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私は「適度に休む」ができない

あなたは、胃腸炎になったことがあるだろうか。もしくは結膜炎、もしくは角膜炎でもいい。インフルエンザでも盲腸でも骨折でもいいのだ。何かしら、「強制的に休まざるを得ない緊急事態」になったことはあるだろうか。

私は盲腸と骨折以外なら、ある。総じて、病気はとてもつらい。これまで当たり前にできていたことができなくなる、というのは、予想以上にメンタルをズタズタにする。

2018年頃だろうか。友人たちで静岡旅行を計画していた。出発の前前夜くらいから不穏な気配を感じ取り、前夜には決定的になった。胃腸炎である。汚い話で恐縮すぎるのだけど、上からも下からも大洪水が起こり、冗談じゃなくこのまま死ぬのだと思った。視界の端に死がちらつくと、人は不思議と落ち着く。体力が削がれすぎて、ただただベッドに沈んでいるしかなく、もはや死を意識する余裕さえなくなった。もちろん静岡旅行には行けなかった。

体調不良や病気は、生きている人にとっては多大すぎる迷惑だし、影響を及ぼしてくる。できれば金輪際、胃腸炎になんてなりたくない。結膜炎や角膜炎をやったときも、前世でどんな悪行をしてきたのかと、誰に向ければいいやら分からない呪詛を唱えつづけた。結膜炎と角膜炎の併発はまずい。眼球の表面が、神経剥き出しになったかのような錯覚に見舞われ、ちょっと風が当たるだけで痛い。涙も鼻水も止まらない。口から湧き出る言葉が「神様ごめんなさい助けて」「お母さんお母さん」だけになる。

こんな目に遭うくらいなら、生涯健康でいたいと思う人のほうが大半だろう。しかし、こうも感じる。病気や怪我にならないと、まともに休むことさえできない性質の人もいるのではないだろうか?

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私は「適度に休む」ができない。ライター業で生計を立て始めて4年ほど。おそらく「仕事が好きで好きでたまらない」部類に入る人間だろう。割と365日24時間ずっと、仕事のことを考えている

そうなってくると、何か「外部からの強制的な力」みたいなものが発生しない限り、ずっと働いてしまう。もちろん、食事をしたりお風呂に入ったり寝たりはするのだが、ライター業の特性上、何気ないことも仕事や記事のネタに繋がらないか常に考えてしまうのだ。

ただ何も考えず、楽しむためだけに映画やドラマを見たり、本を読んだりといったことができない。行きつけのスナックに飲みに行くときも、初めて会った人と会話をしながら「記事のネタにならないだろうか」と考えている。マッチングアプリで相手とメッセージ交換をするときだって「ヤバい人だったらそれはそれでネタになるから良し」と思っているのだ。

胃腸炎になったとき、角膜炎と結膜炎を併発したとき、確かにつらかった。私がいったい何をしたのか…………と万物を呪った。だけど、強制的に休まざるを得ない環境は、身体にとっては良い効果だった。仕事をしたくてもできないし、映画やドラマを見ることも、本を読むこともできず、ただ「身体をニュートラルな状態に戻すために、寝ていること」しかできない。そんな極限的な状態にならないと、休みたくても休めない人間もいるのだ、と思った。

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日頃から適度に休めておけば、身体にガタがくることもないのだろう。頭ではわかっちゃいるんだけど…………というやつだ。それに気づいて、適度に休むことができていたら、最初からやっている。胃腸炎や角膜炎&結膜炎になってしまったのも、結局はオーバーワークが原因だ(と、少なくとも私は思っている)。そういえば帯状疱疹になったときも、皮膚科の先生に「仕事のしすぎ、またはストレスですね」と言われた。仕事をとるか、健康をとるか。本音を言えば、どっちも適度に保ちたい。しかし、いつまでも若いままではいられない。

どうしたら、余力を残した段階から、適度に休むことができるんだろう。これはきっと、買い物依存症やアルコール依存症に苦しむ人が抱く悩みの構造と、一緒ではないだろうか。簡単に「適度」と人は言うけれど、そんな曖昧な感覚がつかめていたら苦しんでいない。ああ、0か100かしかない人間は、何度もオーバーワークして痛い目を見続けるしか、学ぶ方法がないのだろうか…………。

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