見出し画像

不本意に矢を放っている話。

なるべく自分のことを書こうと思っている。
でも、そうすると誤解を招くんじゃないかと不安になる。

たとえば、自分が好きなことについて。
ひとりの時間が好きだと言えば、
子どもとの時間は好きじゃないのか?
じゃあなぜ母親になった!
と、どこかから矢が飛んでくる。
その矢を放っているのは自分なのだけれど。

自分のやりたいことを話すと、
誰かのことを責めているように聞こえないか不安になる。
不登校になった息子のせい。
散財して貯金ができない夫のせい。
転勤族の夫のせい。
どれも本人たちに謝られたことがある。
知らずのうちに責めてしまっていたんだろうか。
そんな言葉の含みを持たせていたんだろうか。
ただ、やりたいことを言っただけなのに。
どうやったらできるかを相談したかっただけなのに。
そして原因は行動しないわたしにあるのに。

一番は自分で自分のことを責めている。
自分がどうにかすればどうとでもなるのにって。
ネガティブとかそういうことではなくて、現実にそうなのだ。
自分を責める矢は何かアクションを起こさないと抜けない。
その突き刺さったままの矢が重たくて、今日もまた何も変えられずにいる。

でも、これ以上の矢を自分で自分に放たないように、
大事な家族に不本意に突き刺さないようにしたい。

ちなみに、ひとりの時間が好き=誰かといる時間が嫌いってことにはならない。
こうやって誤解をといていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?