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弟が死んだ日-金曜日-

姉の迎えの時間は9:15。
空港に行くまでには2時間かかるため、私は早起きをして、7時前に家を出た。

昨日寝たのは4時半頃だったけど、眠くはなく、道中は弟のこと、今後のことをぐるぐると考えていた。
涙が出そうになるのを何度も我慢した。


姉と合流すると、姉は私にスタバの飲み物を買って待っていてくれた。
新作らしい。

姉に、昨日まで母とどのように過ごしたのか、これまでの事を話した。


姉は、全然泣けないのだと話す。
弟が帰ってこないと聞いた時、弟かもしれない遺体が見つかった時、遺体と弟の指紋が一致した時、どの連絡が来ても、どこか他人事のようで、涙が出てこないのだそうだ。

「薄情なんかなぁ」

姉はそう呟く。


姉はあっけらかんとした人だった。18歳の高校卒業と同時に家を出て、県外の大学に進学。その後はそのままその土地で就職をして、父と同じようにお盆とお正月の年に2回ほどしか実家には帰ってこない。

うちの家は、私達が小さい頃、父は単身赴任、母は喘息で何も家事ができないことが多く、その間、姉は、私と弟のご飯の用意をしてくれていた。今の時代では、いわゆるヤングケアラーという状態だったと思う。私たちも、何でもかんでも姉に頼っており、それが嫌で家を出たそうだ。


「お母さんから、帰ってこないって連絡きた時さぁ、まさかとは正直思ったよね」
「私も、もう、死んじゃったかもって気持ちの方が強かったよ。」
「あの小心者の弟が連絡もなしに無断外泊なんてあり得ない」

さすが姉だ、と思った。私と同じ事を思っていた姉の発言に少し笑いつつ、家に着くまでは、姉と、これまでのこと、これからのこと、弟の事、2人でいろいろと話した。

「せっかく弟に家のことを押しつけて、自由に過ごすつもりだったのになぁ」
姉はそんな事を呟いていた。


その日のことは私も今となっては朧げである。

姉を連れて家に着いた頃、ちょうどお昼ご飯の時間だった。家に帰ってきた時には父と母の姿はなく、2人は今後の葬儀の準備をしに出ていた。
母へ自宅に着いたことを連絡する。

30分ほど経つと父と母も帰ってきて、そのまま私の車で警察署に向かった。


今日は遺体引き取りの日。


警察から遺体が見つかった詳しい経緯や調べた結果について話を聞きにいく事になっていた。
警察からは事前に、弟の遺体に対面できるが、どうするかを家族で話していてほしいと言われていた。



14時に警察署に行くことになっていたが、真っ直ぐ向かう気にはなれず、少し早めに家を出て、警察署近くのコンビニでお昼ご飯を買って食べながら、時間ギリギリまでその場所にいた。


サンドイッチを一つだけ、口に運ぶ。それだけ食べればもう十分だった。自分の心臓の音が聞こえるくらいドクドクして、緊張で食べれそうになかった。
水曜日くらいからあまりご飯を食べていなかったが、不思議と、お腹は空かなかった。


みんな、やっぱり、弟に会うのが怖いようで、重苦しい空気の中、車内では弟の遺体を見るか見ないかという話になる。

「私は見るよ、見ないと後悔しそう」
「警察の人は遺体は顔がぐちゃぐちゃっていいよらしたけど…お母さんも、怖いけど…見る。」

私と母がそういうと、父と姉は歯切れの悪い言い方で答えた。

「お父さんは…どうしようかな……見ないでいいかな…」
「お姉ちゃんもあんまり見たくないかも…やめとこうかな…」
「私、昨日、『顔 ぐちゃぐちゃ』で検索して心構えしてきたよ」

私のその発言を聞いて、姉が少しだけ笑う。
緊張していた空気も少し和らぎ、家族の表情も緩んでいた。

母と私は見る事にしたが、結局、父と姉は決める事ができずに出発の時間となる。


運転をしながら、口から心臓が飛び出そうとはこの事かと思えるほどに、心臓がバクバクして、ありえないほど緊張していた。
それでも、どんなに酷い状態でも、ちゃんと見る。
弟の最後の姿を、弟の生きた証を、弟の表情を忘れないように、後悔しないように、きちんと見ようと決めた。

手足が自分のものじゃないような感覚になりながら、警察署に向かう。




警察署に着き、名前を伝える。受付の人はすぐにわかったようで、「こちらでお待ちください」と言って、この前と同じ部屋に通してくれた。




狭い部屋に、机一つとパイプ椅子が4つ。
家族4人で、そこに小さく縮こまるようにして座る。




数分待つとすぐに刑事がやってきた。この前話を聞いた人と同じ刑事であった。



私は携帯電話のボイスレコーダーと、紙とノートを準備して、弟のことを、真実を、一字一句も聞き漏らさないようにと構えていた。

私が携帯を机の上に置くと、刑事は私が何をしようとしているのか、すぐにわかったようで、申し訳ないが録音は控えてほしいと言われた。
残念ではあったが、ボイスレコーダーはその場ですぐに切り、携帯をカバンにしまう。




まず、遺体について。
遺体の胸ポケットから、弟の免許証が出てきた事を教えられる。
遺体発見の状況についてはこの前警察に聞いていたことと同じことを説明された。今回は事故現場の写真や弟の遺体がうつった写真をまとめた資料を見せてもらいながら、刑事も私たちのことを気遣いつつ、丁寧に話をしてくれた。


母と私は2回目、(母に至っては3回目)、そして事故現場とされる場所を見ていたのもあり、説明を受けながら、すんなりと情景が思い浮かんでいたため、写真を見ながら「やっぱりあそこだったね」とつぶやく。

父は刑事の言葉を受けて、二言三言詳しい場所を質問していた。姉は、ただじっと、話を聞いていた。



「おそらく、ここに、草が薙ぎ倒されている後がありますから、こちらから落ちてしまったのではないかと思われます。」



刑事が見せてくれた写真は、昨日私と母が見つけた場所と同じ場所をうつしており、私達の予想はぴたりと的中した。



死因は腰を強打した事による内出血死で、『即死』との事であった。争った形跡や目撃情報、遺書などもないため、自殺かどうかの判断はできず、事故として扱われるようである。


刑事から死亡診断書を受け取る。父と母が見ている横から私も読んでみたが、難しい用語が書いてあり、全くわからなかった。
診断書によると、弟の死亡推定時刻は6月27日、日曜日。そこだけはわかった。
弟のバイクが放置バイクとして通報されたのが、同じ日の10時過ぎ。その場所にすでに人の姿はなかったと刑事は言う。
つまり、弟がバイトに出たその日に、そのままの足でその場所に行き、朝のうちに、弟は亡くなったようであった。


弟の足取りが少しだけイメージできた。あの暗い海で、三日三晩も苦しんで最後を迎えていなかった事に少しだけ安堵する。



では何故、その場所に行ったのか。
何を思い、何を考え、どうして落ちてしまったのか。



結局のところ、何もわからずじまいであった。





事故の資料の中には弟の遺体の写真が小さく載っていた。
刑事の話では、体は綺麗であったが、腰を強打した後にそのまま仰向けとなっていたため、落ちる際に地面に頭をうちつけ、少しだけ頭蓋骨の骨が出ているとの事である。



資料の写真だけでは、弟の顔まではよくわからなかったが、どんな体勢であったのかはわかった。



弟の遺体は、肩をすくめたような様子で、手は胸の前にあり、うらめしやとお化けのようなポーズで固まっている。腰を強打しているため、その衝撃か、痛かったのか、背中は少し丸まったようにしており、足は左足を少しだけ曲げている。





内出血だったおかげで、幸いにも衣類に血はついていないようであった。




「遺体ですが、3日間、外で放置されていたのもあり、あまり状態はよくありません。顔も生前とは違う様子で、ショックを受けられるかと思いますが、見られますか?」



刑事が尋ねる。




私と母の意見は変わらなかったが、父と姉は悩んだ末に見ると決断した。




刑事が念押しをするかのように「だいぶ腐敗が進んでいます、虫も少し沸いていたんですが、できるだけ処理はしています。…ご気分を害されるかもしれないです、本当に、いいですね?大丈夫ですね?」と神妙な面持ちで尋ねる。家族全員で大丈夫だと伝え、わかりましたと一度刑事は退席する。



待っている間、家族で死亡診断書を再度確認して、これはどう言う事か、命日は27日になるのか、などと先程刑事から聞いた話を振り返っていた。
そうこうしていると、ノックの音が聞こえ、刑事が部屋に入ってきた。

「準備ができましたので、こちらへどうぞ」


遺体の場所まで案内される。部屋を出て、廊下を少しだけ歩く。また心臓がドクドクと鳴り出す。一度警察署の裏口のようなところから外に出た。外のムシムシとした、ムワッとした空気が体を包む。


「こちらです」


刑事が指し示したのは、まるで車のガレージのような、プレハブ古屋の建物だった。刑事はスッと中に入り、私たちが来るのを待っている。


中に入ると、部屋の真ん中に、ストレッチャーが置いてあり、その上に白い布で覆い被されたものがあった。周りには物が雑多に置かれており、確か、お線香のような物がその奥に置いてあったとは思う。


あの光景は、あまり覚えていない。ただ、そこに、真剣な顔で立っている先ほどの刑事と、その隣に申し訳なさそうな表情をした若い刑事の人が2人、立っていた。

あなたのせいじゃないのに、そんなに申し訳ない顔しないでいいのに、そんなことを考えていた。



その場所はなんだか、とても広く感じ、弟の遺体がそこに、ぽつんと、置いてあったように思える。

刑事ドラマでよく見かけるような、白い壁で塗り固められた霊安室のイメージとはかなりかけ離れていたら。
ドラマだったら、蝋燭とお線香が立ててあって、静かで暗くて、遺体だけが、パッと光で照らされて、冷たい空気で包まれているみたいな場所に、遺体なんて置かれてなかった。実際はムシムシと蒸し暑く、外から季節外れのセミの音が聞こえていた。


私はあまり感じなかったけど、家族曰く、酷い異臭がしていたそうだ。





刑事が静かに布をめくり、弟の顔が見えた。


目は上の方を向いており、口は少し開いていて、顔を顰めるようにしている。その表情は、激痛に体を歪め、苦しげに天を仰いでいるようだった。


*遺体の様子について詳しく記述していますので、苦手な方は飛ばしてください。


黒目と白目の境界線は滲んだようになっており、白だった部分は、薄緑色になっている。目や口、耳には、まだ少し、うじがわいていた。肌の色はとても生きていた頃とはかけ離れたもので、日に焼けたように黒く、深い緑色のような、正気のない色。歯磨きが大嫌いな弟だったが、何故だか、歯だけが真っ白に輝いていた。おそらく、歯型でも本人確認をしたのであろう。後頭部はよく見えなかったが、少しだけ骨が見えていた。



その姿を見て、初めて姉が、声を上げて泣いた。



人目も憚らず、大号泣しており、演劇部だった姉の声量は、古屋の外まで漏れているんじゃないかという程、大きかった。


父は少しだけ目頭を抑え、母は姉と同じように泣いていた。


「〇〇だ…〇〇だね」



ちゃんと、弟の顔だった。

刑事が、顔がグチャグチャだなんていうから、もっと悪い顔を想像していた。

目もあった、耳もあった、口も、鼻も、ちゃんと弟の姿だった。


腐敗はしていた、とても人には見せられるような顔ではなかった、でも、家族にはすぐにわかった。
私の弟だと、くだらない事をして、喧嘩をして、ゲームをして、遊んで、笑って食べて、私と、私たち家族と、20年間一緒に過ごした弟なんだと、すぐにわかった。




「触ってもいいですか?」


そう尋ねると、刑事はどうぞと言う。


弟の遺体にそっと触れた。それは、弟の肌ではあったが、冷たく、固く、まるで、弟に似せたそういう人形なんじゃないかと思った。


父も母も姉も、私が触ったのを見て、弟の遺体に触っていたが、すぐに引っ込めていた。

刑事が何やら説明していたが、何を言っていたのかは、覚えていない。


私が話を聞きながら、弟の遺体にわいていたうじ虫をそっと、ティッシュでとってあげていると、刑事が「すみません」と謝って、そのティッシュのゴミを、そっと、受け取ってくれた事しか覚えていない。




私は、泣かなかった。

何故だか、涙が出なかった。

弟に会えるまでは、涙が枯れるくらいあんなに泣いていたのに、姉が私の代わりにたくさん泣いてくれたからなのか、泣くのを堪えていたからなのか、弟のその姿を呆然と見ていた。



はじめて、病気じゃない人の遺体を見た。
これまで祖父母の死に目を見た事も、死んだ後の顔も見たことがあったけど、全然違った。
ただただ怖かった、弟をあんな姿や表情にさせてしまったことが、苦しかった。



何年経っても弟の最後の姿は、慣れないと思う。慣れたくないな、と思う。




そのあとは、遺体の引き取り先について話をした。弟の遺体はそのまま、葬儀会場の方に連れて行かれた。父は家に一度返してあげたいと希望していたが、とてもうちに運べるような状態ではなかったため、弟の遺体とは、そのままそこで別れた。


弟のバイクはどうしますかと聞かれたが、誰も中型バイクの免許を持っていなかったため、持って帰ることも、乗る事もできなかったため、警察署の方で処分をしてもらえるように頼んだ。


帰りの車内では、弟の遺体について、みんな同じ事を思っていたようであった。思ったよりグチャグチャじゃなかったよね、ちゃんと弟の顔だったね、痛そうな顔だったね。そう呟いて少し泣いた。

「〇〇の歯、ホワイトニングしてたみたいに真っ白だった」


私がそう言うと、少しだけみんな笑った。



帰ってからは、明日の葬儀に持っていくものをまとめたり、弟の遺影となる写真をみんなで探していた。


姉も父も母も、あまり写真を撮る方ではなかったため、弟の最近の写真は持っていなかった。私はカメラが趣味とは言えるくらいに写真を撮る方ではあったが、そう言う私も、弟の写真はあまり撮っていなかった。

「さすがに、高校の時の卒業写真は若すぎるわよね…」
「最近の写真、〇〇が私に中指立てて変顔してるポーズしかないんだけど…」
「お姉ちゃん、〇〇ちゃんの写真なーんにも撮ってない…」
「お父さんもお姉ちゃんが卒業式の時に、お前たちを撮った3人のやつしかないなぁ…」

みんなでカメラロールを遡りながら、弟の写真をアルバムにまとめていく。普通に見たら、なんてことない写真でも、見るだけで思い出が蘇っては、泣きそうになった。


「あ、これはどうかな?」


私が一枚の写真を見せると、父も母も、うーんと悩みながらその写真を見ている。


それは父方祖父の7回忌の写真だった。弟はまだ高校生で、私に向かって、ニッと口を開いて笑い、親指を立ててグッジョップのポーズをしている。


私に撮られる時は大抵、不機嫌そうにしているため、弟にしては珍しく、満面の笑顔。

なんでこんなに笑顔なのかと思えるくらい。でも、その顔は、みんなが大好きなあどけない弟の笑顔。弟の笑顔のトレードマークの、えくぼが見えていた。


「うーん、やっぱりちょっと若すぎない?」
「え、いいんじゃない?〇〇、あんま顔変わってないし」
「そうかな…」
「他にいい写真がなかったら、それにしようか、候補にいれといて」


その日の夜。
みんなで布団も敷かずに、雑魚寝した。起きているのか、寝ているのかわからなかったが、私が昔の弟の写真を見ながら、泣いていると、父が「どうした、思い出したのか」と声をかけてくれた。
「うん、少しだけ」


そこには、何気ない家族の日常があった。
弟と私が大雪の日に2人で等身大の雪だるまを使った写真。母と弟が同じポーズで寝ている写真。親戚の農作業の手伝いをして外でご飯を食べている写真。姉の家で鬼のお面を被って遊んでいる写真。祖父の家で喋っている写真。ゲームをしている写真。くだらない事で大笑いしている写真。姉の卒業式で珍しく兄妹3人並んで立っている写真…。


それが3人で写っている最後の写真だった。


家族5人が写った写真なんて、もう何年前なんだろう。


あんなに馬鹿みたいに写真をたくさん撮るのに、カメラロールには綺麗な花や空や友達の写真はたくさんあるのに、家族の写真は、ほんの少しだけ。

大事な人こそ、たくさん撮らなきゃいけなかったのに。

当たり前に、明日も会えると思ってた。
当たり前に、何十年先も生きていてくれると思ってた。


そんな、当たり前は、存在しないんだと気付かされた。




ごめんね。もっと、写真、撮れば良かったね。
ごめんね。変な写真しか残してなくて。
ごめんね。苦しみに気づいてあげられなくて。


ごめんね。救えなくて。



写真を見ながら、泣きながら、眠りにつく。
明日はお通夜だ。




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