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真夏の夜は夢を語るか

「あなたはいつも、そういうだらしないところで失敗するんだから、ちゃんと教授にはお礼のショットを出しなさい。面倒なところはロビーがやってくれるから。いいわね」
 姉はいつもの不機嫌な様子で一方的に喋ると通話を切ってしまった。姉が立っていた空間にぽっかり穴が空いたような気がした。
「はいはい。わかりましたよ」
 僕はくるくる回る通信会社のロゴをながめながら呟いた。
 こころのどこかではこれが現実ではないと分かっている。でもコンピューターが作り出す姉の映像は限りなく本人に近いし、違和感はまったく感じられない。僕が失敗をしそうな頃合いを見計らって連絡を入れてくるタイミングといい、母譲りの小言の言い方といい、どれをとっても姉そのものだ。
 それでも、これは時折送られてくる姉のデータを読み取ったコンピューターが、僕を騙しているのだという気持ちは拭えない。拭えるはずもない。本物の姉とはもう二度と会うことはできないのだから。

「私、善彦さんとベータ・ユニキシス星雲に行くことにしたわ」
 姉が唐突にそう告げてきたのは3年前のことだった。善彦さんというのは姉のパートナーだ。二人で話し合った結果全財産をはたいて恒星間宇宙船を購入し、終の住処をベータ・ユニなんとか星雲と決めたのだそうだ。ベータなんとか星雲までは120光年で、冷凍睡眠技術を使って寝ながら移動するが、着くころには僕はもういないかもしれない。二人の決め事に口を挟めるわけもないので、僕としてはただ頷くしかなかった。
 二人がそのベータなんとかに行くことに決めた理由はいくつかあるが、最大の理由はそこが発見されて間もない星雲で誰の手も付けられていないからだという。
 どういうことかというと、近年環境破壊が激しい地球を捨てて、手付かずの大宇宙の片隅で最後の時を迎えようという人が増えた。虹色に輝く星雲の中で、まるで映画『2001年宇宙の旅』の最後のように光に包まれながら素晴らしい最後を迎えるというのだ。
 こういった風潮が流行り始めたのは20年ほど前にアメリカの大統領が任期を終えたと同時に旅立ったことが発端とされている。恒星間旅行は完全に確立された技術だし、かかる費用も年々安くなっている。いよいよ庶民にも手が出る状況になってきた。そこへもって灰色の空ばかりの地球を見限る人が一気に増えた。人々はこぞって全宇宙に旅立っていった。
 姉は現実主義者だと思っていたが実はそうではなかったことになにより驚かされた。
 一体旅立ったうちの何人が素晴らしい最後を迎えられたのだろう。

 姉たちが旅立って10ヶ月が経とうとしている。新型の陽子分離型エンジンが開発されて宇宙船は光速の50%まで加速できるようになった。一年かけてそこまで加速するのでもうすぐ最高速に達する。姉たちとの通信を受け取るまでの時間も日に日に長くなっている。だからさっき僕が話した姉はコンピューターが作り出した姉に、過去届けられた情報を加えた上で、僕の感情を読み取って補正された虚像だ。それでも姉ならこう言うだろうなという出来栄えだ。前回話をした時は補給地点で迎えるスタッフに出すワインの銘柄で揉めに揉めているという話を延々された。揉めたところで最終決定をするのはいつも姉なのだから、決まっていることをくどくど繰り返すのは姉の悪い癖だ。
 こうして僕たちは普段と変わりなく会話をしている。
 でも、こころの奥底で僕たちは嘘をついているのを分かっている。それが少しずつ積み重なって、ぐらぐらと揺れる塔の上に立つような気持ちにさせられる。
 僕のいる地球では今も変わりなく100億の人間が日々を暮らし、笑いあい、罵り合っている。でもその人たちの何%かは物理的にはもう手の届かないなんとか星雲にいるはずだ。僕たちは悪い夢を見ているのだろうか。
 頭の中にさまざまな機械が埋め込まれるようになり、そいつらが妙な刺激を脳に与えるようになった時から僕らは夢と現実の区別をできなくなった。
 姉との通信を終えた今この瞬間、マンションの25階にある僕の部屋からは、真夏の夜を荒れ狂う嵐の様子が見える。気候変動による嵐はいつになく激しく、窓を打つ雨粒がこれが現実の世界だと叫んでいる。
 これが機械が見せている夢じゃないことを僕はどうして知り得るのか。
 これから僕は教授にお礼のショットを送り、僕のパートナーに最も近い友人とおしゃべりをする。彼は本物だよね? 
 それから、リラックス用のシグナルを受けながらほんの少しくだらないゲームをして、浮遊感ベッドに入ろうと思う。
 そうしている間にも姉は亜光速に近づきながら地球から遠ざかっていく。それはまぎれもなく現実だ。最終的に姉たちが辿り着くであろうベータなんとか星雲の光が、現実であることをこころから願う。


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