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通知とアプリの試練を超えて。

スマートフォンをいじっている。

最近は手放している時間のほうが少ない。常に手に持っているのだが、その割に生産性のあることをあまりしていないような気がする。Twitterを見たり、Facebookをみたり、サイトを巡るなどしている。

「あ、調べなきゃ」

と思ってスマートフォンのロックを解除した瞬間に、何を調べようとしたのか忘れている。しかし、手はなんとなく動いてしまい、ある時は履歴から、ある時はお気に入りから、ある時はアプリをタップして全然関係ないことを始めてしまう。

しかも、ちょっと始めると、ちょっとじゃない量の時間がダバダバ流れる。やめ時がすっかりわからなくなり、気がつくと1時間過ぎていることさえある。

しかも無駄にしている時間の中身がまだ問題でTwitter、Facebook、YouTube、noteなどを数分おきに開いている。しかも結果は「まだあまり更新されていない」ということが分かるだけだ。

スマートフォンは無くては困る。しかし、それはあくまで必要なときに無くては困るということであって、常にあるというのもまたかえって困る。さして用事がないときに、ペンでも回すように、サイトをグルグル巡ってしまう。しかもだいたい更新されていない。「……あれ、何してるんだっけ」とスイッチを切り替えようとするときの面倒くささたるや、ちょっとした行動さえ億劫になってくる。そして、そんな思考の立ち止まりは、無駄な時間を過ごす中でのほんの僅かな息継ぎとなって、私は再び情報の海へと際限なく飛び込んでしまう。

スマートフォンをいじっていないとき、何をしていたのかを思い出せない。

初めて携帯電話を持ったのが高校生の時。まだスマホではなかった。当然、暇をつぶすものではないので、めったに開くこともない。私はなにもない時間は、ひたすら思いついたことをメモ帳に書き込んでいた。それ以外の時間は友達と話していたし、カードで遊んだりもしていた。よくよく考えてみると、友だちが近くにいる時はさして暇だと感じなかったように思える。

スマートフォンを手にした当初も、あまり使い込んでは居なかった。Twitterも、Facebookも、YouTubeも、もちろんnoteにもまだ手を付けていない時期だ。機能の割に私ができることはとにかく少なかった。

今はたくさんのことができる。電源ボタンに触れたあと、画面に表示されるアプリをタップした。そこからさらに、検索するキーワードを入れたり、目に飛び込んできた情報に流されたりしている。電源ボタンに触った時は、私でさえ何をしたいのか正確に判断できていないのかもしれない。

例えば、腕時計を見た時に「あれ、何したかったんだっけ」と思うことはほとんど無い。しかし、スマートフォンはそうではない。時間を確認するために見たはずのスマートフォンの画面はいつの間にかTwitterになっていて「にゃーん」などとつぶやいていたりするのだ。

ご飯を食べているときでさえ、スマートフォンが遠くにあると不安になる。

パッと思いついたアイデアを、記録できないか不安になる。思いついたことをすぐできずに、忘れてしまうのではないかと不安になる。忘れていたことを思い出した時、すぐに行動しないとまた忘れてしまいそうになる。そんな自分に対する不信感が積もり積もってスマートフォンが手元に無いことへの不安につながっているようだった。

でも、忘れてしまっているときも手元にあるのはスマートフォンのはずだ。スマートフォンの画面を見ながら「あれ、なにをしようとしてたんだっけ」と我に返り、スマートフォンから手を離したときに「あっ、あれやらないと」と思い出す。そしてスマートフォンを手にした私は、すっかり何をしようとしたのかを忘れてしまい、さっきまで開いていたWebサイトを再び開き直したりしている。

スマートフォンは、実はそこまで早くない。開くのも、調べるのも、案外時間がかかる。電源ボタンを押しただけでは何をするのかヒモ付がされないので、キーワードを入力して検索ボタンを押すまでたくさんの自制心が必要になる。

かといって、紙にメモするのも億劫だ。しかも、妙に自信満々な私は「簡単なキーワードなら10秒くらい覚えていられるさ」と高を括ってしまう。

しかし実のところ検索するのは簡単ではない。類語のたくさんあるありふれたキーワードを覚えながら電源ボタンを入れる(この動作がきっかけで脳みそはさらに、返さなくちゃいけないメールや途中だったnoteの記事などを思い出す)。アプリやWebサイトの誘惑を乗り越えて検索画面をタッチし、文字を入力する。予測変換の候補にキーワードを上書きされないように注意して、検索ボタンを押す。一見検索に引っかかったように見える広告サイトを乗り越えて、自分の目当てのサイトにたどり着かなくてはいけない。しかも電源ボタンを押してから、たどり着くまでの間、LINEやFacebookやSlackなどのメッセージアプリから通知が不定期で来る。これは、読むにしろ消すにしろどこかをタップする必要がある。

ハードだ。このうちどれか一つでもしくじると、さっきまで覚えていた用事は大概忘れてしまう。私が最も引っかかりやすいトラップは、電源ボタンを入れた瞬間に表示されるLINEの通知である。これをタップしてLINEを開いたらさっきまで大切に覚えていたキーワードは跡形も無く消えてしまう。

気になった言葉を調べきるというのは、数々の見えない敵や誘惑に打ち勝った功績とも言える。それだけではない、家計簿へ入力するのも、写真を撮るのも、アプリで将棋をすることさえ、それ以外の誘惑を断ち切れたからこそ出来たことだ。優柔不断な私にとっては「そんなことよくできたな」と、褒め称えたくなる。

しかし、結局優柔不断なのは変わらないので、目的にはしっかりたどり着きたい。例えば、時間は時計で見たい。メモはメモだけ、検索は検索だけにしたいと思う。

それなのに「あっ」と思いついたときは、スマートフォンを開いている。電源ボタンを入れ、アイコンをタップした。

そんな試練を乗り越えながら、私は今日もエッセイを書き終えた。


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