鬼藤凛

京都在住。エッセイ、小説などを書いてきました。

鬼藤凛

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マガジン

  • 花まくら

    四季折々の花を”まくら”においた、日々つれづれのエッセイ集です。 毎週火曜、金曜更新。

最近の記事

オリヅルラン(花まくら より 030)

 私が就職と共に京都に来て、三年が経つ頃のことである。私は引越しを考えていた。京都に来る時に選んだ住まいは、広くて、風通しがよくて、日当たりがよくて、言う事がなかったのだが、ただ一つ、住んで見てわかったのはベランダが大通りに面していて、うるさい、ということだった。特に、住み始めて一年ほどしたころ、近くに高速道路の出入り口が新設されてからは、トラックの往来が増え、ガタンガタン、ゴトンゴトン、グォォォ、と激しい騒音に悩まされるようになってしまった。  私は、次に住み替えるのなら、

    • ソメイヨシノ(花まくら より 027)

       桜、と聞いて、日本人が真っ先にイメージする、枝先まで満開に咲く、ごく淡い桃色の花、それがソメイヨシノだ。  私はソメイヨシノが苦手である。その理由は散り際が美しくないから。花びらが散ったあと、赤い雄しべ雌しべだけ枝先に残り、そこにまばらに葉っぱが芽吹いてくる。その姿が見苦しい、と、それが理由で、ソメイヨシノが好きじゃないんだと、思っていた。葉っぱと一緒に咲く、もう少し色の濃い、八重咲きのサトザクラやヤマザクラの方が好き。そう思っていた。  サトザクラ、ヤマザクラの方が好き、

      • 紫陽花(花まくら より 026)

         花というのは普通、雨に弱いものである。桜の花などが、その典型で、雨粒が当たった勢いで、花が落ちてしまう。桜が満開になる時期には、今週末まで持ちますかね、雨が降らないといいのだけれど、などという会話がそこここで交わされる。  紫陽花はそういう意味で、梅雨時に盛りを迎える、特異な存在である。少し厚ぼったい花びらは、降りそそぐ雨のしずくをはじき、周囲に刻みが入った大きめの葉は、濡れそぼって濃い緑色に映える。紫陽花は、雨に打たれてこそ美しい。  紫陽花は、七変化、とも呼ばれる。七変

        • 牡丹(花まくら より 025)

          「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」  とは、美しい女性の姿を花に例えた言葉である。この内、芍薬と牡丹は、とてもよく似た花である。大まかに言えば、芍薬は草で、牡丹は木である。葉っぱも違っていて、芍薬の葉は細長く艶があり、牡丹の葉は先が三つに分かれていて艶がない。  一見すると同じように見える芍薬と牡丹、分類学的にもボタン科ボタン属で近しい品種、しかし、詳細にその様子を観察してみれば、大きな違いがあることに気づく。私はこの二つの植物を、双子の姉妹に例えることにした。そし

        オリヅルラン(花まくら より 030)

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        • 花まくら
          30本

        記事

          芍薬(花まくら より 024)

           「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」  とは、最高の美人を形容した言葉である。ここに出てくる芍薬は、多年草で、手のひらを思い切り広げたよりも一回り大きい花を咲かせる、大変豪華な花である。花は普通八重で、花びらのふちは波打っており、白と桃色がぼかしになっている。花の大きさ、華麗さと比較して茎が細いのが印象的で、遠目にみると、スラリとした柳腰の美女が、匂うような美貌で佇んでいるのを思わせる。  私の忘れられない芍薬の思い出は、二〇〇八年の五月である。場所は京都の洛南にあ

          芍薬(花まくら より 024)

          ミモザ(花まくら より 023)

           中学校の頃、学校の給食の献立表に「ミモザサラダ」という見慣れないメニューが登場した。国語の時間、よもやま話の中で、教師が今日の献立の「ミモザサラダ」って、なんだろうな、と言い出した。私はその日の給食の献立を確認する、なんてことはしていなかったから、その時初めて、今日の給食の献立が「ミモザサラダ」だと言うことを知った。サラダ、はわかるが、ミモザ、とはなんの事だろうか?変わった食材だろうか?  教室内がざわつき、あれやこれやとミモザについて話している中、一人の女子生徒が、手をあ

          ミモザ(花まくら より 023)

          カメリア(花まくら より 022)

           カメリア、とは椿のことである。椿ではなく、特にカメリア、としたのには訳があって、今回のお話は、私にとって初めての香水についてを話題にしたいと思ってのことである。  私にとって初めての香水は、母親の所有している香水だった。その香水は、ほんのりと桃色をしていて、ごくごく淡い香りだった。タンスの飾り棚に入っていた印象がそういう風に感じさせたのか、洋風というより、和風、ドレスよりも着物に合うのではないか、と思わせる香りだった。そして、その香水の瓶は、透明のガラス製で、丸っこく、平た

          カメリア(花まくら より 022)

          菜の花(花まくら より 021)

           寒さもゆるみ、ダウンコートの前を開けるころ、スーパーマーケットの店頭に、菜の花は並ぶ。京都はまだまだ春というには気が早いが、熊本、福岡などの九州地方から、ほころびかけた菜の花の蕾が運ばれてくる。菜の花は黄緑色の蕾から、わずかに黄色の花びらをのぞかせる、春のさきがけである。私が買う菜の花は、十四、五本が束になって、くるりと薄紙で巻いて、輪ゴムで留めてあるもので、長さは十二センチほどだろうか、家族四人の副菜にちょうどいい量である。私は買い物かごに菜の花を入れる。もやし、バナナ、

          菜の花(花まくら より 021)

          ケシ(花まくら より 029)

           雨傘が、色とりどりの物から、透明なビニール傘に取って代わられたのは、いつごろからだろうか?一九九〇年代、私が小学生のころには、まだあの透明な傘は出現していなかったと記憶している。二〇〇〇年代になっても、まだ、傘は数千円出して買うものだった気がする。二〇一〇年代に入ると、そう、二〇一〇年代に入ったころ。そのころになると、すでに傘は降るたびにその場で買うものに変化していた気がする。雨の日、街ゆく人が傘をさして行き交う光景は、今では当たり前に透明の傘が主流である。折り畳み傘を持ち

          ケシ(花まくら より 029)

          デンファレ(花まくら より 028)

           私の生まれた愛知県岡崎市には、花にまつわる奇妙な風習がある。私がその風習は、一般的なものではなく、ごく限られた地域でしか行われない奇習だと知ったのは、中学生ごろだった。大人になってから、愛知県を出て、京都に来た後、確かに、それが事実で、京都ではそのようなことをする人がいないというのを見て、私は、やっぱりそうだったんだなぁ、と思ったものである。  その風習とは、新しく開店した店に届けられた花を、通りすがりに持ち帰る、というものである。と、言ってもさすがに胡蝶蘭の鉢植えを持って

          デンファレ(花まくら より 028)

          水仙(花まくら より 019)

           水仙、と聞いて、私が一番最初に思い起こすのは、ギリシャ神話にある、ナルキッソスの伝承だ。ナルキッソス、というのはナルシストの語源になった若い男性の名前で、このナルキッソスという人が非常な自信家、うぬぼれ屋、美意識過剰な、今日でいういわゆるナルシストの性質を持っていたところから、そういう人のことをナルシスト、と揶揄するようになったという。  ギリシャ神話のナルキッソスの伝承が、どのようなお話かというと、あるところに、非常に美しい青年がおり、これが自分の美貌を鼻にかけ、人を見く

          水仙(花まくら より 019)

          朝顔(花まくら より 018)

           日本の夏を彩る花と言えば、朝顔である。青、赤紫の花に、星のように五条の白い筋が入った物が定番だろう。朝早くに咲き、昼頃にはもう閉じている。早朝の涼しい時間帯に、家の外に出てみれば、朝顔の花が咲いている。まだ日差しがきつくなる前の、爽やかな夏の朝、朝顔に水をやるついでに、地面にも水を撒く。京都の風物詩、打ち水である。ひんやりとしめった石畳の路地…とまでは行かなくとも、そこがコンクリートであっても、アスファルトであっても、夏の打ち水は清涼感があって、一日の始まりを清めてくれる効

          朝顔(花まくら より 018)

          パンジー(花まくら より 017)

           私の祖母は、毎年、毎シーズン、年がら年中と言っていいほど、パンジーを育てている。中にはビオラ、と呼ばれる小型の品種も混ざっていが、ここではまとめてパンジー、と書くことにする。私から見ると、祖母はパンジーが大好きなように見えるのだが、祖母からするとそうではなく、やっぱり春はパンジー、夏はパンジー、秋はパンジー、冬はパンジーと、なんとなくパンジーを植えてしまう、のだそうである。別に特別好きなわけでもないんだけどさ、と祖母は言う。祖母が育てているパンジーは、オーソドックスな黄色の

          パンジー(花まくら より 017)

          クレマチス(花まくら より 016)

           クレマチス、という名前より、私はテッセン、という呼び方の方が好きだ。テッセン、とは鉄線と書く。クレマチスとテッセン、そしてカザグルマの三種は近縁で、花の時期と原産がそれぞれ異なるが、見た目はよく似ている。三種ともつる植物で、初夏から秋にかけて咲く。テッセンは白い花弁に、紫色の花芯、花の大きさは手のひらほど。花びらはアーモンド型をしていて、六枚である。原産は中国であり、日本での栽培の歴史も長い。クレマチスは花の色が濃い紫やピンク系、白、と様々あり園芸品種として人気がある。花弁

          クレマチス(花まくら より 016)

          コスモス(花まくら より 015)

           一九九〇年前後、私の生まれ育った愛知県岡崎市では、コスモス畑が急にいくつも出現し、白い花、淡いピンクの花、濃いピンクの花、とグラデーションの花畑が満開に花を咲かせていた。それは私が小学校低学年のころまでは田んぼだったところで、かつて秋には黄金色の稲穂が首をもたげて風に波打つ光景が広がっていた場所だった。それが、いつの頃か田植えも、水路に流れる涼しげな水もなくなった。そして田植えをされなくなって、二、三年経った、ある年の夏、見慣れぬ草が一面に生え初め、秋にコスモスが咲いた。田

          コスモス(花まくら より 015)

          タンポポ(花まくら より 014)

           白色のタンポポを初めて見たのは中学生のころだった。中学校の外周を歩いている時、校庭の片隅に、白いタンポポが咲いているのを見つけた。私はそのタンポポを見て、突然変異のアルビノは、植物にもあったのか!と驚いた。辺りにはごく当たり前の黄色のタンポポも咲いていたが、その株から生えている二本のタンポポだけが、白い花をつけていた。白いタンポポが咲いていた、という話を学校でして、植物に詳しい先生から、それは突然変異ではなく、関西の方面で多く見かけられるものだということを教えてもらった。関

          タンポポ(花まくら より 014)