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RRRに私が魅せられているのは

(ネタバレあり・以前書いた内容とダブります)インド映画に詳しいわけではないので、以下は個人的な感想です。

感じ方は人それぞれで、人と無理に合わせなくてもいい。私はこの映画が自分史上最高だし、生涯の友達だと感じている。

2月25日(土)に、たまたま別の推しの映画のフライヤーをもらいに行ったのが1回目のRRRだった。それからほぼ週1ペースで福島市→那須塩原市→宇都宮市→東京ドルビーシネマ→福島市→いわき市→東京IMAX→福島市で4月20日現在8回、5月4日福島市マサラ上映(予定)、7月1日横浜市マサラ上映(確定)で最低10回はRRRを映画館で観る。

●他の方々がツイッターでおっしゃっているように、私は主演2人の顔やまつげや胸毛はそれほどでもない。美しいとは思うけど。また、主演の中の人のオフショットや、他の映画での動向やプライベートも、それほどでもない。
私がこの映画に魅せられている点は、
1) 空気感
2) 希望
3) バランス
4) 身体表現
5) どこにフォーカスするか


1) 空気感

私はRRRを知る前からつたないイラストを描くが、熱意を込めるのは、対象物(オブジェクト)より、その周りの空気感だ。私は何事においても、雰囲気や想像の余地、遊びやゆとりが大好きだ。

RRRでは、まず音楽が素晴らしくいい。歌詞がついている歌も素晴らしいが、BGMが一つ一つ素晴らしい。「このメロディはこの人物」とすぐ分かるし、インドの楽器とヴァイオリンが空気を震わせるゆらぎが大好きだ。そしてコナッコル(口ドラム)をこの映画で初めて知ったが、人の音声も楽器として場面を彩る。
映像の点でも、大自然の中を主人公たちがバイクと馬で疾走したり、森の中で虎から逃げたりと、奥行きがある遠景の映像と、鉄条網や、撃たれたサロージニさんの指がピクリと動くその右側でハエが手足を擦る近景にピントが合っている場面の映像などがさまざまに組み合わされて、全く飽きない。

これら全てが、私にとっては大好きな空気感だ。


2) 希望

私はRRRから希望もいただいている。
例えば
●本気で戦っても、誤解が解ければ友情を復活することができる(猛獣アタック→最強の肩車)
●弁解をしなくても、運命の計らいがある(ヤムナー川でビームさんがラーマさんから撃たれたと思い、馬乗りになって殺そうとするが、ラーマさんは弁解しない。そののちに、ラーマさんのいいなづけのシータさんから真相を聞く)
●最悪の場面でも最善の努力をする(ビームさんが鞭で打たれた時、自分を鼓舞する歌を歌う→周りの人々とラーマさんの気持ちを動かす)(ヤムナー川でビームさんが後手の縄を切る。牢屋でラーマさんが鎖で懸垂)

もちろんフィクションなのは重々承知の上で、私自身も明らかにRRRを知る前より我慢強く苦手な仕事に取組み、凹むことがあっても彼らの不屈の努力を見習いたいと日々願うことができている。

何より、私は福岡県生まれで、東京で就職し、福島県に転居したため、幼馴染は皆無だし、友人と呼べる人もリアルで殆どいない。私のひそかな悩みの一つは『友達が少ない私は、人としてどこかおかしいのだろうか』だったが、RRRを知って、「RRRという映画自体が私の一生の友達」だと思い切った。

すると不思議なことに、Twitter上でもやり取りが増えてきたし、実生活でも職場やスポーツクラブで会話が増えてきた。

こういう夜空の星のように煌めく希望が、RRRの3時間の中に山ほどある。そして私が生きている実世界でも、美しいもの、煌めく物事がたくさんあることに気づかされている。


3) バランス

8回観て、4月18日あたりにようやく言語化できたのだが、私にとって、RRRはバランスを示してくれている。
つまり、どちらかというと(人間だから、2人ともどちらか100%ではない)
「現状打破・破壊」の炎のラーマさんと
「再生・創造」の水のビームさんが
握手をする場面が冒頭にあり、その握手がロゴにもなり、中ほどで別の意味でつらい握手をし、最後に本来の握手で「最強の肩車」を組む。

炎も水も大事で、どちらか片方が優位になるというより、現状維持やバランスも加味して、共に生きる。
私自身もこれまでの人生で、どちらかというと炎で、考え方や行動が偏っていたので、この「バランスを取る」というイメージにとても共感している。


4) 身体表現

昔からフィギュアスケートやアスリートの身体はきれいだと思っていたが、RRRでは2人の上半身裸の身体も見事だし、動きがものすごい。ラーマさんが冒頭、柵を飛び越えて美しい姿勢でジャンプする、初回はその時点で呆然。

そのあと、昨年10月の監督や主演2人の来日インタビューなどで
○ほぼスタントなし(YouTubeでメイキング動画も観ることができるが、ワイヤーはあるにせよ、本人達があのアクションを演じている)
○コロナ禍の撮影中止があり、3年間(特にビームさん)あの体型を維持していた
と知り、ますますRRRが好きになった。

猛獣アタックの時の2人の本気の格闘。
アクタル=ビームさんの美しい瞳と表情の変化。
RRRではモノローグや説明台詞が殆どなく、登場人物の表情や身体の動きが伝えてくれる。その想像の余地が愛しくて、何度も観たくなる。


5)どこにフォーカスするか

RRRに関して「暴力表現や流血が耐えられない」という感想もあるようで、人それぞれなので、その意見を否定はしない。初回を観た後「死にそうになるのにずいぶんあっさり回復するのだな」と思ったものだが、何回か観るにつれて、私は下記のように思っている。

前提)そもそも日本でも
ア) 歌舞伎のような様式美
イ) 大スターの活躍
ウ) その表現を通して監督が伝えたいことは何か

前提)そもそも日本でも
日本の戦いを描いた中世の絵巻物でも流血の表現はあり、私が子供のころ、テレビドラマでも陰惨な表現はたくさんあった。

例えば、いじめや男女差別、人種差別をドラマで自粛したら、その現象が実社会でなくなるわけではないので、見たくないことにも向かい合い、自分事として「では、自分ならどうするか」と考えるきっかけにするのも大事だと思う。

ア)歌舞伎のような様式美
RRRのラージャマウリ監督の過去作のヤマドンガやマガディーラでも、主人公が死にそうな傷を受け血まみれになりながら、全力で戦う場面がある。

例えば日本のお能やお狂言は、抑えられた表現や、背景がなく数歩歩いて場面が切り替わる。それが却って想像の余地を膨らませる。歌舞伎の戦いの場面は、リアルな戦いではなく、血が飛び散りもしない。RRRとお能や歌舞伎と、どちらが良い悪いではなく、それぞれの世界でそういう様式美、お約束があるのだと理解している。

イ)大スターの活躍
RRRを観るまでインド映画を観たことがなかったし、テルグ語という言語を話す人が8000万人もいるということを知らなかった。そのテルグ映画界で大スターの2人が共演したというのは一大事なのだそうで、2人の活躍場面をいかにアピールするかも重視された。以前の作品で一緒に映画を作ったことがあるので、監督は2人をどうしたら魅力的に見えるか、よくご存じだったのだろう。

だから、死にそうなほどの場面の次に完全復活している(例えば最強の肩車の後に、ビームさんが薬草を膝に塗ったら、ラーマさんが俊敏に動き回れる)のは、ファンサービスというか、ハイライトシーンが連続していると思えば、私には全く違和感がない。

ウ) その表現を通して監督が伝えたいことは何か
監督は「友情」や「感情」を伝えたいとインタビューでおっしゃっていた。それも受け取っているが、私がより感動的に受け取っているのは、今まで書いてきたようなことだ。

つまり、私は「暴力」や「流血」にフォーカスするのではなく、「空気感」「希望」「バランス」「身体表現」の関係性にフォーカス(意識を向けている)している。


冒頭で、こう書いた。

●他の方々がツイッターでおっしゃっているように、私は主演2人の顔やまつげや胸毛や腕毛はそれほどでもない。また、主演の中の人のオフショットや、他の映画での動向やプライベートも、それほどでもない。

演じている俳優のNTRジュニアさんではなく
イノセンス(無垢)なコムラム・ビームさんと

ラーム・チャランさんではなく
英国の犬からインドの神になったアッルーリ・ラーマ・ラージュさんが
大好きなのは、今まで書いてきたような理由からだ。


★最後にもう一つ。8回観ても、毎回見逃す要素がある。つまり何回見ても新鮮だ。
鞭打ちの場面で毎回「キリストの磔刑」を連想し、謙虚になり、頭を垂れる。世界は広い。世の中には私の知らない努力や感動が山ほどある。

それが私に勇気をもたらす。


暴力場面や血が流れるからと忌避せずに観ていただけたなら、私がRRRを知ったこの2ヶ月弱で人生が変わったように、ポジティブな影響を受けるかもしれません。生涯の宝物・映画RRRを、ぜひどうぞ。
RRRの公式サイト↓
https://rrr-movie.jp/

サポート、ありがとうございます。これを励みに、一生勉強を続けてゆきます!