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直感が理論より優先される世界

*2022年8月29日放送のYouTube「キツネラジオ」を文字起こししたものです。写真はイメージで、本文とは関係ありません。

中尾:
8月15日は終戦記念日でしたね。澁澤さんはどんなふうに過ごされましたか?
 
澁澤:
毎年高校野球の最中じゃないですか。
試合が中断されてサイレンが鳴って、「黙祷」と言われて、それで『終戦記念日なんだ』とハッと気づかされるような、若い頃はそんな日々でしたね。
だけどその頃はまだ先の戦争で仲間が死んでいったりとか、家族を失ったりした人たちがたくさんご存命でしたし、町の中にも包帯を巻いて「お金をください」といっておられる傷痍軍人さんたちがたくさんいらっしゃったので、みんなの中に当たり前のように「もう二度と戦争はしない」という暗黙の了解ができている社会でしたね。「繰り返しません、あの過ちは。」という中での終戦記念日と、戦争が遠くなって、戦争と言ってもほとんどイメージが湧かないけど、自分たちが日々やるゲームの中には絶えず戦争があって、戦いがあって、それを楽しみながら、テレビでも見られて、実際に戦争もまさにゲームの中と同じように、ミサイルが飛んで行って破壊するところが映像で見えてしまうという時代。戦争の捉え方がまるで違ってきたなという危うさは感じていて、そこにロシアのプーチンという、愚かかもしれないけれどバカではない、ちゃんと道理をわかっている人、その人が戦争を起こして、尚且つそれをだれも止められない。武器強要をする、ある意味では武器商人たちを喜ばせるということを国というものは延々とやり、人が見えなくなってしまっているという現実がむなしいというか、自分自身を否定されたような、自分の生きてきた人生を否定されたような、そんな思いの終戦記念日でしたね。
 
中尾:
毎年、この時期になると、戦争を経験された方たちのインタビューが流れますけど、今年は少し違ったような気がしました。
今まで戦争の話は語りたがらない方も出てこられて、こんな時代だからこそ、ちゃんと伝えなきゃという危機感を感じておられるなという気がしました。
 
澁澤:
その時に、言葉で伝えるということがいかに難しいかですよね。
 
中尾:
でもね、もう皆さん80代,90代なわけですよ。そんなご高齢なのに、その時のことは鮮明に覚えていらして、ものすごく細かいところまで淀みなくちゃんと話されるんですよ。
それはね、役割と思っていらっしゃるんだろうなと感じました。
 
澁澤:
聞き書きをやっていても、人生で一番印象に残っているのは、やはり戦争のことなんですよ。それを語らなかったら、自分の人生は語れないというのが、経験された方々ですね。ところがその方々が圧倒的に少なくなって来られて、語らなきゃいけないという思いを受け止める感性というか、そこに共感するとか、自分の思いを重ねる、自分の体験の上で思いを重ねていくということがもうできなくなってしまいました。なんだか自分たちとは全然違う人たちが話していて、知識としてそれを学ぼうとはするけど、そこに寄り添えとか、共感をしろと言っても自分には何もないから無理ですという学生さんが多いですよ。
 
中尾:
そうですね、私も戦争の体験はありませんけど、最初に澁澤さんがおっしゃったように、私が子供の頃はまだ町に傷痍軍人さんたちがいらっしゃったので、リアルではないけど、一番最後を知っているくらいの感覚はあります。周りにも戦争を体験された方がたくさんいましたしね。
 
澁澤:
たくさんいました。その人たちは話してくれたわけではないけど、一緒にいるだけでその人たちの雰囲気みたいなものを理解できる時代でした。その後そういう方たちが段々いなくなって、本だとか理屈で戦争をやらないようにしよう、より良い社会にしていこう、と学んできた時代。その中にポンとプーチンが出てきた時に、自分たちが学んできた知識というものが、何の役にも立たないのではないかという絶望感がとても強いですね。
 
中尾:
それは私も思います。
 
澁澤:
そういえば先日、とても興味深い記事を見たのです。
連合赤軍の生き残りの方々と、Z世代と言われている今の大学生さんたちとの討論会が催されたという記事でした。
最後まで論理は全く交わることはなかったとありました。
連合赤軍の人たちが革命をしようと本気で思い、理論展開をしながら、他の人たちを論破しながら、自分の正当性を自分の中にも確立しながら社会にも普及しようとしていた時代。
一方ではリンチなどで仲間を粛正していくという暴力行為に頼るなどということはあり得ない、感覚的にも持っていないし、自分も否定された社会の中で育ってきたという大学生たちは、「なんでそうなってしまうのかが全く分かりません」と、全くすれ違うわけです。
元連合赤軍にしてみれば、プーチンは武力を持って変えようとしたじゃないか、どんなにウクライナとロシアが話し合っても外交の場では結局解決はしなくて、世の中がやっとウクライナに目が向いて変わったのは、プーチンが暴力的な行為をやったからだ、というのが連合赤軍の論理。だから社会を変えようと思ったら、武力闘争というのは絶対に必要なんだという一本の論理があるわけです。
それに対して、武力なんて言うものはリアリティをもって自分たちは意識できないという世代。それらが全くすれ違うかと思ったら、最後の時になって学生が、
「連合赤軍であさま山荘をはじめとする悲惨な内部での内ゲバと言われるものがあって、多くのメンバーが粛正されて行ったのに、なんで先輩たちは生き残られたのですか?」と聞くと、それぞれがその闘争から抜け出した時期があることに気づくんです。
最後まで行ってしまった人たちは内ゲバしたり、収監された人も何人かいるのですが、極刑まで行かないところで逃げ出した人たちなのです。
その一人は自分に彼女ができた。
「恋愛というのは革命に対してはとんでもないことだ、反省しろ」と言って、徹底的に仲間にやられる。だけど自分の感情の中には恋愛がある。「恋愛は女がいるから悪い、女をつるし上げてリンチをしろ」ということになる。これはヤバいと思って逃げた。では「逃げた時の感情って何ですか?」と聞くと、「それはもう理屈でもなんでもなくて直感だ」という。結局理論ではなく、直感で動いた部分が人間の本質なんですよね。学生たちは自分たちも理論でものを考えていく。直感で考えたことがない。その直感という部分は芸術にも通じるのかもしれない。お互いが自分の直感を信じ合えて、相手を思ってあげる、その感性を共有する社会にしていかないと、世界は平和にもなれないし、持続可能にもならないのではないかというのが両方の結論だったという記事をみて、深いなと思いました。
 
中尾:
ホントですね。
 
澁澤:
どうやったら直感の方が理論より優先される世界になるのか。尚且つ人類というもの、地球というものに間違わない直感を持てるにはどうすればよいかということを教えられますね。
 
中尾:
そうですね。ものすごく難しいですけどね。
でも、ちゃんと聞く耳を持たなきゃと思いますね。
その会話は、元連合赤軍と現在の大学生との会話だから、確かなものというか話し合う価値がありますよね。
 
澁澤:
それはね、お互い全然合わないだろうと思ったし、実際会っても合わなかったんだけど、どこかで合うところを見つけようと両方が思ったのですよ。
 
中尾:
そう、そこ大事ですね。
 
澁澤:
その中で出てきた言葉だから、大事だと思うのですね。

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