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昨日は夏でもいまは秋

いつもの八百屋さんを通ったら
珍しくバジルが置いてあって
その香りに誘われて買って
お家で台所にポンと置いておいたら
もうバジルの香りいっぱいで
なんだかずーっとご機嫌さんだった



そういえばハーブの香りも好きだったんだっけ
と思い出し この夏暑すぎて
植物系を置くというのをやらなかったから
そういった潤いもそろそろ欲しいなあーと
バジルの香りが思い出させてくれたみたい
ありがとう

香りって凄い大切だなーと思っていて
元々割と敏感で 人工的な香りを嗅ぐと咳き込んだり
喉に何かへばりつく感じがするので苦手で
申し訳ないけれども
それを付けてる人も苦手で
距離を置いてみたりしてたけれど
どこかに食べに出ても
近くに座った人の香りがキツイと
もう本当に味も何も分からなくなって
とっとと出て来てしまう

ああそうか そういうのもあって
あまり外食も好きでないのかもしれない

その人の好みだとは思うけれど
閉鎖的な場所や食事系とかに匂いを振りまかれると
本気で気分悪くなって「何でそんなに香おらせるかな」と
言葉にしなくても相手を責めていて
その 責めてる自分がイヤになるから
わざわざそういった状況に飛び込まないみたいね

個々の好みだし個性のひとつとか言われても
身体が拒否反応起こすもんで
それを何事も無いように出来るのがスバラシイとか
人それぞれだから許さなきゃいけないとか
そんなアホらしいこと全く思わない

かと言って 食事の場で見ず知らずの人に
「あなたの匂いが・・」と言うのもチガウから
身近な人ならちゃんと「自分は苦手なんで」と伝えるけど
公共の場ではとっとと自分が消え去る



コーヒーが好きだと思っていたのだけど
最近 私が好きなのは コーヒーの味ではなくて
香りなんだと気が付いた

どーりであんまりコーヒーの味の違いとかに
興味ないわけだ
それに気づいてから豆買うのやめて
インスタントコーヒーを時々入れては
香りを楽しんでいる
もちろんちゃんと飲みもするけれど

たぶん私にとって
ハーブやコーヒーの香りは
手軽に出来る癒しのようなもんで
それ以外でも炒った胡麻とか
自分好みの香りは
何でもリラックス出来るから

それ以外でも
雨のにおい や 土の香り とか

幾らでも日常のなかに
自分をゆるめてくれるものはあって

それらを感じられるのは
かつて や いつか に行っていない
いま だけ



台風の雨は秋を連れて来てくれたようで
突然涼しく と言うより肌寒くなった

数日前まではぬるく感じられていた水も
冷たく感じられるようになって
この突然の変わりように
あららとなっている

この 見えないけれど
ちゃんと働いているシステムみたいなもの

自然の摂理なのか
何なのかよく分からないけれど

ちゃんとそうなっている というのは
なんとなく気配で感じられる

何て言うんだろう
こう とてつもなく果てしなく大きな大きな
仕掛けのようなもの 仕組みのようなもの

ニンゲンの頭で考えられる事なんて
それに比べたら砂粒よりも小さくて
しかも
その全体のシステムの中に
ヒトも入っているのだから

そう考えると
自分の考えは正しい なんて
どうして思えるんだろう

とか言いながら
目の前の出来事にあちゃーとなったり
しているのだから
この自我システム含めて
ニンゲンはすごいなぁと思う



大きな大きな
うねりのようなものが
相も変わらずびゅんびゅんしてて
そうね秋分だもんねとなる

もう足掻かず
降参しなよと
どこかで声がしてる

そしてまた聴こえる



「ほんとうは どうしたいの?」

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。