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学費のために懸賞論文コンテストに応募してみた話

今から何十年も前の話。

私は大学院に進学するため、風呂とトイレと食事と睡眠以外の全ての時間を院試の勉強に捧げていた。

目指す大学院は当時の私には背伸びどころか全力でジャンプしても届くかどうかというレベルだったので、今思うとかなり無謀なチャレンジだった。今、目の前にあの頃の自分がいたら、「大学院に入ったらその何倍もしんどいぞ」と言ってやりたいが、若くて脳天気な私は、「頑張ればきっとなんとかなる」という思い込みにすがりながら一心不乱に勉強していた。

運命の神様がいるのなら、きっと「この子は相当痛い思いをしないと身の丈がわからんのだな」と考えたのだろう。
悲惨な手応えにも関わらず、私は合格者の末席に滑り込むことができた。

合格通知を見た時は言葉もないほど喜んだが、すぐに我に返った。
私には次のミッションがある。

学費の工面だ。

院試を受ける前に、親から
「大学院の学費は自分でどうにかしてくれ」
と言われていた。
きょうだい達が私のせいで進学を諦めることはあってはならない。
授業料は奨学金でなんとかなりそうだったが、問題は入学金などの入学前の支払いだった。
合格から入学までの5ヶ月程の間に、卒論を書きながら何十万円も用意しなければならない。はてどうしよう。

「時給の高い夜勤のバイトで働けばなんとか…」と、またしても「なんとかなる」精神で大学のアルバイト掲示板を見ていたら、一枚の無骨なポスターが目に飛び込んできた。

「本学在学生対象 懸賞論文コンテスト 最優秀賞 賞金20万円」

入学金とぴったり同額だった。

「これだ!」

ポスターを見上げながら、私は両手の拳を強く握りしめた。

「絶対この賞金を取る!」

後にも先にも、これほど強気になったことはない。私は卒論準備を完全に止めてコンテストの論文執筆に取りかかった。

テーマは確か「未来に向けた大学改革」とか、そんな感じだったと思う。

幸い、書きたいことは山ほどあった。
高大の教育内容のギャップの解消、入学後のコース選択の柔軟化、他大学とのネットワーク構築と国内単位互換制度…
私が在学中に感じていた大学への不満と願いを文字数制限いっぱいにぎゅっとまとめた。

コンテストの審査は2段階。
まず最初が論文審査、これを通過すると次は審査担当の教授との面接がある。

大学への不平不満と妄想を堅苦しい言葉でぎゅうぎゅうに詰め込んだ論文は、無事に一次審査を通過した。大学側がよく怒らなかったと今でも思う。

問題は面接審査だ。
会ったことのない他学部の教授に何を聞かれるのか、過去問もないので本当にぶっつけ本番だ。

「恥をかきまくった院試に比べれば何だってマシだ」という変な自信がついていた私は、初めて入る研究棟の薄暗い廊下の先にある、教授室の硬い扉の前に立った。

「ゴン、ゴン」

重い音が廊下に響く。

「どうぞ」
低い声が分厚い扉の奥から聞こえた。
私の「なんとかなる」が、廊下の暗がりに吸い込まれていった。

「失礼します…」

恐る恐る、重い扉をそーっと開けた。

「どうぞこちらにお座りください」

大きなデスクの向こうから、威厳に満ちた男性教授がこちらを見ている。
いきなり緊張MAXで胸のあたりがぎゅっとした。

教授はデスクの上にある私の論文をめくりながら、
「この論文に挙げられている課題について、もう少し詳しく説明してください」と質問した。

自分がどんな説明をしたのか、ほぼ記憶にない。そのくらい緊張していた。
論文に書いたのは予算度外視の若者の妄想だ。

もはや賞金のことなど頭から吹っ飛び、私の妄想論文に少しでも価値を与えようと必死に口を動かした。

頭から湯気を出しながらなんとか最後まで説明し終え、そろそろ終わりかと思った時、教授は私の顔をまっすぐに見据えて最後の質問をした。

「もし賞金が貰えたら、何に使いたいですか?」

教授、よくぞ聞いてくださいました!
私は胸を張って答えた。

「大学院に進学するので、全額入学金に当てます。」

教授は初めてにっこりと笑った。

それから一ヶ月ほどたった頃、学生掲示板に白地に黒い文字だけの無骨なポスターが掲げられた。

「学生論文コンテスト 入賞者発表」

正直、見るのが怖くて、下から順に視線を上げていった。
20人くらいの入選者を通り過ぎ、
佳作、
優秀賞、
…まだ出てこない。ああ神様。

そして、リストの一番上、「最優秀賞」の文字の隣に、私の名前を見つけた。
最優秀賞…入学金だ!
チャンスの女神よ、あなたの前髪を今掴みました!もう離さない!

私の周りを何人もの学生が通り過ぎていった。
「ああ、よかった…本当に進学できる」
嬉しさよりも、安堵の気持ちが大きかった。
ちなみに優秀賞は私の友人で、同じく大学院進学を決めていた。
私達の小さな大学はあれもこれも足りなかったが、もっと学びたいと願う若者を応援してくれたのだ。
自分の大学を初めて誇らしく思った。

当時はバブルがはじけ散った後で、経済は沈み、就職は氷河期と言われ、明るい未来が見えない時代だった。
そんな時にあえて大学院に進んだことで、余計な苦労を背負ったと感じたこともあった。
求人に応募しても学歴で断られ、「進学しなかったらもう少し楽な人生だったのかな」と後悔したりもした。

でも、今は違う。
連日徹夜で論文を読み、優秀な同期達に遅れまいと必死に努力し続けた日々は、社会に溢れる多様な情報から正しいと思うものを自ら選択し、論理的に考える力を鍛えてくれた。この経験はお金や仕事の機会を生み出しはしなかったが、間違いなく私の人生を支える大切な柱となっている。

今もふとした瞬間にあの薄暗い廊下を思い出す。
お名前を覚えておけばよかった。
教授、人生のかけがえのない旅の切符代を、ありがとうございました。



#やってみた大賞


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