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愛について 結論部は夫婦関係良好に必要な原理を少々

人により、様々な定義があるだろうが、ここに整理しておく。愛とはグラデーションがあるもので、白から始まり黒に終わるものだ。




純真無垢な愛

各自の心に欠けているカケラを、その対象が兼ね備えているがゆえに魅力的である。その魅力に疑惑疑念の余地がなく、それゆえに、全肯定で盲信的にその存在対象を称賛し、そのカケラを自らの心に取り込もうとする

自己定義

例えるならば、限りなく透き通った氷や、ふわふわで未踏の新雪のようなものだ。あるいは誘蛾灯に向かってしまう虫だろうか。

非言語の心体的な感覚感性と、経験値が積み重なり圧縮された理性や知が、双方複雑に一瞬で反応して、その輝きにカケラを見いだし魅了される。しかし、魅了されて、その魔力にあらがえずに近づく、寄り添う、ずっと共にしようとする。そうして自らの心に取り込もうとすると、真っ白で完全完璧であったものが、本当は理想通りの自分が望む100点満点のものでないことに気づいてしまう。

傷を見つけるのか。自分で傷つけるのか。深く知り減点幻滅するのか。違う一面を見るのか。時間の経過で自分の心や対象が変化するのか。いずれにせよ、全肯定で妄信的ではいられなくなる。疑いようのない百点ではなくなり、白から灰色になっていくにつれて、いつしか愛は、次の構造体としての愛に移行する。




構造体としての愛

その人の愛を構成する様々の価値を統合した、各個人の構造的なモデルが構築される。そして、その構造体が変化しても、どの程度まで愛とみなすか。その変化をどう構造体に再度組み込み愛とみなすかの判断がついてまわるようになる

自己定義

例えるならば、家だろうか。

百点満点の新築の家がたったとする。ある時、壁に傷をつけてしまった。しかし、その程度で家を引っ越したり売り払ったりはしない。しかし、柱が数本抜け落ちたらどうだろうか。窓が割れたら?1部屋の外壁がなくなったら?外壁がボロボロになったら?

誰彼が定義する、家はどこまで変化減点しても、家と呼べるのかという例と同様に、誰彼にとって、愛が愛であり愛足らしめる各要素要因の価値評価が絡んだ構造体骨格が形成される。どこまでが愛なのかは、各自の価値に準ずる。ピラミッドのように三角かもしれないし。ステージのように土台の足があるものかもしれない。

価値とは、主観的価値、客観的価値とその表面単純から、奥底複雑の四領域の価値群が絡み合うものだ。詳細は今回割愛するが、それらを用いて、愛の構造体としての言語化や図式化が成立する。そうすると、愛の判断比較評価が行えるようになる。





愛の扇動

愛は人を惑わすものである。正確に言うならば、自己同一性のため(一度愛を感じたのだから、それにずっと愛を感じ続ける整合性一貫性のある人間でありたい!)を証明するために、愛に執着しようとする。よく起きるのは、以下の通りである。

愛着:どんなに構造体としての評価が低くなっても、執着する事。どんなに壊れてもあえて気にしないことで、自らの整合性をことさら主張しようとする。

価値の見出し:構造体の評価が徐々に低くなった時、新しい価値を代わりに見出すこと。子供の為に母が必要だとか。守りたい存在に変化した等。新しい価値や意味を付加することで構造体に新しい柱を足して、自らの整合性を保とうとする。

価値の充填:二人で過ごした記憶や時間や、剥がれてしまったことさえも二人で生み出した歩んできた結果だ等、二人で積み上げてきたものを新しい価値として構造体内に充填して、価値の柱がなくなろうともそこにある塊として、自らの整合性を保とうとする。

のり替え:特定個体や対象を愛し続けることではなく、構造体化した愛から逆算してジャンルや領域を定義し、その領域や定義内におさまることで、自らの整合性を保とうとする。漫画愛!このジャンルの次の漫画へとか。こういう良い男愛!それに合う次の~等。




結論:愛の黒化、愛の老化

人間は飽きっぽい生き物であるし。老化していく生き物であるし。手を抜く楽をする生き物でもある。なので、基本的に構造体としての価値は経年劣化して目減りする。純白であったものが灰色の手あかがついたものになり、しまいには価値を失いつつ、どんどん真っ黒に近づく。そして完全に愛の冷めた惰性や破綻に至るか。条件に合う乗り換えが起きて、破綻する。

時間経過で増加するのは、経済力(経済的余裕)と記憶や思い出しかない。もし愛を繋ぎ留めたいのならば、愛の扇動にあげたアプローチを取る必要がある。つまり、相手と普段しないから印象や記憶に残る非日常経験をいっぱいして愛を充填し、色々と話しをして新しい?一面を知り取り込めるよう価値を見出すということだ。





おわりに

恋と愛の違いとか。愛が芽生えるとか。こう世の中には曖昧な表現が多いので整理してみました。夫婦関係を良好に保つということの大原則にも触れられた気がします。

なんでもそうですが、拘るから(これが正しい!こうするべきだ!こうあるべきだ!)、拘りから外れるとストレスや不満を感じるわけで。絶対愛さなければいけないものでもなく、人から見たら愛とはよべないものでもなんでもよく。こういう心のメカニズムがあるよってだけの話だと思います。人の数だけ愛があり、愛の価値評価があり、愛への表現があり、愛の維持方法がありと。なので他人がした愛の構築の話をうのみにしてもしょうがなく、ただただ自分の心と対象に向き合う営みでしかないものだと思います。


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