表紙の言葉

 雑誌やPR誌の表紙の仕事をしていると、ときどき「表紙の言葉」を書かなくてはいけないことがある。たいてい二、三行程度のごく簡単なものだ。
 これが非常に苦手である。これを書かなくてはいけない苦しさに、仕事を降りるべきか迷うこともあるくらいだ。
 僕のような職人の場合、依頼された絵に関して表現の意図はあまり無いから、言葉で説明しようとしても書くことがないのだ。

 イラストレーターと一口に言っても、いろいろなタイプの人がいる。
 自分が描きたいもの、表現したいことがあって、そういうものを描き続けているうちに、「うちの媒体にも是非そういうものを描いて欲しい」という依頼が殺到するタイプ。
 または、普段描きたいものは特にこれといって無いけれど、「うちの媒体にこういうものを描いて欲しい」と依頼されるタイプ。
 僕の場合は完全に後者だ。描きたいものは、無い!と胸を張って言える。自慢じゃないが。いや、自慢することじゃないが。
 イラストレーターとしての冷徹な職人魂だけみれば、ゴルゴ13に似ている。頼まれれば殺すけど、別に殺したい人がいるわけではない、みたいな。
 その代わりといってはなんだが、描きたくないものも特に無い。依頼されれば何でも描く。
 たった今、自分の空虚さを再発見して愕然とした。

 話を戻すと、表紙の絵を依頼されたとして、それはクライアントが描いて欲しい絵を描いていることになる。となると、表紙の言葉はいつも「こういうものを頼まれたので描きました」になってしまう。実際そう書くことが多い。まことに無粋である。
 しかし、何が描かれているかは絵を見ればわかるというものだ。少なくとも自分の場合、モチーフは具象的にわかりやすく描いているのだし、わざわざ説明する意味がない。

 僕は自分の仕事場が一番落ち着くと思っているので、アイディアに詰まったからといって近所のカフェに行って考えたりはしない。一日中仕事場に籠もっていることがほとんどだ。それに、コーヒーは自分で淹れたほうが美味い、とまでは言わないが、充分である。というよりもインスタントコーヒーとの差もわからないくらいの野暮天である。よく「違いのわからない男」であると公言しているほどだ。実は最近、少しだけ違いがわかるようになったので、何事も経験であるとは思うのだが、気分を変えるために仕事場を出ることは滅多にない。

 そんな人間が、だ。たった二、三行の表紙の言葉に呻吟するあまり、思わずオートバイで海ほたるまで行ってしまうのだ。
 オートバイに乗っている間は運転に集中していて何も考えない。長い長い海底トンネルのオレンジ色の光の中をぼーっと走る。むしろ頭が空っぽになるのが良いのではないかと一瞬思うのだが、もとから中身が空虚だから書くことが無いのに、これ以上空にしてどうするというのだろう。
 海ほたるでは一番上の階へ行って海を見る。それからフードコートのようなところへ入って飲み放題のドリンクバーを注文し、ピンクやエメラルドグリーンの、色とりどりな得体の知れない液体を飲みながら再び呻吟するのである。

 表紙の言葉が書けないもう一つの理由は、自分の絵を見ても何も感じないからというのがある。仕上がったものを見ても、「やっと描き終わった」「〆切に間に合った」くらいしか思わない。極めて底の浅い人間である。
 何も思いつかないまま、またオレンジ色の長い海底トンネルを通って帰る。ガソリンと時間を無駄に使っただけだった。
 やはり容れ物を空にしたところで、そこに何かを入れなければ出すものもない。これがいわゆる今流行の、僕が嫌いなインプット・アウトプット問題なのだろうか。
 表紙の言葉の二、三行を書くほうが、本体の絵を描くよりもずっと時間がかかる。果たして、その分はギャラに含まれているのだろうか。
 そして今日もまた「こういうものを頼まれたので描きました」という野暮なことを書いてしまうのだった。

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目印通信

仕事やイベントの情報とか、一見誰かの役に立ちそうでいて実は役に立たない、けれど何か伝えたいことがあれば書きます。たまにエッセイも。
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