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弟が死んだ日-火曜日-

目が覚めてすぐに携帯を確認したが、母からは何の連絡もなかった。
弟が帰ってきたのか、母にLINEを送ると、まだ帰ってきていない、との事だった。

今日の午前中にバイト先に行って弟の出勤時間、退勤時間を聞きに行くそうだ。

私はその時、昨晩の不安を振り払うように弟が生きているという前提で話をしていた。

小心者の弟のために、お昼にひょっこり帰ってきたらバイト先に行きにくくなるかもしれない、と思い、母に「お昼まで待ってみたら?」なんていう呑気な提案をしていた。


20年、弟と生活を共にしてきた私にとって、今の状況が『年頃にあり得る連絡もなしにお友達の家にお泊まり』なんて言う呑気な事ではなく、明らかな緊急事態である事は分かりきっていた。
しかし、その僅かな可能性に縋っていたかった。

そんな私の能天気な提案を無視して、母は弟のバイト先に出向いたそうだ。


この時の母は、きっと弟が帰ってこない事を覚悟していたんじゃないかと思う。





私はその日、午後からの出勤であったが、朝から会議と、そのあとすぐに出張で移動しなければいけなかったため、母からの連絡は一日中見られなかった。


出張先は実家の近くであり、車で移動していた。
私は、仕事を投げ出してこのまますぐに、弟を探しにいきたい衝動に駆られながらも、車中で職場の先輩と話をしながら、いたって平然に過ごしていた。
しかし、家族の話題になったときに、ポロッと弟が現在行方不明である事を漏らしてしまった。

それを聞いた先輩から、「心配ですね、お友達の家とかに行ってるとかですか?」と聞かれた。

私も笑いながら「そうかもしれません」と答えた。


そうだったらいい、と思った。本当に「そう」であれば、私はこのまま、これまでと何ら変わらない現実を生きていけただろうと思う。

しかし、内心は「そんな事は絶対にありえない」と思っていた。

心の奥底で考えていた、弟が死んでしまったんじゃないかという気持ちに蓋をして、生きている可能性を信じて呑気に考えていた。考えようとしていた。考えて、いたかった。

弟がどこかで生きてる事を願い、母からの連絡を確認した。



弟は、日曜日も、月曜日も、バイトには行っていなかった。



『あぁ、もういないんだ、』
そう、思ってしまった。



その日はじめて、父と姉と連絡を取った。


父からは弟のことは聞いたのか、と連絡があった。

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きっと母が父に連絡したときに、死んでしまったんじゃないか、という前提で話をしたんだろうと思う。

父と母が話した内容は、「悪い方」と言う話を聞くのが怖くて、聞かなかった。



いよいよ、大変な事態になってしまったぞ、弟よ、と思う余裕があるぐらいには、まだ冷静ではあった。


一人暮らしの家に帰り、母に電話をしながら状況を確認した。


その時、母からはじめて聞いた話だが、弟は先週の水曜日にバイトをすっぽかしてしまっていたそうだ。それで、弟がいなくなってしまった日曜日が、すっぽかしてはじめての出勤日であったのだ、と。


バイト先の人のところに泊まっているのでは、という私の淡い期待は打ち砕かれ、小心者の弟はバイトに行きづらくなってしまったんだろうなぁ、なんて事を考えていた。
死んでしまったにしても、事故に遭ったのだろうと思っていたが、すっぽかした話を聞いたとき、自殺したのではないかという疑念が、また湧いてきた。


事故ならば、免許証を持っていれば連絡が来るはず、それとも誰にも気づかれていないのか。
もしかしたら動けなくなってしまって、連絡ができないだけかもしれない。
事故の時に免許証を無くして、記憶喪失とかでまだ生きてるかも。


性懲りも無く、生きている可能性を必死に探し続けた。



母と電話を取りながら、姉に連絡をした。

明日警察に捜索願いを出しに行くが、何を話したらいいか、とか、弟がApple Watchをつけて出て行っているみたいだから、なんとか、それで探せないか、とか。




姉は母の事は心配しつつも頑なに母と電話をしようとはしなかった。

後で聞いた話だが、この時、姉が母と話したくなかった理由は、『うじうじしている母を責めそうだったから』だそうだ。
母の性格を知っている私たち兄弟にとって、この時の母と話すのは、正直ちょっと嫌だ。ほんとに。めっちゃわかる。が、しかし、私が1番実家に近い場所に住んでいるし、きっと姉も母も冷静でいられないだろうから、私がしっかりするしかない。私が母を支えなければならない。
その使命感だけで突き進んでいたと思う。


実は、私も母と電話をしながら、母を責めそうになる気持ち、イライラした気持ちを抑えていた。



母と電話を切った後、すぐに姉にも電話をした。



姉はまだ、私が考えているよりも悪い方向には考えていなかったようだ。


私が自殺したのでないか、と言うと、「ちょっと、怖いこと言わないでよ」と言って可能性を否定し続けた。


その日は姉と深夜の2時過ぎまで、姉が実家を出て行った後の家のことや、つい最近会った時の弟の状況について話をしながら、眠りについた。


『とりあえずできる事はない、無事に帰ってくる事を祈るしか』


という姉の言葉が、耳に残っていた。

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