなってなった。そんで、一番楽しそうな道を選んだ。この気持ちや意思決定の言語化はまだできていないが、それでいいのだと思う。だって、今が楽しいんだもの。なにが正解かは「分からないこと」なのだから。
ただなんかその、とっても幸せなことに自分の周りには「分からないこと」「難しいこと」「簡単には達成できないこと」に実直に一生懸命向き合う素敵な大人がたくさんいて。そんな影響も受けながら自分との対話を繰り返した一年だったなと思う。

そうやってひたすら自分と向き合ったからこそ、分かったこともある。自分の好きと嫌いだ。自分の好きは人が集っている空間をつくって眺めていること、ある意味では社会を俯瞰すること、うんうん唸りながら頭を悩ませて理想を考えること。そこに楽しさを感じるんでしょうね。ちなみに嫌いは不自由であることです、ゴミクソマイペースな点に関しては多方面にご迷惑をおかけしました。多分治らん。

ごりごりマーケティングの勉強したし、仙台若者アワードを通しての広い意味でのまちづくりも(これは事業が一旦の完結を迎えたときにきっちり総括したい)、北海道との関わり方も色んな所に顔を出したりして、全てにおいて分からないなりに一生懸命やった。あとなんか不勉強だった大学3年生までの時間を取り戻すかのようにめちぇめちゃ興味領域の本を乱読した。そうやって動いた。もがいた。楽しかった。
一生懸命やったが分からないことはまーだまだいっぱいある。ただ過剰に「分かりません」と表明する謙虚さや遠慮は逆に自分の身を滅ぼす気も一方ではしている。これはキャリア的な文脈で。したがって、「これは頑張りました」「これは自分の中で頑張りました」と胸を張って言うことが時には必要なんだろうなと思う。これはつまり落合陽一が言うところの「ポジションをとる」ことだと解釈している。

うーん、パッパの日本酒のおかげで泥酔しているのでまとまったことは書けないのだが、2019年もまじめにふまじめに。実直に、「理想」を追い求めながら、「分からないこと」に本気で向き合っていきたいですね。

あ、おかげさまで(?)術後の経過は良好で、MRIの結果、脳腫瘍の転移は認められませんでした。あと10年くらいは付き合っていかないといけない病気なわけですが、大好きな主治医との関係性を続けられることを幸せと捉えて生きていきたいものです。

そう、帰省すると「仙台に進学したことは正解だったか?」といった質問をされることが多いわけです。去年一昨年は正直胸張ってYESと言えたかはわからない。が、今は胸張ってYESと言えるわけです。それはなぜか。結局は人との出会いに尽きるのかなと思った。まる。

そんな感じで、結局はすすきのの街が好きな僕でした。
北の国へと。徒然なるままに、しんしんと。

語彙力アップのための書籍代に使用します。もっと下らないことを言えるように。