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魔王としもべ

無彩色の魔界の空に、一羽の黒鳥が飛んでいた。
鬼女の顔を持つその鳥は、間近で聞けば寿命を奪うと伝わる金切り様の鳴き声をあげながら、魔界で最も高い山の頂にそびえる魔王の城を目指している。
魔城は宙を貫く尖塔を無数に有し、バルコニーには朽ちたツタと腐臭を放つ屍の花が満ちて——いたのは、1年ほど前の話。
いまやそこには淡い紅色の沈丁花が咲き乱れ、塵ひとつ落ちてはいない。
花を散らさぬよう、黒い翼は鈍く光る真鍮の手すりにそっと舞い降りた。
微かな風に沈丁花の花びらが揺れる。
辺りに漂う芳香を黒鳥は胸いっぱいに吸い込んで、磨き抜かれた大きなガラス扉を「コツ、コツ」と細長い足の爪でノックした。

「黒鳥急便です、お届け物にあがりました」
「はい、ただいま、少々お待ちを」

中からしわがれ声が聞こえた。
足音は次第に大きくなり、開いた扉からゴブリンが現れた。土気色した顔に尖った耳と尖った鼻、大きく裂けた口からは鋭い牙が覗いているが、首から下には燕尾服がきっちりと着こまれている。
彼はこの城の従者だ。当初、外部との取り次ぎだけを任されていたのだが、その働きぶりにより今では魔王の身のまわり全般を任されるまでになった忠誠心厚き魔の者だ。
黒鳥はこのゴブリンを好ましく思っていた。
仕事の合間のおしゃべりにつきあってくれたり、飽き性の魔王が残した高級食パンをこっそりくれるから、という理由だけではない。彼が仏頂面だったからだ。より正確にいえば、おしゃべりをしているとき、ゴブリンの仏頂面にほんの一瞬うれしそうな表情や楽しそうな表情がよぎる時がある。黒鳥はそれが好きだった。
だからこそだろう。
今、扉から出てきたゴブリンを見て黒鳥は息を飲んだ。
土気色の顔面に満面の笑みらしきものを貼りつけているのだ。

「どうしたのですか!?」
「何が、でございましょう」

ゴブリンの黄金色の瞳が糸のように細くなった。
さらに笑んだつもりにちがいない。
使い慣れない筋肉を使っているためだろう、無理に引き上げられた口角がすでにヒクヒクと引きつり始めている。
黒鳥の鬼女の顔が悲しそうにゆがんだ。

「また……魔王様が無理をおおせになったのですね」

黒鳥は首にかけた宅配バッグから、”魔王城あて”と書かれた茶封筒をゆっくり取り出した。だが、それを渡す様子はない。少し話がしたいと思ったためだ。
ゴブリンも同じ気分だったのだろう、ちらりと背後をうかがうと顔からふっと笑顔が消えて大きなため息がもれ、いつもの仏頂面に戻った。

「魔王様が、いつも笑顔でいろというのですよ、このゴブリンに」
「なんと、むごい……!」

ゴブリンは肩を落とし、黒鳥に頷いてみせた。

「お仕えしている身ですから、たいがいのことには従いますよ。いちばん大切な物を炎の海に投げ捨てろ、とか、酒の肴がないからオマエの指をよこせ、とか言われた時もありましたけど、それはね、いいんですよ。むしろ、嬉しかったくらいです。なんと残酷なことをおっしゃるのだろう、さすが我らが魔王様だ、とね」

ゴブリンは在りし日の魔王の言葉に想いを馳せ、うっとりとしている。

「なのに、最近の魔王様ときたら」
「笑顔で、と言われたのですか」
「ええ」
「魔王様は、なぜそのようなことを?」
「笑顔が幸運を招く、とかおっしゃっていたような気もしますが、真の目的はわかりかねます」
「幸運ですか。たしかにそれは、ほかの目的がありそうですね」
「そうでしょう。魔王様が幸せを求められるはずがありません」
「たしか先日は、むだ毛の処理をおおせつかったのでしたよね」
「そうなんです。このまばらに毛の生えている私の“むだ毛”とは一体どこの毛のことだろうと悩んでいましたら、業を煮やした魔王様が手ずから除毛クリームを持ち出されましてね」

ゴブリンがズボンの裾をそっともちあげると、そこにつるりとしたスネが現れた。くるぶしの下や、膝の上にはひょろひょろとした毛が2,3本生えているのがのぞき見え、魔王はどうしても除毛してみたかったのだろうと思われた。
黒鳥は震えあがった。

「何という清潔感……! さすが魔王様、ひどいことをなさる。しかし、なぜむだ毛の処理なのでしょう?」
「さあ……魔王様のお考えは、もう私ではわからないほどの高みにいってしまわれたのかもしれません」

ゴブリンは言葉を切って、黒鳥の運んできた茶封筒を受け取ると、土気色の唇の間から鋭く尖った白い牙を苦々しげにのぞかせた。

「毎月、黒鳥さんが持ってきてくれるこれ、何だと思います?」
「大きさからいって書籍かとは思いますが、何なのかまでは」

黒鳥は小首をかしげ、渡したばかりの茶封筒を見つめた。
縦30センチ、横25センチくらいで、ずっしりとした重みがある。
配達時期はいつも決まって月初だ。

「魔界通信か何かでしょうか」

ゴブリンは仏頂面を崩し、一瞬、ふっと笑った。
長く伸びた指の爪でぷつりと自分の唇を刺し、流れ出るどす黒い体液に爪の先を浸して紙片に受取サインをすると、それを黒鳥の宅配バッグに押し込んだ。

「これ、人間界の雑誌なんです。女性誌ばかり、3種類」

そう言うとゴブリンは再び口角を引っぱり上げて、城の中へと戻っていった。

*-*-*-*-*-*-*-*

「魔王様、届きましたよ」

ゴブリンは茶封筒を開けて雑誌を取り出し、テーブルの上に置いた。
そこにはすでに魔王のための朝食が並べられている。
足の付いた銀器には、いちごにバナナにメロンにパパイヤ、マンゴー、オレンジ、でこぽん、干し柿まで、色とりどりのフルーツが盛られ、湯気の上がった豆乳のスープ、全粒粉の食パンなどが魔王の口に入るのを今か今かと待っているのだが、肝心の魔王がまだ席についていない。

「魔王様、そろそろお召し上がりにならないと体内時計が狂いますよ」

“体内時計”というワードに反応して、魔王が腹から息を吐きだす音がテーブルの向こう側から聞こえてきた。朝食前にマインドフルネスのための瞑想をするのが最近のお気に入りで、これをすると頭がすっきりするというのだ。
頭がすっきりすれば、天に座する神々とその子らである人間どもを一息に殲滅する妙案が浮かぶかもしれない。きっと魔王様はそのために——ゴブリンは勝手にそう考えているのだが、真意は確認できていない。

「届いたか」

すがすがしい面持ちでテーブルについた魔王は朝食には目もくれず、嬉々として雑誌を手に取った。
『ツキを呼び込む8つの習慣』、『すべて温活で解決!』、『腰痛と戦わない方法』——3誌の表紙を飾る文字は様々だが、どれも魔王には関係のなさそうな内容だ。

魔王様は一体、何をお考えなのだろう——ゴブリンは少し離れたところから、魔王と雑誌を見くらべていた。
このような女性誌を定期購読するようになったきっかけは、1年と少し前、人間界に災いをもたらそうと出かけていった魔王が予定よりもずいぶん早く城に帰ってきたときのことだ。

「これはこれは、お早いお帰りで。さぞや、首尾よく……」
「やめだ」

うやうやしく出迎えたゴブリンに、魔王は一言、そう言い放った。
驚くゴブリンに魔王は人間界で拾ってきた雑誌を突きつけ、

「ここを見ろ」

真っ黒な鉤爪の指し示す先には『オラクル輝美の〈願えば叶う〉星のお告げ』と書かれていた。

「これによると、今週のワガハイは『思いつきで行動するのはNG。しっかり調べて行動すれば、失敗しても次につながります』だそうだ。ワガハイが失敗するとは思わぬが、何となく出てきてしまったことをこのオラクル輝美とやらは見抜いたうえで、NGだと申しておるのだろう。侮れぬ」
「おそれながら、魔王様。そちらは人間界の雑誌でございます。魔王様には適合しないと思われますが」
「それがそんなこともないのだ。念のため先週のところも見てみると、『喉や首の不調に注意!』と書かれておった。オマエも覚えているだろう、先週、死の森のツタが首に絡まってワガハイがどれだけ大変な思いをしたか」
「もちろん、それは覚えておりますが……」
「こやつ、本物の星見かもしれぬ」
「お待ちください、魔王様。そもそも、魔王様に星座なんてあるのですか?」
「失礼な。ワガハイにも星座くらいあるわ」

ええとこれだ、といって指を差したのは「獅子座」のイラストだった。
絶対、嘘だ。
獅子の絵がなんかかっこいいから選んだに違いない。
ゴブリンは思ったが、まさか口に出せるはずもなく、黙ったままのゴブリンに魔王は「オマエはこれだ」といって「牡牛座」を指さした。

「もったりしてる感じがオマエにぴったりだろう、ガハハハ」

あのときの魔王の笑い声が、ゴブリンの脳裏によみがえった。
あれ以降、魔王の愛読書は1冊、また1冊と増えていって3冊になったのだ。
ここ最近は雑誌で特集されている内容の方にも興味が出てきたようで、その多くはゴブリンを実験台にして試されていたものの、依然として魔王の興味のメインは星占いだったし、雑誌がちがってもそこは同じだった。
魔界にも占いを得意とする者はいるが、それは全体の吉凶や生死を占うためのものであって、雑誌に掲載される星占いのように個人的な運不運を占うものではない。
おそらく魔王はそこが気に入ったのだろう。自分に向けたメッセージのように感じ、何らかの行動指標になりうるのではないかと期待したのに違いない。
だがこれまで、ゴブリンは星占いが魔王の役に立っているところを見たことがなかった。
届いた日しか読まないからな、魔王様は。
読んだその日がちょうど吉日だというなら、あるいは——と想像しかけたゴブリンは、魔王の短い叫び声を聞いた。

「魔王様、いかがなさいました」
「ついに……いよいよだ、ゴブリンよ! 待ちに待った日が来たぞ!」

言うが早いか魔王は足早にバルコニーの方へ向かうと、扉を押し開き、大きな黒い翼を広げた。

「先に行っている! 城内の者を大至急集め、運気が変わらぬうちにオマエも人間界に来るのだ、わかったな!」

言い残して飛び立った魔王の姿はあっという間に空の彼方に消えていった。
どれだけすごいことが星占いに書いてあったというのか。
ゴブリンは今はもう見えなくなってしまった魔王の姿を空に思い描いて、テーブルにうち捨てられた雑誌を手に取った。

「獅子座、獅子座……と。なになに、『10年に1度の大ラッキーチャンス!これまでやろうと思ってできなかったことがあるなら、ぜひ○日に試してみて。きっと今までの努力が実るはず』か……なるほど。今日が人間界でいうところの○日か。これは魔王様も慌てなさるわけだ」

ゴブリンは言われたとおり、城内の者を呼び集めようと廊下に続く扉へと向かい、開こうとして、やめた。
ふと、自分の占いはどうなのだろうと気になったのだ。
テーブルのところに戻り、ゴブリンはもう一度雑誌を手に取った。

「牡牛座は……『いままでの生活に変化の兆し。悩みの種だった上司とサヨナラできるかも。過去の人間関係は忘れて開放的な気分を楽しんで』だと……ふむ」

ゴブリンは何事か考えながら、さっきまで魔王が腰掛けていた椅子に腰を下ろした。
銀器からバナナを1本とり、仏頂面のまま丁寧に皮をむいて囓りつく。
口の中いっぱいに広がってゆくねっとりとした甘さを味わいながら、燕尾服の上着を脱いで椅子の背にかけた。
ズボンの下で、魔王に除毛されたスネがちくちくと疼くのを、ゴブリンは忌々しげにかきむしった。

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2018/03/31 初稿
2018/05/28 微修正、かつ改題。(旧)『獅子座の魔王』

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