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大切な人は幸せでいて

とある人に「肌が綺麗」「色白」「上品なのにおもしろい」と言われて、言葉をもらったのは少し前のことなのに、まだじゅうぶんに効果が続いている。ルッキズム的視点から言うと前者の二つはアウトなのかもしれないけど、どちらも私が普段から気をつけていることの結果に触れてくれているので、シンプルに努力を褒めてもらえて嬉しい。そして最後の一つなんて、これ以上ないってくらいに最高な言葉だ。

大切な人、好きな人には、幸せでいてほしいと思う。

自己肯定感という言葉があるけど、そして流布しすぎて若干陳腐な印象も否めないけれど、それでもちゃんと見つめて取り組んでいかなきゃならないことに変わりはない。

私は自分のことも幸せにしたいし、なるべく365日24時間を幸福で埋めたいと思っている人間だけど、それは周りにいる人に対しても一緒。幸せでいてほしい、嬉しく楽しい気持ちで満たされていてほしい。でも、生きている以上、命があるということはそこに感情や言葉や行動があり、それらは万人の精神を平常に(あるいは上向きに)するものばかりとは限らない。悪気はなくとも、そう「そんなつもりはなかった」という便利な言葉とともに、人は人を傷つけることがある。

それは仕方ないことだとわかってはいるんだが、それでもあえて、せめて私の周りにいる人(家族・友人・将来の恋人・ネット上でやりとりする人も含め)もれなくみんな幸せでいてね、私はそれを目指すために時間を使うよ、と言いたい。

ただ「肌が綺麗」「色白」と言うだけで、軽く一週間はふわふわしながら生きられる人間もいるんだぞ。人が人を幸せにすることって、傷つけることより難しいと思われてるかもしれないけど、きっと結構簡単じゃない?

ここで手順を解説しよう。

相手をよく観察して、普段の言葉遣いとか所作とか好きな食べ物とか知って、言ってほしそうなことを探します。

そして、その「言ってほしそうなこと」と「自分が思った正直なところ」が上手いこと合致したら、言葉にしてあげればいいんだよ。簡単すぎて泣けてくる。それだけで全人類ハッピー。

だから、あなたの自己肯定感もできることなら、私が上げたい。私の力と言葉じゃあまり効果はないかもしれないけれど、ほかにそう言ってほしい相手がいるのかもしれないけれど、それでも言うよ。思ったことを伝えないで何が人間だよ、言葉をなめるなよ。

私は常々、「語彙力がないから」と自分を勝手に卑下する風潮に異を唱えてまわりたいと思っている。それは言葉をサボっているだけだ。サボるなよ。

大切な人を幸せにするためにね。

今日はものすごい爆弾低気圧だったらしいけど、頭も痛くならず横になりたくもならず、なんならいつもより集中して仕事ができた。こんな日もある。

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