低空飛行から風穴(9/10)

9.
「言われてみれば鼻が少し高くなった気がする。けど化粧のせいかと思った」
「いじったのは鼻とね、あと二重にしたの」
「けっこうかかった?」
「ん?」
「時間とお金」
「時間はそんなに。お金はまあまあかなあ」

 ま、あたし給料低いからさ、と屈託なく智花が笑う。その笑顔には確実に会っていたころの名残がある。整形は、する必要もなかったと思うけど、もし、智花が自分の鼻とか目とかが嫌いで、鏡を見るたびに暗い気持ちになってたんだとしたら、やってよかったな、と香里は思う。他人に綺麗になったねって思ってもらうより先に、自分で自分に「綺麗だよ」って言ってあげたい気持ちはわかる。そこはわかってあげたい。

「それをね、報告したくて電話したのさ」
「え。あんな唐突に」
「そ」

 どこまでも智花らしい、と思った。ついさっきまで忘れていたくせに、現金なもんだ。飲もうとしたコーラの炭酸がもう抜け始めていることに気付くと同時くらいに、久々に笑っている自分にも気付く。

 それにしても久しぶりだよね、と智花が言う。そっちも何かあったんじゃないの、と続けていたずらっぽく笑う。そういえば達志は何してんのかね、と香里が話をずらすと、いまだにフリーターやってるらしいよ、と不審に思うこともなく転換された話題に素直に乗っかる。武装された睫毛。ジャケットと同じ真っ赤な爪。

「仕事がね」自然に声が出たのでそのまま続けた。「上手くいってなくてね」

 泣くだろうと思ったのに涙は出なかった。あらかじめ敷かれたレールに大人しく従う言いなりの人生を送っていれば間違いや失敗はないはずなのに香里はいま行き止まりに遭っている。入社3年未満で人間関係が原因で仕事につまずいている、典型的なゆとり世代の代表になりかけている自分。ねえ、かっこわるいでしょうと投げ出して一心不乱に泣きたい。智花はきっと黙ってそれを受け止めてくれるだろうから、だからなおさら言えない。けど少しの弱音でつっかえが取れるのならいまこの瞬間だけは神様に見逃してほしい。人生のレールを丁寧に敷いてくれた香里の神様。

 もうだめかもしれないんだ。
 主任に目をつけられて。
 仕事わざとくれなくて。
 会社行ってもすることなくて。
 誰も助けてくれなくて。
 もう、だめかもしれないんだ。

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