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私は空気が読めない

私は場の空気が読めない。というより、「確実に言ってはいけないことだとわかってるのに言ってしまう癖」が発動することがある。シンプルに性質が悪い。

ライターの仕事を始める前、地元のPC教室で講師の仕事をしていたことがある。他の先生やパートさんとはそこそこ上手くやれていたと思うのだけど、「ランチはみんなで一緒に食べる」みたいな暗黙のルールがどうしても受け入れられず、次から自分のタイミングで食べますね〜と近くのモスに逃げたら、しっかりと距離を置かれるようになってしまった。別に仲良くしたくないわけじゃなかったんだけど…………。最終的には社長と反りが合わずに辞めた。

組織、チームとしてやっていくためには、ある一定以上の協調性を発揮しなければいけない。朝礼、定期ミーティング、ランチ(の際に発生する雑談)など、ひとりで黙々と仕事をしているだけじゃ済まない時間は、びっくりするほど頻繁にやってくる。

振り返れば、葬儀社、事務、書店バイト、PC教室契約講師などなど、ライターになる以前にはあらゆる組織で仕事をしてきた。どこも、仕事をすること自体は楽しく苦ではなかったのに、「他人とある程度の交流をし、一定以上の信頼関係を築く」ことが不得手で辞めてきた

いまはフルリモートで、馬の合う人と仕事ができているので問題ない。むしろ、私にはこの仕事や働き方以外に、道が残されていない…………。

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葬儀社員だったころ、薄毛の上司がいた。それはそれはもう、誰が見ても立派な薄毛だった。本人もそれを自覚し、自ら自虐ネタをぶっ放して周囲を苦笑いさせていた。私も最初は新入社員らしく、周りに合わせて笑っていたのだが、正直いってまったく面白くない。北海道に「増毛町(ましけちょう、と読む)」という町名があるのだが、社用車でそこを通るたびに「毛が増しますように!!!!!」と念じたりするのだ。初回ならそこそこ面白いかもしれないが、回数が重なってくると鼻でも笑えなくなってくる。

薄毛であることは仕方ないことだけど、自虐するんじゃなく堂々としていたらいいのに……としか思えなかった。なので、ある日、思い切って「ぜんぜん面白くないですよ!」と言った。案の定、まるで親の仇を見るような目で射抜かれ、目の敵にされるようになった。つらかった。言葉選びを間違えたのかもしれない。

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どうしてこうも、適度な人間関係を作るのが下手なのか?

それはやっぱり、空気を読まず、言ってはいけないことを口にしてしまうからなのだ。こう言っては少し寂しいが、仕事仲間なら仕事仲間らしく、支障にならない程度の雑談さえスムーズにできれば事足りる。それができなくて結局ひとりで仕事せざるを得ないのだけど、不用意に周りの人を傷つけるよりはいいか…………といまは折り合いをつけている。

でも、やっぱり、組織やチームで働くことに憧れる自分もいるのだ。楽しいこともつらいことも面倒なことも共有し、最終的なゴールを複数人で目指しながら仕事をする。美しい。うらやましい。

もちろん私だって、最初から最後まで仕事が自己完結しているわけではない。編集さんだっているしカメラマンさんだっているし、取材を1件こなすのでさえ多くの人の手を借りている。

でも、チーム感は薄い。基本的には自宅内でチャットを通してのコミュニケーションだし、長期的ではなく短期的だ。もっと私が、アメリカンなジョークのひとつでも言えて、人と適度な距離を保ち、雑談もスマートにこなせるような人間であれば…………

何度願っても叶わないような願いを、私は繰り返し反芻している。無理だとわかっている願望ほど、頭にのぼる回数は多いものだ。思い入れのある宝物ほど、何度も引き出しにしまっては取り出して眺める感覚に似ている。私にとって、叶わない願いほど、宝物のような尊さを感じる。

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