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2049年、キッチンタイマー、53歳。

今、noteが「#30年後あったらいいな」というテーマで記事を募集している。

30年後といえば私は53歳だ。父とそう変わらない年齢になる。もしかしたら、ちょうど私と同じ23歳になる子どもがいるかもしれない。そうすると、私は30年後の新卒を育てるかもしれない世代なわけである。そんな実感は全くわかないが、黙っていても勝手に30年は経っていき、気が付けばいつの間にか53歳になっていることだろう。

来たる30年後、私は何が欲しいだろうかと、23歳の私は布団の中でゴロゴロ転がりながら考えていた。お題のページでは技術的な話が多かったが、技術の進歩として30年はあまりにも長い。Windows95が出た年に生まれた私だが、人の言葉を認識するスピーカーは生まれてから15年くらいでもう実用化されていた。別の方面でいうと私が生まれたころに放送された仮面ライダーのCG程度であれば当時よりもずっと安い価格で実現することができるだろう。個人で作成したCGを使って「変身してみた」という動画を投稿する人もいる。バーチャルユーチューバーもそうだ。VR技術そのものはずっとあったが、今はiPhone Xがあれば表情の動くバーチャルユーチューバーになることができる。

そう考えると、私の「あったらいいな」と思う技術は大体この世界にはもう片鱗どころか使える水準まで存在しているのかもしれない。今はまだ使うには数千万円かかるかもしれないけれど、存在そのものはしている。そして、ある日突然すごい勢いで実用化されていき、それがさも突然出てきたかのように見えるのだ。パソコンからバーチャルユーチューバーまで、私が「めっちゃ新しいもの出てきた!」と思うものは大概「すげぇ高額だったものが、一般家庭で買える水準まで価格が落ちた」というものばかりだ。

開発されたのはもうずっと前で、私でも「おぉすげぇ!」とわかるし、大学生がアルバイトして手が届くレベルの技術と価格帯が釣り合うようになった時に、どえらい波が生まれやすくなるようである。

53歳になった私はその波に乗れるだろうか。むしろ、息子世代の人たちが、必死にお金を貯めたと思ったら、なんかよくわからないものを買っているのを見聞きするのだろう。そして私が「なんやそんなけったいなもん買いよって、そんなんしとる暇あったら勉強せい」などと言っている間に、そのなんかよくわからない技術がいつの間にか主流になっていて、勉強していなかったのはどちらかというと自分のほうだったと思い知らされるのだ。最初は「そんな技術は好かん」といって敬遠するのだが、技術の波はあっという間に自分の近くまで迫ってきて、最終的に「周りの人がみんな使っているから」というあまりにも消極的な理由でデバイスを手にしたものの、用語も機能も全くわからん。ということになるのである。

多分、私は30年後、大体こんな感じになっているに違いない。

「もっとちゃんと脳波をコントロールして、あぁ、お父さん。どうして? そっち右脳じゃん? 左脳でそこをファ……えーっと、切って?」とか言われるのだ。なんだ右脳って。脳の右と左を区別して生活したことなんかねぇよ。あと、用語をやわらかい単語にすんのやめろ、どのみちわかんねぇよ。

そうだ、30年後は勉強しなくてもいい機械が欲しい。便利なところだけ使いたい。ドラえもんの道具はそういう意味では、すごく画期的だと思う。どこでもドアなんてすばらしい。「ドアを開ける」もうこれだけなら、多分53歳の私でも使える。タケコプターよりどこでもドアが欲しい。あまりにも操作が簡単だ。でも、行く先を脳が鮮明にイメージしないといけなくて、高校生はそういうのは息を吐くほど簡単にできるとかなってきたら話は別だ。それはちょっと自信がない。

大体、若いやつが「これくらい簡単でしょ?」と思っているものは大体簡単じゃない。「これもできないの? じゃあこれは?」とかいう代替案なんてできるわけがない。できなくはないが、すっごい、疲れる。時間がかかる。

「今時音声入力もできないんですか?」

なんて30年後は言われるかもしれないが、じゃあ未来の人々よ。30年前の2019年に職場で「OK Google」っていったらどんな目で見られるか試してみてほしい。社会というのは、新しい技術を使っている人には結構排他的なのだ。そういう意味では、学校は結構いいところだぞ。新しいものを使ってないとダサい。これは時に、後ろめたさや負い目や、人によっては敗北感を味わうことになるだろう。しかし、先輩とか、世代が上の人が「なんか新しいことを始めることに全然抵抗がない」っていう環境は本当にすごいぞ。確かにうっとおしいけどマジですごい。ティックトックとか、会社で「こういうのやってるんすよ」っていったら「は? なにこれ?」っていわれる。とにかく、新しいことができるというのは、本当にすごいことだ。未来の息子、娘にはおおいに私の「勉強しろ」という意見は無視して遊んでほしい。むしろ勉強していないのはそっちの親父のほうだ。でも、君らが何を言っても聞く耳を持たないと思うから、この文章がまだインターネット上を漂っているなら見せてあげてほしい。多分忘れているから「そんなの知らん」っていうだろうけど、キッチンタイマーって名前くらいは覚えていると思うから、よろしくな。

さて、ここまではふわふわとした夢を述べてきた。53歳という、まだ仕事をしている年齢としては、下の世代に期待するような部分が多い。では、私自身が53歳になったら、という現実の話になると不安である。全く夢のない話をするが本当に「あったらいいな」とため息をつきながら思うのは、自分がまぁまぁ趣味を楽しみながら生活するための収入だ。一人暮らしをして、収入と支出をすべて管理するようになった。すべてだ。収入はもちろん、クレジットカードの来月の支払い分から今財布にいくら入っているのかまで、すべて記録している。

そして思うのだ。

「生きるってすげぇお金がかかるもんだな」

30年後、私は自分の生活を支えるだけのお金があるだろうか。もはや安定した収入など期待できない。昇進するかもわからない。仮にもし、明日会社をやめた場合、私は今の生活をどの程度捨てなくてはいけなくなるのだろう。あと多分、私は年金をちゃんともらえない。ゼロではないと思うが、それだけで生活するほどは無理だろう。

今私はワンルームで暮らしている。実はちょっと昇給もした。今より大きい部屋に引っ越そうかと考えたこともある。しかし、生活のグレードを上げるのが怖い。減給を食らう可能性もあるからだ。そして、会社は自分の時間と引き換えにお給料を稼いでいる部分がある。

生活や、自分の部屋にお金をかけても、それを支払うためには会社に割く時間を増やさなくてはならない。自分の生活を維持するために働くのだが、私は今のラインが最下層だ。生活水準は上げるとなかなか元には戻せない。ワンルームの部屋にも、ずいぶんいろんなものが増えてきた。この部屋に収まる分は、今の自分で何とか支えられる。しかし、これを超えるとしんどい。

自分が成長するイメージが全く湧いてこないのだ。自分の息子や娘が、遠慮なく意味不明なデバイスが欲しいと要求できる程度にお金を持っている親になれるだろうか。買うかどうかは別として「うちは貧乏だから……」と遠慮することのない、いわゆる一般家庭、とされている収入を得ることができているだろうか。というのはとても不安である。

年齢が上がるにつれ、だんだん私の使えるリソースは減っていく。使える時間も体力も、どんどんなくなっていくのだ。そして、下の世代は「何に使うかよくわからない機械」を持ってやってくる。

怖いだろうな。と思う。でも、無関心でいるよりは恐怖でもいいから感じてほしいな、とも思う。あともう、そういう人たち全員自分の子どもくらいの年齢だけど、距離感は間違えるなよ。と思う。

それから、その子どもたちが「俺50になったらちゃんと食っていけるかなぁ」とか、そういう時に説得力を持って「大丈夫だよ」って言えるおっさんになっていてくれよな。と思う。

私に関してこのお題は、あったらいいな、とかそういうことを言っている場合ではないらしい。

遠すぎて見えない30年後、でも、私にとっては9割くらいの確率でやってくる現実だ。できればちゃんと生活していたい。生きているだけの、お金が欲しい。そして、悩んでいる若い人から、相談される程度の人望と、それに応えられる心の余裕が欲しい。今は、そういうものが手元にあることを全然想像できない。

あと、できれば、世界の先を歩く若い人たちと話せる機会が、あったらいいなと思うのだ。

変な専門用語を、おっさんにわかる平坦な言葉に変換されても、苛立たずに対応するんだぜ、53歳の私。頑張れ。

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