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さくらももこ展で思い出す

私は文字を学ぶ前から、さくら先生の絵本を読めた。

"ことば"という存在に気づき始め、これから世の中のありとあらゆる表現を吸い込んでいく2歳の私の最初の一歩を、さくら先生の絵と文から始められたのだから、本当に日本人に生まれて良かったと思う。

さくらももこ先生の描く世界は、文字通り私の"心を動かす"のである。
しかも、さくら先生の作品の素敵なところは、どんな時もそばにいて寄り添ってくれる1冊というわけではなく、私が人生の新しいステージにのぼらなければいけないタイミングで、さりげなく私の本棚に現れ、「あんた、頑張んなさいよ」と背中を押してくれるのである。

最初のさくら先生との出会いが、2歳とすると、次は中学2年生の冬だった。

学校の読書の授業中に読みたい本が見当たらず、学校の図書館をうろうろしていた時、目の前に「ちびまる子ちゃん」の漫画が現れた。「授業中に漫画読めるなんてラッキー」くらいの感覚で手にした私は、その後、図書室の静寂の中で、吹き出すのを堪えられず、ついに鼻水まで出して爆笑してしまった。その日から、さくら先生の漫画、エッセイ、図書館にあるものは全て読み漁った。

その中で印象に残ったのが、さくら先生が奈良明日香村の岡寺に行き、その途中の甘樫丘から見た景色が忘れられない、という話だ。しかも、そこにある茶屋にはさくら先生が初めて書いたサインが飾ってあるという。

さくら先生が感動した景色を私も見たい。

思い立ったが吉日、祖父が奈良に住んでいたため、私は夏休みを利用して東京から奈良へいき、70代後半の祖父を真夏の明日香村のサイクリングに強引に駆り出したのだ。

甘樫丘はずっと登り坂だった。祖父を後ろに残し、私はグングンペダルを漕いだ。日が暮れ出している。汗が目に入ってしみる。それでも、どこかにさくら先生の見た景色があるだろうと思いペダルを踏み締めて前に進む。

すると突然、視界が開け、野原が広がり、明日香村を包むピンク色の空が私の視界のほとんどを占めた。私はペダルから足を浮かせ、車輪が進むままに風を切って野原を駆け降りていく。

「ギリギリまでペダルを漕いだら、あとは導かれるままに。」

当時、中学校の友達付き合いに悩み、高校受験のプレッシャーを背負っていた私の心に、そんな言葉が生まれた。そしてそれは、私の生き方になっていく。


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