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ストーリー的な演出がゲームの自由度を制約するとき【1】

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上陸作戦は成功したが、ベルツ中尉は死んだ

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演出がゲームの自由度を制限する問題を考える時、『エースコンバット04』(2001)のベルツ中尉が死ぬくだりを思い出します。あの演出は入れるかどうか迷いました。というのも、上陸作戦が成功したのに味方が死ぬというネガティブなことが起こります。それでいいのか、と。

プレイヤーはゲーム的にもシチュエーション的にも正しいことをしているのに、ベルツを救えない。普通逆だろ。ミッション失敗したらベルツが死に、成功したら生き残る。でも、成功してもベルツが死ぬ演出になる事で、結果的には「04」で最も心に残る場面の1つになりました。

演出が重要になるゲームの場合、ゲームルールとしてどうかと共にゲームプレイ体験全体としてどうかも考えなくてはなりません。ベルツが死ぬ演出を採用したのは、ゲームクリアをプレイヤーに伝える演出としては弱くなるが、エースパイロット体験としては魅力的になるという判断だったと言えます。

ゲームとは「ルールとゴールとフィードバックがある遊び」

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話は飛びますが、ゲームとはなんでしょうか? 私が好きな(狭義の)「ゲームの定義」は「ルールとゴールがあり、それらに関するフィードバックがある遊び」というものです。

「上陸作戦の支援という任務に成功したが、上陸部隊にいたベルツ大尉は死んだ」という演出は、ルールやゴールを曲げているわけじゃないけども、ゴールしたことを伝えるフィードバックを弱くしている状態と言うこともできます。

そうなった時に次に考えるのは、「フィードバックが弱くなる」というデメリットと、ゲームプレイ体験の向上というメリットのどちらを取るか。または本当に許容できないほどフィードバックは弱まってるのか。他の方法でフィードバックを強められないか…などなど。それらを総合的に勘案し「結局プレイヤーはこれを楽しいと感じるか」を判断することになります。

(続く)

※ここに書いたことは、過去作含むエースコンバットの内容やそれに対するプレイヤーのどんな感想も否定する意図はありません。またこれを読んだ方に何かを求めるものでもありません。

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