見出し画像

目の前の、一掃きだけを見るんだ

ミヒャエル・エンデの「モモ」を幼少期に読み、まさに感銘を受けた人は多いだろう。そう言う私はモモを通ってこなかった側で、小~中学生の頃は「ズッコケ3人組」「キノの旅」「Missing」などを図書室で借りては読み漁っていた。モモに触れたのは、立派な大人になってからだ。

雑すぎるあらすじを一応書いておくと、人々の時間を奪っていく泥棒「灰色の男たち」から大事な時間を取り返すべく冒険に旅立つ主人公「モモ」の冒険劇。時間とは何なのか、各々の立場でその価値を捉え直すことができる名作である。

私が一番好きなのは、モモの友人のひとり、道路掃除夫のベッポが言うとあるセリフだ。細部は朧げなのだけど、「目の前の一掃きだけを見るんだ。そうすると、気づいて振り返ったときには全部終わってるんだよ」というようなことを教えてくれるシーンがある。

ああ、そうだよな、何事にも当てはまるよな、といまの年齢だからこそ腹に落ちていく言葉だ。いまこの瞬間ではなく過去や未来に心が飛ぶたびに、目の前にある時間を殺生しているのと同じだと言ったのは、誰の言葉だったか。昔もいまも、古典は大事なことだけをシンプルに伝えてくれる。

2泊3日の香川旅行の最中、兼ねてよりの希望だった「こんぴらさん」へ行くことができた。今回の旅のメインは香川うどんの美味しさに浸ることだったのたけど、サブの目的もしっかり果たすことができて、思いのほか嬉しかった。

こんぴらさんがどういう場所であるかはあまりにも有名すぎるので、ここでは「頂上にある奥社までの階段は約1300段ある」「そこに到達しないと見られない景色と買えないお守りがある」このふたつの情報だけを書いておく。

本殿までも約700段以上あるという前情報に、普段から運動とは無縁で体力もからっきしの私は、もちろん気後れした。

だけど、黄色い幸福のお守りにどうしても心が惹かれたのだ。そして噂の“奥社“でしか買えないという天狗のお守りも、気になる……。

いざ電車で最寄り駅まで行き、1段目に足をかけたときの私の決心はなんともどっちつかずなもので、「とりあえず本殿まではのぼろう。幸福のお守りを買って、体力が残っていたら奥社に挑戦しよう」だった。

本殿までは、想像していたほどしんどくはなかった。日頃から駅の階段でさえも可能な限り避けて生きている私の感想なので、もし興味のある方で「本殿でさえたどり着けるか不安……」と思われていたとしたら、安心していいと伝えたい。

本殿までのぼれた達成感とともに私のギリギリまで揺れ動いていた決心を固いものにしてくれたのは、とある店員さんがくれた言葉。

本殿へ差し掛かるお土産屋さんに立ち寄ったときのこと。「もしよろしければ奥社もぜひ。そこでしか買えないお守りがあるんですよ」と店員さんに促してもらったことで、ようやく奥社へ挑戦する決心が固まったのだ。

絶対に奥社までのぼって、そこでしか買えない天狗のお守りをゲットし、「奥社まで行けました~!」と店員さんに報告したい!

そんな気持ちが、最後まで揺れ動いていた気持ちを後押ししてくれた。あの店員さんがいなかったら、私は本殿へ到達した段階で「あの運動不足の私が、ここまでよくがんばった!」と自分で自分を褒め、いさぎよく諦めていたかもしれない。

こんぴらさんに少しずつ興味が出てきたであろう、これを読んでくれているあなたをビビらせるつもりはないのだが、こんぴらさんの本番は“本殿~奥社“の間にこそあった……。アニメやゲームで言うところの「ラスボスは別にいた」というやつである。

結論を言ってしまうなら、私はなんとか奥社にまで到達でき、目当てだった天狗のお守りも無事に買えて、店員さんに報告することも叶った。

もちろん達成感もあったし、ほんとうにここまでよくぞ頑張った……! と心から自分に激励を送りたい気持ちで胸が飽和状態になった。てっぺんから見下ろす景色は、そりゃ人が噂したくもなるだろうと思えるほどの絶景。ここまでハアハア言いながら、痛む足と流れる汗をやり過ごし、ようやくたどり着いた人たちにしか見られない光景だった。それは確かだ。

だけど、それと同じくらいに、つらかった……。それはそれはつらかった。

あの達成感を味わいに私はまたこんぴらさんへ御礼参りに行くだろうけど、いまからそのときが少し怖く思えるほどには、つらかった……。

この私がなんとか奥社までのぼりきれたのは、せっかくここまで来たのだしという「もったいない精神」と、本殿までのぼれたのだからという「ある種の自信」と、お土産屋さんの何気ない激励。そして、頭の中に浮かんでいたのは……冒頭に挙げたモモの友人・道路掃除夫ベッポの言葉だった。

目の前の、一掃きだけを見るんだ。

後ろや前を見てはいけない。いつのときも、ただ、目の前の一掃きだけを。

そうしたら、いつの間にかすべて終わってるんだ。

物語の力を感じるのは、こういう瞬間である。見る人が見たら、たかが子供向けの童話で、と一笑にふされて終わるかもしれない。

それでも、ここぞというときに力をくれるのは、小説や漫画やアニメからふと心に入り込んできたセリフや情景、はたまた、家族や友人の何気ない一言かもしれないのだ。

こういう瞬間に出会うたび、味わうたび、ああ、私は本が好きな人間でよかったと心底思う。

もしよければ皆さんも、途方もない人生に嫌気が差しそうになったら、思い出してみてほしい。いつのときも、ただ目の前の一掃きだけを見ること。そうすれば、いつの間にかすべてが終わってるのだということを。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。